マイ・ブラザー
2009年/アメリカ
偏見を無視して成り立つ家族愛
総合
20点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
今、手元にあるこの作品のチラシには41名の著名人による大絶賛が書かれている。いくつかのコメントを引用してみたい。
茂木健一郎氏(脳科学者)「傷付き、折れそうになっても、愛があれば回復できる。人を信じ抜くことによって愛は育まれる。」
名越康文氏(精神科医)「我々は時に、究極の問いに身をさらすべきだ。人はその中で、心身の全てを洗い尽くされる経験をするだろうから。」
田原総一朗氏(ジャーナリスト)「極限の生と殺、極限の愛と不信に、眩暈がするほど痺れた。」
一般のタレントのコメントならば気にも留めないのであるが、それなりの肩書きを持った人たちのコメントを見過ごすわけにはいかない。何故ならば彼らはこの作品の中に潜む‘偏見’を問題にしないからである。
海兵隊の大尉であるサム・ケイヒルがアフガニスタンに派兵されている時に彼が乗っていたヘリコプターが撃墜されてしまうのであるが、何故かサムとサムの幼なじみのジョー・ウィリスだけが大した怪我を負うこともなく生き残り、テロリストの捕虜として監禁される。彼らは2ヶ月間ほったらかしにされた後、ジョー・ウィリスは拷問を受けてテロリストが用意したメッセージを読まされ、その様子をヴィデオに撮られる。そのヴィデオがどのように使われたのか描かれることなく、ジョー・ウィリスは役立たないという理由からテロリストはサムに鉄の棒でジョーを撲殺させるのであるが(この様子もヴィデオに撮られるが何故かストーリーに絡ませなかった)、それまで冷静に対応していたサムが急に豹変してジョーを殴り殺してしまうことが分かりにくい。これが原因でサムは精神疾患を患うのであるが、常識で考えるならばアフガニスタンからのアメリカの撤退を目指しているテロリストが取引に利用しないまま捕虜を殺してしまうことは考え難い。さらに考え難いのはこの作品がアイルランド出身のジム・シェリダンによって監督されているということである。イギリスの植民地として苦い経験があるアイルランド人が似たような境遇に置かれているテロリストの気持ちが汲み取れない理由はこの作品がアメリカ資本で制作されているからであろうが、ジム・シェリダンがその片棒を担ぐことが信じられない。
この作品で個人的に分かったことはU2(「Bad」)を聴く人は不良でイン・シンクを聴く人は優等生ということだけである。
世界も認めた「岡ちゃん、ごめんね」 勝っても負けても偉業は消えない <ゆるふわサッカー+JAPANなニュース>(gooニュース・JAPANなニュース) - goo ニュース
説明不足の感が否めないので補足しておきたい。『ウォール・ストリート・ジャーナル』
の記事の「Japan's surprise advance to the final 16 in South Africa is, among other
things, a redemption for the team's long-second-guessed coach, Takeshi Okada.」
を訳すと「とりわけ南アフリカ大会の16強進出の日本の驚愕はずっと陰口を言われ
ていた岡田武史監督の“履行(=redemption)”である」となり、FIFAサイトの見出しの
「日本のサムライはブルーな気持ちをぬぐい去る(Japan's samurais cast aside
their blues)」の“cast aside”は“衣服を脱ぎ捨てる”という意味もあるのだから
“ブルーな気持ち”と“青いユニフォーム”の二重の意味が含まれていると思う。
いずれにしても日本チームはよく戦った。