花のあと
2009年/日本
新しい‘フォルム’
総合 90点
ストーリー 0点
キャスト 0点
演出 0点
ビジュアル 0点
音楽 0点
執拗な障子の開け閉めの描写を見ても分かるようにこの作品は‘形式主義’で貫かれている。主人公の以登が江口孫四郎に淡い恋心を抱く理由は江口が以登を女性ということで蔑むことなく対等に手合わせをすることで共同で武芸の‘フォルム’を磨き上げたからであり、そこには自然の成り行きで情が生まれる。必然的にクライマックスで以登を女性として見くびっていた藤井勘解由は決定的に‘フォルム’を欠いてしまうために以登の心が読めず彼女に刺されて絶命することになる。それは藤井のみならず、愛人のかよも障子を開ける際に2回に分けて手をかけるのであるが、以登が3回に分けて手をかけて障子を丁寧に開閉することと比較するならば、かよは‘フォルム’を欠いていると言わざるを得ない。
ところで以登の許婚である片桐才助は‘形式主義’の観点からどのような見做されるのか? 所作に全く隙がなく、罠に対して柔軟な対応が取れなかったほど全く隙がなかった江口孫四郎と比較するならば片桐才助はだらしなく見えてしまう。平気でお尻を触ろうとする片桐才助を許婚であるとはいえ以登は決して好ましく思ってはいなかったはずである。一見するならば片桐才助は藤井勘解由同様女性を蔑視しているように見える。しかしやがて以登は片桐才助が江口孫四郎とは違う‘フォルム’を持っていることを知ることとなる。それは既成のものとは違い、‘フォルム’には見えない‘嗜み’なのであり、自分の‘野蛮さ’を陰から見守られ、さり気なく命を救われた以登は再び満開の桜を見られるのである。
賭博のツケ、協会想定外の相撲中継中止(日刊スポーツ) - goo ニュース
二所ノ関親方によると「(ダイジェストでは)しこ名を呼び上げられてから(仕切りの
度に)体が紅潮していくプロセスが見せられないのは残念」ということだが、そんな
ところまで凝視する一部マニアのためにNHKは一場所5億円も日本相撲協会に
払っていたのかと思うと、相撲中継など生で見たことがない私は唖然としてしまう。
そんなものはプロレスと同じように直接見に行くか有料放送にして見たい人だけが
お金を払って見るべきであって、何故相撲など全く見ない私までもがNHKの受信料
を介して日本相撲協会の懐を潤す手助けをしなければならないのか理解に苦しむ。
二所ノ関理事親方の「(中止で)見に来たい人が(場所に)来てくれれば」いいという
発言は決して“KY発言”ではなく、至極真っ当な発言なのである。