東京ステーションギャラリーでは現在「動き出す!絵画 ペール北山の夢」という展覧会が催されて
いるのだが、一番驚くのは岸田劉生の急激な画風の変化であろう。
上の作品は岸田劉生が1912年頃に描いた『日比谷の木立』である。筆致が全く分からないが
実物は油絵具を盛るように木の葉が描かれており、晩年のフィンセント・ファン・ゴッホの作風
なのである。
ところが岸田劉生がその2年後の1914年に描いた『黒き帽子の自画像』は印象派の面影が
全くなくなり写実主義になり、その後はリアルな画風へ変わってしまうのである。つまり
ヨーロッパの印象派以降の画家たちは古典派から脱却するために様々な描き方を模索して独自の
作風を確立したことに対し、西洋絵画のバックグラウンドを持たない日本人の岸田劉生は印象派
から古典派へと作風を変えた特異な画家なのであるが、惜しいことにこの天才は1929年、
38歳の若さで亡くなっている。
1923年に『カルピスの包み紙のある静物』を描いた中村彝も未来派に限らず、様々な
作風に挑んでいたのだが、1924年に37歳の若さで亡くなっている。萬鉄五郎も1927年、
41歳で亡くなっており、彼らがヨーロッパの印象派の画家のように長生きしていれば、
日本の画壇は今と違ったものになっていたのかもしれない。