(2017年5月10日 毎日新聞)
再びパン屋が「襲撃」された道徳教科書の検定問題に触れたい。「記者の目」という記事で金秀蓮記者が取り上げている例を引用してみたい。
「『何故修正前の表現ではだめで、修正後なら合格するのか』。教科書検定の取材で抱いた率直な疑問だ。
例えば、『節度、節制』の項目。1,2年では『健康や安全に気を付け、物や金銭を大切にし、身の回りを整え、わがままをしないで、規則正しい生活をすること』と定められている。検定では複数の教科書会社が『金銭を大切にする』という内容を満たしていないことを理由に、『学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切』という指摘を受けて修正した。
ある教科書の『わたしだけの かばん』という題材。新しいかばんをほしがる女の子に母親が『まだ使える』と諭す。それを見ていた女の子の姉がかばんをリボンや布で飾り付け、生まれ変わったかばんを手にした女の子が『ずっと大切にしよう』と思う内容だ。検定意見を受け『まだつかえるでしょ。みんなはみんな、えりはえりよ』という母親の言葉は『まだつかえるのに、買いかえたらお金がもったいないでしょう』に書き換えられた。」
母親の言葉は明らかにアベノミクスに反するものであるが、文部科学省と財務省の仲の悪さは昔からだから驚きはしないものの、小学生の頃から絶えず「矛盾」を強いられることは分裂病気質の子供を増やしはしないだろうか。
だから東京学芸大学の大森直樹准教授の「普遍的な価値観であっても、子どもに押しつけてはいけない。自然に気づき、身につけてもらうのが理想。意図的な道徳心の形成はうまくいかないし、損なわれるものが多い」という指摘は正しく、フレキシブルに対応できるような能力を養うことが道徳教育の本来のあり方なのである。