原題:『Bohemian Rhapsody』
監督:ブライアン・シンガー(デクスター・フレッチャー)
脚本:アンソニー・マクカーテン
撮影:ニュートン・トーマス・サイジェル
出演:ラミ・マレック/ルーシー・ボイントン/グウィリム・リー/ベン・ハーディ/ジョゼフ・マゼロ
2018年/イギリス・アメリカ
「ボヘミアン・ラプソディ」の「真実」について
個人的にはフレディ・マーキュリーの死に際の混乱した有様を知りたかったのではあるが、「ライブ・エイド」をクライマックスにもってきた点は「ボヘミアン・ラプソディ(=自由奔放な狂想曲)」というタイトル通りの破天荒なフレディの人生をわかりやすくまとめる上においては良かったのだと思う。
何よりもクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」という謎めいた曲の真意が明らかにされたことが本作の収穫だと思うのだが、まずは和訳してみたいと思う。
「Bohemian Rhapsody」 Queen 日本語訳
これは実人生なのか?
それともただの空想なのか?
地滑りに巻き込まれたようで
現実から逃げ出せない
君は目を見開いて
空を見上げてみればいいんだ
僕はただの憐れな少年で
共感など必要とはしていない
だって僕は夢中になったとたんに冷めてしまうし
感情の起伏も適当な感じで
どっちにしたところで風は吹くのだから
それは僕にとっては重要なことではないんだ
(他の人はともかく)僕にとってはね
ママ、僕は「男性」というものを殺してしまった
彼の頭に銃口を突き付けて
僕が引き金を引いてしまったら
彼は死んでしまったんだ
ママ、人生が始まったばかりだというのに
「僕」は死んでしまい全てをなげうってしまったんだ
ママ、僕はあなたを泣かせるつもりはなかったけれど
もしも明日の今頃、僕がもう戻ってこなくても
まるで何事も起こらなかったかのように
人生を送って欲しい
「僕の時代」が来るのが遅すぎたようだ
僕は体の芯からぞくぞくさせられ
ずっと体がむずむずするんだ
みんな、さようなら
僕は行かなくてはならないんだ
全員を置き去りにしてでも真実と対峙しなければならないんだ
ママ、僕は死にたくはない
時々、僕は生まれてこなければよかったと思うんだ
僕には男の小さな影が見える
スカラムーシュ(からいばりする臆病者)よ
ファンダンゴを踊ってくれないか?
落雷と稲妻が僕を恐れさせる
ガリレオ
ガリレオ
ガリレオ
フィガロ(機知にあふれたうそつき)
マグ二フィコ(貴族)
でも僕は憐れな少年で誰にも愛されない
(彼は貧困層出身の憐れな少年)
(彼の命をこの極悪非道な状況から救ってやれよ)
夢中になったとたんに冷めてしまうのだから
僕を解放してくれないか?
(神にかけてでも俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(神にかけてでも俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(神にかけてでも俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
(俺たちはおまえを離さない)彼を解放してやれ
ダメだ
ママ、僕を解放してほしい
ベルゼブルという悪魔の首領が僕のために
一匹の悪魔を確保した
僕のために
だからおまえは僕に石をぶつけて
僕の目に唾を吐きかけられると思っているんだな
だからおまえは僕を愛せると思っているし
僕には見込みがないものとして見捨てることもできると思っているんだな
そんなことは僕に対してできないだろう?
ただ出て行けばいいんだ
こんな場所からすぐに出て行くべきなんだ
重要なことなど存在しないんだ
誰だって理解できるはずさ
それは僕にとっては重要なことではないんだ
どっちにしたところで風は吹くのだから
「ボヘミアン・ラプソディ」とはフレディ・マーキュリーが自分の「男性性」を「殺した」ことにより自分にとってはどうでもよかったのだが周囲が騒ぎ出し、ガリレオ・ガリレイのように異端審問にかけられ、イエス・キリストのように虐げられ、母親の期待には添えられなかったとしても、こんなつまらない世界から新たな世界へと抜け出して生きていくという宣言のような曲なのである。
Queen - Bohemian Rhapsody (Official Video)