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 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』

2020-06-12 00:58:48 | goo映画レビュー

原題:『三島由紀夫VS東大全共闘 50年目の真実』
監督:豊島圭介
撮影:月永雄太
出演:三島由紀夫/芥正彦/木村修/平野啓一郎/内田樹/小熊英二/瀬戸内寂聴
2020年/日本

女性が一人しか出てこないドキュメンタリー映画について

 個人的には三島由紀夫の動いている姿は1970年11月25日に陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に突入して決起を呼びかけるも失敗し、割腹した事件の時のニュース映像で見ただけで、何故マイクのようなものを用意しなかったのかと疑問が湧き、そういうことに疎いまま準備もせずに蜂起したのかと思っていたのであるが、本作を観て三島が自分のマイクのみならず相手の学生に対しても気をつかってマイクを回していることに驚かされる。
 そもそもメディアへの露出も多く、映画の主演もしているくらいだからマイクの重要性など知り尽しているはずで、そうなると市ヶ谷での演説の仕方が謎なのである。
 冒頭で三島は挨拶代わりにフランスの小説家のフランソワ・モーリヤックの『テレーズ・デスケルウ』を引用し、途中でも嫌いといいながらジャン=ポール・サルトルの『存在と無 - 現象学的存在論の試み - 』を引用し、博識を披露しながらユーモアも忘れないスマートさで、さらに言葉足らずの東大生の発言を自ら補いながら自分の意見を述べるという紳士振りで、それは抽象観念を振り回すだけの芥正彦に対しても同様で、「解放区」を巡る三島と芥の解釈は「持続」を徹底的に無視する芥に対して、あくまでも「生活」を重視する三島とは全く折り合うことがないのだが、これこそノーベル文学賞受賞候補者だった稀代のスーパースターという貫禄で、当時同期の小説家として名を馳せていた石原慎太郎だったら相手を攻めることは強くても攻められることに弱かったからそもそもこのようなオファーを受けることはなかったであろう。今ならば誰に当たるだろうか考えてみるのだが、だいぶ離されているものの辛うじて北野武といったところだろうか。
 そのような三島ならば陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地においてもこのような「ワンマンショー」を演じられたはずで、芥正彦は三島の割腹自殺に関して「本懐を遂げたのでしょう」と他人事のように語っているが、小説家が片手間で行なった「パフォーマンス」を劇作家でアートパフォーマーでもあるらしい芥正彦が一度でも三島を越えるパフォーマンスを演じたことがあるのだろうか。本作を観ることでますます「三島事件」は謎めいてくるのであるが、天皇陛下がキーワードになることは間違いないと思う。


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