原題:『The Dead Don't Die』
監督:ジム・ジャームッシュ
脚本:ジム・ジャームッシュ
撮影:フレデリック・エルムズ
出演:ビル・マーレイ/アダム・ランバート/ティルダ・スウィントン/クロエ・セヴィニー
2019年/アメリカ
「物質主義」から逃れられる可能性について
ゾンビを扱ったコメディ映画のようなテイストだと思ってみていたら、ただのゾンビ映画ではなかった。結局、助かった人物を思い出してみるならば、主人公で警察官のクリフ・ロバートソンの幼馴染みで森の中に住んでいるホームレスのボブと青少年拘留所に拘束されているジェロニモとオリヴィアとステラの孤児たちと仏教を介して武士道を極めた挙句に宇宙人に連れ去られていったゼルダ・ウィンストンで、要するに居場所を持たない者たちが、「物質主義の遺物」であるゾンビの攻撃対象から免れられるのである(イギー・ポップがライブに出演するくらいのメイクでゾンビを演じられるところが笑える)。
もう一つ気になるシーンはゾンビたちに囲まれたクリフと部下のロナルド・ピーターソンの会話で、ロナルドを演じたアダム・ドライバーが急に素になってジャームッシュが書いた台本通りに話していると言いだし、それを聞いたクリフを演じているビル・マーレイも素に戻って監督とは長い付き合いだが、自分はセリフを教えて貰っていないと文句を言いだすのである。敢えてフィクションを逸脱するこの演出は、作品のキャラクターのみならず、それを演じている役者でさえ死を逃れることはできないが、それを示す光の芸術である映画こそがゾンビという「物質」ではなく「幽霊」として機能するという暗喩のように映った。
以上のことを踏まえてスタージル・シンプソンの「ザ・デッド・ドント・ダイ」の和訳を読んでみると意味がより分かると思う。
「The Dead Don't Die」 Sturgill Simpson 日本語訳
君や僕以上に死体が死ぬようなことはない
死体とは僕たちが所有しない人生の夢の中の
幽霊にすぎないのだから
いつだって彼らは僕たちの周囲を歩き回っているけれど
彼らは僕たちが歩んでいる愚かな人生や
僕たちが全員で蒔いて得た収穫物など
全く気にしていない
全ての街角に一杯のコーヒーが用意されているけれど
いつの日か僕たちが目覚める時
街角が無くなっていることに気が付くんだ
でも人生が終わり来世が始まっても
このいつもの世界で一人でも
まだ死体は歩き回っているだろう
多少馴染みのある街で
歩き回っている旧友たちがいる
君が電話で調べて一度訪れた街だ
誰も声をかけてこないから
君はさよならという言葉を貯蓄できるよ
僕たちは留守だという振りをするのは止めておこう
朝の通りは全く人気が無いように見えるし
街灯が照らされていて
夜に外に出ている人も見かけないだろうから
でも人生が終わり来世が始まっても
このいつもの世界で一人でも
まだ死体は歩き回っているだろう
二度と戻って来ないつもりで
恋人たちが旅に出る時
悲しみに見舞われるから
僕たちは彼らはみんないつでも
ずっと僕たちの周りにいるのだと自分たちに言い聞かせよう
逝ったとしても忘れることはない
想い出は残されているのだから
でも人生が終わり来世が始まっても
このいつもの世界で一人でも
まだ死体は歩き回っているだろう
人生が終わり来世が始まったとしても
Sturgill Simpson - The Dead Don't Die (Official Video)