J・D・サリンジャーの『フラニーとゾーイ』に関して、小谷野敦の『聖母のいない国』(河出文庫 2008.8.20)の議論を取りあげながら考察してみたい。
小谷野は『聖母のいない国』の「サリンジャーを正しく葬り去ること」という章で『フラニーとゾーイ』を扱っている。小谷野は「フラニー」を以下のようにまとめている(『フラニーとゾーイ―』は新潮文庫の野崎孝訳を引用する)。
「フラニーのデート相手である、別の大学(英文科? 英文科の学生がフロベールについて書くか?)の四年生か院生のレーン・クーデルという男は、自分のフロベールに関するレポートに『A』がついていたということをさりげなく自慢し、教授がそれを活字にすべきだと言っている、と言いながら、フロベールに関する評論で切れ味のいいものなんか一つもない、と放言するのである。実のところ、こういう『生意気』な放言を男子学生がするのは、べつだん珍しいことではない。けれど、フラニーはこれが癇に触って、まるであなたは特研生(セクション・マン)みたいだ、と言いだす。これは彼女の大学で、教授がいない時に代わって授業をやる学生で、彼らは『すごい秀才』で、トゥルゲーネフを散々こきおろした後で、自分が修士論文のテーマにしたスタンダールの話を始めたりするという。フラニーは言う。『学を鼻にかけたり、えらそうにこきおろしをやったりする人たちにはもううんざり。悲鳴が出そうなくらい』(引用は野崎訳による)」(p.68-p.69)
しかし小谷野は無視しているのか読み飛ばしているのか定かではないのだが、フラニーとレーンの感情の齟齬はそれ以前にあると思う。
フラニーはレーンに再会する前に手紙を出している。「手紙は水色で便箋に書かれて ー といってもタイプで、書かれていた。何度も封筒から取り出されて、何度も読み返されたものとみえて、こなれてくたびれている」(p.9)。再会後にもフラニーは手紙が届いたかどうかレーンに確認している(p.14)。
それから二人は一時間後に、シックラーという、ダウンタウンのあるレストランの、わりあい人群れから離れたテーブルに座って話し始める(p.16)。
フラニーは事前に手紙でレーンに頼んでいたことがあった。「超男性的(super-male)で寡黙(は、これでいいのかな?)になるときのあなたは、わたし大きらい。本当は嫌いというんじゃないんだけど、わたしって黙ってる強い男性(strong, silent men)ってものには体質的に反撥しちゃうのよ。といったって、あなたが強い男性じゃないというのではありません。分かってくださるわね、わたしの言う意味(p.10)」
ところが「レーンは、たっぷり十五分間かそこらひとりで喋り続けたあげく、いよいよ調子づいてきて、その調子のままに喋っていれば絶対にへまをやる気遣いはないと思い込んでるとでもいうか、そんな感じで喋っていた。『つまり、露骨に言ってしまえばだね』と、彼は言った『彼に欠けているのは、男根的本質(testicularity)と言っていいと思うんだよ。分かるだろう、僕の言う意味?』彼は、グラスの両側に置いた腕で身を支えるようにして、おとなしく謹聴しているフラニーの方へ、カッコよく崩した身体を乗り出している。
『何が欠けてるんですって?』と、フラニーは言った。一度咳払いしてからでないと、声が出なかった。それほど長く口を開かなかったのである。
レーンはためらった。そして『男性的本質(Masculinity)さ』と、言った。
『さっきはそうじゃなかったみたい』
『とにかくだね、リポートのテーマは、言ってみればまあ、そういうことなんだな ー そいつをぼくは、なるべく婉曲な形で表現しようとしたんだ』自分の話にすぐ立ち戻って、彼はそう話し続けた『いや、ほんとなんだよ。ぼくとしちゃ、あんなリポートは鉛の気球でてんで上がりっこないと、しんからそう思ってたんだ。ところが、戻ってきたのを見たら、でっかい”A”の字がべったりとついているじゃないか。ぶっ倒れるとこだったよ、まったく』(p.17-p.18)」
レーンはフラニーが手紙で頼んでいたことを完全に忘れており、レストランで会話を始めて早々にやらかしているのである。だからフラニーはレーンのスノッブ的な振る舞い以前に、婉曲な形で表現することもないレーンの思いやりの無さに失望しているのだと思うのである。
小谷野の本章の結論を引用してみる。
「『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』や『シーモア ー 序章』でその先を模索しようとしたサリンジャーは、遂にシーモアの影の下から脱することができなかった。私は結局、六〇年代から七〇年代にかけて、学生運動の時代を支配したサリンジャー人気は、政治と社会から逃亡した若者たちの、ウィットと謎に満ちた会話や文体、風俗を巧みに織り込んだ膨大な固有名詞や細々した普通名詞から成る文章と、その背後に隠された『自殺』の謎といった組み合わせが受けただけであって、五三年に『隠遁』し、六五年に最後の作品を残して沈黙したサリンジャーは、ほんらい『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いた後のトルストイのように、『懺悔』すべきだったと思う。その後に米国文学を『ガキの小説』(丸山健二)にしてしまった責任の多くは、サリンジャーにあるのだし、日本で庄司薫や柴田翔のような『小亜流』の後、村上春樹のような『大亜流』を生み出したのも、批評家がきっちりサリンジャーの宗教理解の浅薄と非社会性を批判しなかったからである。私は今回サリンジャーを読み返してみて、あの八〇年前半の、『オシャレに深刻な問題を語る』というモードを思い出して、すっかり不愉快になってしまったようだ。(p.84-p.85)」
確かに最後に発表された『ハプワース16、1924年』がサリンジャーの構想通りに上手く行っているとは思えないし、構想の壮大さにサリンジャーの才能が追い付かずサリンジャーが沈黙したまま亡くなってしまたということはあるものの、『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(竹内康浩・朴舜起共著 新潮選書)で批評家によって謎が解かれたことにより、小谷野敦のみならず庄司薫や村上春樹の読みが浅いことが証明されたのである。そもそも「誤読」されたことに対して作者が「懺悔」する必要があるだろうか?
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