MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ヘイトフル・エイト』

2016-03-06 00:08:19 | goo映画レビュー

原題:『The Hateful Eight』
監督:クエンティン・タランティーノ
脚本:クエンティン・タランティーノ
撮影:ロバート・リチャードソン
出演:サミュエル・L・ジャクソン/カート・ラッセル/ティム・ロス/ジェニファー・ジェイソン・リー
2015年/アメリカ

「正義」と「西部の正義」の違いについて

 さすがタランティーノ監督作品だけあって上映時間168分の、ほとんどがミニーが営む小屋の中のシーンだけで成り立っているにも関わらず、観客を飽きさせないダイアローグが素晴らしい。
 絞首刑執行人のオズワルド・モブレーが語る「正義(justice)」と「西部の正義(frontier justice)」の違いが興味深い。本来、被害者こそが加害者を罰するべき(=西部の正義)ではあるのだが、それでは憎しみの連鎖が止まらない。そこで第三者として絞首刑執行人が間に入って被害者に成り代わって被害者を処刑する(=正義)のである。
 しかしそれはあくまでも事件を客観的に見られる場合に限られるのであって、ラストの新任保安官のクリス・マニックスやマーキス・ウォーレンとデイジー・ドメルグとの銃撃戦の最中、「正義」について考える余裕など全く無いまま何らかの決着をつけるしかない。
 だから「正義」というものが存在するとするならば、例えば、マーキス・ウォーレンが持ち歩いていたエイブラハム・リンカーン大統領の私信のように、いかにも「かのように」というもっともらしさの中にしか存在しないのである。


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