MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「パン屋再襲撃」

2017-05-11 00:34:39 | Weblog


(2017年5月10日 毎日新聞)

 再びパン屋が「襲撃」された道徳教科書の検定問題に触れたい。「記者の目」という記事で金秀蓮記者が取り上げている例を引用してみたい。

「『何故修正前の表現ではだめで、修正後なら合格するのか』。教科書検定の取材で抱いた率直な疑問だ。
 例えば、『節度、節制』の項目。1,2年では『健康や安全に気を付け、物や金銭を大切にし、身の回りを整え、わがままをしないで、規則正しい生活をすること』と定められている。検定では複数の教科書会社が『金銭を大切にする』という内容を満たしていないことを理由に、『学習指導要領の示す内容に照らして、扱いが不適切』という指摘を受けて修正した。
 ある教科書の『わたしだけの かばん』という題材。新しいかばんをほしがる女の子に母親が『まだ使える』と諭す。それを見ていた女の子の姉がかばんをリボンや布で飾り付け、生まれ変わったかばんを手にした女の子が『ずっと大切にしよう』と思う内容だ。検定意見を受け『まだつかえるでしょ。みんなはみんな、えりはえりよ』という母親の言葉は『まだつかえるのに、買いかえたらお金がもったいないでしょう』に書き換えられた。」

 母親の言葉は明らかにアベノミクスに反するものであるが、文部科学省と財務省の仲の悪さは昔からだから驚きはしないものの、小学生の頃から絶えず「矛盾」を強いられることは分裂病気質の子供を増やしはしないだろうか。

 だから東京学芸大学の大森直樹准教授の「普遍的な価値観であっても、子どもに押しつけてはいけない。自然に気づき、身につけてもらうのが理想。意図的な道徳心の形成はうまくいかないし、損なわれるものが多い」という指摘は正しく、フレキシブルに対応できるような能力を養うことが道徳教育の本来のあり方なのである。


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奇妙な英語教材

2017-05-10 00:31:20 | Weblog

 渋谷にある名画座「シネマヴェーラ」は過去の名作が上映されると共に、上映される映画に関する

当時の資料も揃えてあって、とても参考になるのであるが、時々資料に混じって奇妙なものを

見つけてしまう。例えば、上の広告なのであるが、これは国際出版社が出した「英和対訳シナリオ

シリーズ -39-」と称し、「生きた英語は映画から、正しい受験英語は映画から」と惹句が

ついた英語教材なのである。ところがこの『ヨーロッパ1951年(Europa '51)』という

作品はイタリアの映画監督であるロベルト・ロッセリーニが撮ったイタリア映画で、確かに

イタリア語版と英語版が制作されたようなのであるが、主演のイングリッド・バーグマンは

スウェーデン出身だし、本作を研究する素材としては優良な資料であるとしても、英語教材に

するには色々とややこしい作品を何故わざわざ選んだのかよく分からないのである。


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「Hot and Sultry Nights」 Neil Sedaka 和訳

2017-05-09 00:21:08 | 洋楽歌詞和訳

 最近になって八神純子が1978年にリリースした「みずいろの雨」がニール・セダカが

1977年にリリースしたアルバム『A Song』に収録されている「Hot and Sultry Nights」に

似ていることを知った。とりあえず和訳をしてみる。

「Hot and Sultry Nights」 Neil Sedaka 日本語訳

ここで暮らすことが楽ではないことは承知のはず
この暑くて鬱陶しい夜を過ごすことはとてもきつい
君は恋人を愛する余裕さえ失う
謝肉祭と化すなんて想像さえしていなかった
一時的にせよ救済的な冷気が使えればいいのに
こんな暑くて鬱陶しい夜には

僕たちは世界の片隅にいる
ケシの花道の上にある発着所
かつて僕たちは永遠に生きられると思っていた
喜悦が絶えることなどあり得ないと思っていた

ある晴れた日に僕たちは邪魔をされた
数人の男たちがやって来て僕たちのフィールドを燃やしたんだ
取り引きは途絶えて街は死につつある
どのような気持ちになるか誰も想像できまい

ここで暮らすことが楽ではないことは承知のはず
この暑くて鬱陶しい夜を過ごすことはとてもきつい
君は恋人を愛する余裕さえ失う
謝肉祭と化すなんて想像さえしていなかった
一時的にせよ救済的な冷気が使えればいいのに
こんな暑くて鬱陶しい夜には

嘆き悲しむ歌が聞こえる
僕たちは早く大人になってしまった
彼らがフィールドに火を放つところを僕たちは見ていた
僕は周囲が見えなくなるくらいに泣いた

移住できる者たちは
ぼろきれや骨だけを残して去って行った
明日について語る者などいない
ただ暑くて鬱陶しい夜について語るだけだ

ここで暮らすことが楽ではないことは承知のはず
この暑くて鬱陶しい夜を過ごすことはとてもきつい
君は恋人を愛する余裕さえ失う
謝肉祭と化すなんて想像さえしていなかった
一時的にせよ救済的な冷気が使えればいいのに
こんな暑くて鬱陶しい夜には

 訳してみてニール・セダカのイメージと違い、意外とシビアな内容の歌詞に驚く。ポップ・

シンガーのニール・セダカでさえ本作リリース当時のベトナム戦争の影響を受けていたのだろうか。

八神純子さん『みずいろの雨』の歌詞
ミズイロノアメ
words by ミウラヨシコ
music by ヤガミジュンコ
Performed by ヤガミジュンコ


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『美女と野獣』(2017年)

2017-05-08 00:05:22 | goo映画レビュー

原題:『Beauty and the Beast』
監督:ビル・コンドン
脚本:エヴァン・スピリオトポウロス/スティーヴン・チョボスキー
撮影:トビアス・シュリッスラー
出演:エマ・ワトソン/ダン・スティーヴンス/ルーク・エヴァンズ/エマ・トンプソン
2017年/アメリカ

「愛の魔法」を巡って

 ウォルト・ディズニー・ピクチャーズが製作を担っているのだが、登場人物のル・フウ(フランス語で狂人、道化という意味)を同性愛者として描いたり、マダム・ド・ガルドローブやプリュメットに黒人女優をあてがうなど意外と大胆なアプローチを試みている。
 それにしても気になるのは、そもそも王子たちに呪いをかけたアガーテと呼ばれる魔女の存在である。呪いをかけた後も、アガーテは村に残り、ベルの父親のモーリスの窮地を救ったりしており、最後に王子たちの呪いが解けた後も彼らの中に混じっているのである。まるで最初からアガーテのシナリオ通りに物事が運んでいるように見えるのであるが、これはアガーテの目線というよりも、リメイク版として撮られた本作に対する観客の目線なのかもしれない。
 そしてこれは漫画家の久保ミツロウが語っていたのであるが、何故最後に王子が野獣から美しい王子に戻ってしまうのか納得できないようで、確かにベルは野獣としての王子を愛したはずであり、王子が美しくなってしまうことが蛇足のように見えなくはないのだが、大人はともかく子供には「愛の魔法」を見せてあげてもいいとも思う。


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『ワイルド・スピード ICE BREAK』

2017-05-07 20:41:50 | goo映画レビュー

原題:『The Fate of the Furious / Fast & Furious 8』
監督:F・ゲイリー・グレイ
脚本:クリス・モーガン
撮影:スティーヴン・F・ウィンドン
出演:ヴィン・ディーゼル/ミシェル・ロドリゲス/ドウェイン・ジョンソン/ジェイソン・ステイサム
2017年/アメリカ

改めて分かる制作費の重要性について

 どことなく既視感を持ってしまう理由は、最近同じヴィン・ディーゼル主演の『トリプルX:再起動(xXx: Return of Xander Cage)』(D・J・カルーソー監督 2017年)を観たばかりで、特に飛行機内のシーンなどそっくりなシーンがあるためだが、赤ん坊を使うことでメリハリを持たせるところが上手いと思う。
 しかしさすが『トリプルX』の3倍の制作費をかけているだけあってストーリーは壮大でいつものように車を軸に、空のみならず海中まで駆使して膨らませたストーリーは見応え十分なもので、世界的にヒットしないはずがない規模である。


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『無限の住人』

2017-05-06 00:17:55 | goo映画レビュー

原題:『無限の住人』
監督:三池崇史
脚本:大石哲也
撮影:北信康
出演:木村拓哉/杉咲花/福士蒼汰/市原隼人/戸田恵梨香/北村一輝/栗山千明/山崎努
2017年/日本

スターと女の子という「組み合わせ」の可能性について

 時代劇のつもりで観に行ったらSF映画だったことに驚いた。カメラに血糊が付くほどの激しいアクションシーンは確かに見応えはあるものの、それ以外に何があるのかとなるとなかなか思いつかない。
 例えば、茶屋で地図を確認している主人公の万次のところへ忍び寄って来た閑馬永空に対してあれほど警戒して差し違えてでも断固として仲間に加わらなかった万次が、尸良や偽一や百琳たちの、いかにも怪しい集団にいとも簡単に加わることにどうしても矛盾を感じてしまうのである。
 だから私の興味は本作の「構造」の方に引かれてしまう。例えば、『SCOOP!』(大根仁監督 2016年)で福山雅治が演じた主人公のカメラマンの都城静には二階堂ふみ
が演じたアシスタントの新人記者である行川野火がいるように、木村拓哉が演じた万次には杉咲花が演じる浅野凛という少女がそばにいるのである。ラストに向かうと共にグダグダになっていくストーリー展開も似ており、かつて一世を風靡したものの40代半ばで芸能界において岐路に立たされている、大手芸能事務所に所属している2大スターが何となく若い女の子をそばに置いてしまう「構造」が興味深いのである。


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宇多田ヒカル『Fantôme』感想

2017-05-05 00:47:45 | 邦楽

 遅まきながら宇多田ヒカルの約8年振りのニューアルバム『Fantôme』をじっくりと通して聴いて

みたのではあるが、好調なセールスや批評家の高評価にもかかわらず個人的にはしっくりとは

こなかった。

 確かに亡くなった母親である藤圭子に捧げられたとされる本作に暗さがまとわりつくことは

仕方がないとしても、かつて宇多田が持っていたユーモアが失われているような気がする。

そもそも藤圭子の娘で、母親の気質を受け継いでいるであろう宇多田がユーモアを失おうと

したことはかつて何度もあったような気はする。例えば「FINAL DISTANCE」や「Be My Last」で

「マジメ」に陥りそうになっても次作でユーモアを取り戻すような余裕がまだ当時は感じられた

もので、その「抵抗」は彼女の母親に対する「反抗」だったのではなかったか。しかしその母親に

捧げられた作品である以上、抵抗としてのユーモアが失われてしまうのは必然なのではあろう。

 それにしても何故英語ではなくて日本語を歌詞に選んだのかも気になる。ロンドンに在住

しているらしいのだが、何故改めて世界に打って出なかったのか。それどころかアルバムの

タイトルは英語ではなくてフランス語を選んでおり、ますます訳が分からないのであるが、

ここではとりあえず「俺の彼女」のフランス語の歌詞の部分を和訳しておきたい。

「俺の彼女」 宇多田ヒカル 日本語訳

私は会いに来てくれる人を招待したい
「本当の私」を見つけてくれる人を
私は触れる人を招待したい
「永遠」に触れる人を

 ここで使われる「永遠」という言葉はジャン=リュック・ゴダール監督が『気狂いピエロ』

(1965年)のラストでも引用しているフランスの詩人であるアルチュール・ランボー

(Arthur Rimbaud)の詩集『地獄の季節(Une Saison en Enfer)』(1873年)の

「永遠(L'Éternité)」からの引用であろう。それでなければここでわざわざフランス語が

使われる意味がない。

「Elle est retrouvée,(見つけたよ)
Quoi ? — L'Éternité.(何を? 永遠さ)
C'est la mer mêlée(それは海なんだ、)
Avec le soleil. (太陽が沈み込んで一つになる海)」

 今後も『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION』は聴き続けるであろうが、本作を改めて

聴くことはないと思う。


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作者不詳の作品の評価の方法

2017-05-04 13:49:15 | 美術

 東京都美術館で催されているボイマンス美術館所蔵ブリューゲル「バベルの塔」展に依るならば、

15世紀から16世紀のネーデルラントの彫刻家たちは写実性や感情表現の面で同時代の多くの

画家と比較しても引けを取らなかったらしいのだが、そのような彫刻作品が余り注目されないのは、

多くの彫刻が作者不詳であることが原因のようだ。それでも何らかの評価を下そうとする場合は、

例えば、その作風から「枝葉の刺繍の画家(Master of the Embroidered Foliage)」のように

作者に名前を与えるのである。


「Virgin and Child in a Landscape」1490年頃


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「青い船組合」の起源について

2017-05-03 01:12:53 | 美術

 上の作品は東京都美術館で催されているボイマンス美術館所蔵のブリューゲル「バベルの塔」展で

展示されている、ヒエロニムス・ボスの模倣とされた作者不詳で彫版をピーテル・ファン・デル・

ヘイデン(Pieter van der Heyden)が担った、「青い船(The Blue Boat (Die Blau Schuyte))」

(1559年)という作品である。ここにはカーニバルで練り歩く酔いどれや暇人が集う

「青い船組合」が存在するらしいのであるが、それが現在、アムステルダムに実在する遊覧船を

営む「Blue Boat Company」なのかどうかはよく分からない。


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「グリロス」について

2017-05-02 22:34:17 | 美術

  現在、上野の東京都美術館ではボイマンス美術館所蔵のブリューゲル「バベルの塔」展が

催されている。もちろんピーテル・ブリューゲル1世(Pieter Bruegel the Elder)の1568年頃

の作品「バベルの塔(The Tower of Babel)」がメインの展覧会ではあるが、ここでは

J・コック(Jérôme (Hieronymus) Cock)の「聖アントニウスの誘惑(The Temptation of St. Anthony)」

(1522年)を取り上げたい。ここで扱われている「グリロス(頭足人間)」の語源を探るためである。

 上の作品はヒエロニムス・ボス(Hieronymus Bosch)の1501年頃に描かれた

「聖アントニウスの誘惑(The Triptych of Temptation of St. Anthony)」の一部であるが、

手前にいるのが頭と足が直接つながっている「グリロス」である。英語では「Headfooter」か

「Bodyfooter」と通常呼ばれているが、「グリロス(Gryllus)」とはギリシア語で「豚」、

ラテン語で「コオロギ」という意味であることは、英国の作家であるマリーナ・ワーナー

(Marina Warner)の「No Go the Bogeyman: Scaring, Lulling and Making Mock」

(2000年)に詳しいらしい。プルタルコス(Plutarch)の「モラリア(Moralia)」の中の

エピソードの一つ「ユリシーズとグリロス(Ulysses and Gryllus)」で、キルケ―(Circe)と

いう妖婦に魔法をかけられた犠牲者の一人で豚にされた男が「グリロス」なのである。


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