MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「人間の建設」の危うさについて

2018-09-19 00:53:52 | Weblog

 『人間の建設』(新潮文庫 平成22年3月1日)とは数学者の岡潔と文芸評論家の小林秀雄の対談なのだが、驚くべきことが書かれている。

「私は日本人の長所の一つは、時勢に合わない話ですが、『神風』のごとく死ねることだと思います。あれができる民族でなければ、世界の滅亡を防ぎとめることはできないとまで思うのです。あれは小我を去ればできる。小我(我執にとらわれる自我)を自分だと思っている限り決してできない。『神風』で死んだ若人たちの全部とは申しませんが、死を恐れない、死を見ること帰するがごとしという死に方で死んだと思います。欧米人にはできない。欧米人は小我を自分だとしか思えない。いつも無明がはたらいているから、真の無差別智、つまり純粋直観がはたらかない。従って、ほんとうに目が見えるということはない。欧米人の特徴は、目は見えないが、からだを使うことができる。西洋音楽の指揮者をテレビで見ておりますと、目をふさいで手を振っている、あれが特徴ですね。欧米人の特徴は運動体系にある。いま人類は目を閉じて、からだはむやみに動きまわっているという有様です。いつ谷底へ落ちるかわからない。」という岡の発言に「あなたは、そんなに日本主義ですか。」と小林は驚いている。
「純粋な日本人です。いま日本がすべきことは、からだを動かさず、じっと坐りこんで、目を開いて何もしないことだと思うのです。日本人がその役割をやらなければだれもやれない。これのできるのは、いざとなったら神風特攻隊のごとく死ねる民族だけです。そのために日本の民族が用意されている。そう思っているのですが、あまり反対の方へ進むので、これはいっぺんやり直せということかと思わざるをえない。」という岡に対して、小林は「特攻隊のお話もぼくにはよくわかります。特攻隊というと、批評家はたいへん観念的に批評しますね。悪い政治の犠牲者という公式を使って。特攻隊で飛び立つときの青年の心持になってみるという想像力は省略するのです。その人の身になってみるというのが、実は批評の極意ですがね。」というさらに驚くべき発言で畳み掛ける。(p.139-p.140)
 

 この対談は昭和40年10月「新潮」に掲載されたことを鑑みても問題のある発言で、「特攻隊」の部分を「自爆テロ」と変えてみればその酷さは容易に理解できる。「神風」で死ねるのは今や日本人ではなくイスラム教過激派なのである。

 不思議なのは、海外で研鑽を積んだ人たちが、日本に帰ってくると「日本主義」に陥ってしまうことで、それは岡潔や小林秀雄に限らず、数学者の藤原正彦や文芸評論家の江藤淳やジャーナリストの櫻井よしこなど海外留学を経て、ゴリゴリの保守になってしまう人が意外と多いのである。見識を広めるための留学のはずなのに視野を狭くして帰って来るという精神的メカニズムを知りたいとおもうのだが、『人間の建設』の解説を書いている脳科学者の茂木健一郎は肝心なその点に全く触れていない。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする