寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

米子市花園町に残る遊廓建築(その2)

2008年11月22日 | 
両側に元妓楼が並ぶ通りはおよそ150mの長さである。これが吉原の仲之町通りに相当するのかは知らないが、「悪所」の雰囲気は大体つかむことができた。

「元旅館」から西に30m進んだ辺りまでに妓楼は集中している。その大半は赤線時代のものと判断した。下関市の新地で見たコンクリート建築(旅館として最近まで使用された)の間取りと同一点が多かったからである。

木造の妓楼B

通りの南側のエリアに一軒だけ古い木造家屋が取り壊されずに静かに建っている。昔は三味線の音が聞こえてさぞかし賑やかだったのだろうと想像を深めた。

米子市の「花園町遊廓」跡は方角を無視すれば私の生まれ故郷の近くにある「新町遊廓」跡と配置が酷似している。ジメジメした暗い感じまでもが同じようで少し不快になっていた。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

米子市花園町に残る遊廓建築(その1)

2008年11月22日 | 

私は花園町に入った。太い道路の両脇には「遊廓(赤線も含む)」絡みの建物が何軒か残っていた。

灘町2丁目は昭和10(1935)年に花園町と改称された。こうして「灘町遊廓」が「花園町遊廓」になったのである。花園は楽園を指す。つまり「色街」をあからさまに表現しているのだ。

花園町の元旅館と思われる

「貸し布団店」の斜向いに奇妙な窓を持つ家がある。町内地図から判断するに売春防止法施行後に旅館経営に切り替えた旧妓楼だろう。見た感じでは廃業しているようだ。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする