遊里関連の文献には、大正元(1912)年に置屋や貸席の経営者が「鴨御宮神社かもみおやじんじゃ」の西側一帯(町名が変更される以前の灘町2丁目)に移転して「新地」を作ったと書いてある。
立町の「鴨御宮神社」のことを地元の人達は、ただすさんと親しみを込めて呼ぶ。「糺神社」という名称の方が一般的であろう。
私は坂を上り高い場所にある「糺神社」を見上げた。それから引き返して「日の出湯」という目出度い名のついた銭湯を見落としていたことに気づいた。扇子の模型がなかなか洒落ている。元「花街」はすぐ近くにあると思った。
銭湯の前の道を西に進み二股に分かれる所を右に曲がった。大きな「貸し布団店」が見えて太い通りに出た。「ここで間違いない」と私は呟いた。