寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

広島西遊廓跡を歩く(後編)

2009年09月18日 | 

前述の「続々がんす横丁」の「舟入町」の項には昭和初期の西遊廓に変化が生じたことが記されている。

 西遊廓の貸座敷にダンス・ホールができたのは昭和四、五年か、あるいは七、八年ごろのことである。…昭和十七、八年頃にはだんだんなくなっていった。当局からのお達しで、これらのホールは昔の日本座敷に復元された。

 また、「サービス」という言葉が人の口にのぼって流行したのも昭和七、八年ごろで、ダンス・ホールの流行したころと同時であった。貸座敷の楼主たちが、「スリッパを揃えて、寿座の松つぁん(当時人気のあった下足番)じゃないが、お客のサービスというものをせにゃならん」といったもので、楼主自身が踊りにきた客に香水をふりかけたり、ホールの気分をわきたたせるためにテープを投げたりしたものであった。

 そして「おしぼり」というものを客にだしたのも、このごろが始まりである。社交ダンスというものを始めてやる客の相手は、それぞれ貸座敷の女将がつとめた。

遊廓経営者が莫大な財を費やして貸座敷を改築した動きには新しい物好きの国民性があらわれていて苦笑を禁じえないが、ライバルの同業者に遅れをとらず設備投資をしてお客の関心を引き利益を生み出そうという楼主の思惑がみてとれる。

遊女が稼ぐ花代によって妓楼は益々栄え、周辺の料理屋(台の物を運ぶ)や地回りの用心棒らも恩恵を受けて懐が暖かかったはずだ。そして一番ニンマリしていたのは広島市の税務署である。

今の常識で「遊里」=「悪所」と言い切るのはたやすい。しかし、気の毒な身の上の遊女がいたから経済が発展した一面があることを見落としてはならない。

話をもとに戻そう。2階の窓ガラスに精巧な花びらの細工が施された歴史的建造物(料理屋と酒場が計4軒入って営業)が舟入町に存在する。この建物の先の辻より北側が旧小網町エリア(平和大通りによって分断された南端部)で、更に北進すると「大通りの緑地帯」にぶち当たる。この右手が劇場「寿座(※)」跡になる。また辻を右に折れて電車通りを横断したところに「小網町交番」があった。

戦前の西遊廓は後発の東遊廓よりも格上だったが、敗戦後その地位は逆転して衰微を続け「赤線最後の日」を迎える。歓楽街の中枢は急速に西から東へ(広島駅寄り)と移ったのである。私の学生時代、東遊廓の流れを汲む弥生町のマンションでは秘め事が公然と行われていたが、舟入町や小網町で同様の話は全く耳にしなかった。

※小網町の寿座
 明治三十二年には劇場規則に照らして改築され、名を寿座と改めた。寿座は総坪数七百二十坪(二千三百八十平方メートル)、間口三十三メートル、奥行七十三メートル余、そして定員は千五百三十八人であった。内外ともに木造ではあったが、広いりっぱな舞台をもっていた。戦争中は映画館に転向していた

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島西遊廓跡を歩く(中編)

2009年09月18日 | 

薄田太郎さんは「続々がんす横丁」で「上野」というタバコ屋についてかなり詳しく書いている。よほど思い入れのある店だったのだろうか。

 …以下は土地の古老からうかがった大正から昭和五年にかけての昔話である。

 舟入町に万花園があった。筆者のこども時代の記憶では、霧島の花が庭園に咲いていたことを思いだすが、ぼたんの花も並んでいた。この万花園は後に羽田別荘になったが、この万花園につづいたあたりを二号地といって、西遊廓の前身があった。その二号地については呉市吉浦町在住の読者から次のメモを寄せられた

  「私の懐かしい思い出の一つは、舟入町の二号地です。その当時としては珍しい青白いガス灯が樹々のこずえを照らす下を散歩したが、この界わいの夏の夜は忘れられない光景でした」

 この二号地には、南から北へ向って一本の大通りがあって、両側に貸座敷が並んでいた。万花園の敷地を中心にした二号地の右側に上野というタバコ屋があった。このタバコ屋は、この色街人から喜ばれた湯タンポを貸した店でもあった。この湯タンポについては作家畑耕一さんからも話を聞いたことがあった。遊廓で愛用された湯タンポとなると、そぞろ昔の風情がしのばれてくる。

通りを北に向かって歩き、舟入町が「マンション」で埋め尽くされつつあることを知った。この界わいにまだ「赤線時代の建物」が残っているのは奇跡に近いのかもしれない。

余談になるが、この位置から東に約40m行ったところにかつて「みはらし湯」という銭湯が存在した。戦前の「不夜城」を見事に言い表したネーミングセンスに脱帽だ。遊び人はここで垢を落として迷宮に消えたのである。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする