寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

艮御崎神社に立ち寄る(前編)

2009年09月30日 | 

旧山陽道沿いに建つ石柱。その力強い文字に関心を持った私は柱の裏に回った。「八雲絶唱大雅千古」「一劍掃妖英武萬年」の書は犬養毅によるもので大正十二(※1923)年十月立と記されていた。つまり関東大震災の約1ヶ月後にあたる。この時期、犬養は第二次山本權兵衛内閣の逓信・文部大臣であった。

門柱の裏には「大正十二年十月立 犬養毅書」と刻まれている

どうやらここからが「艮御崎(うしとらおんさき)神社」への参道になるらしい。神社の創建時期ははっきりしないが、少なくとも400年の歴史があることは確かだ。

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かつての川辺宿を歩く

2009年09月30日 | 

大きなカーブを右に回り「川辺宿」に入る。道筋は当時とほぼ同じである。古い家が幾つか残っている。「旧山陽道」を西南に進み「川辺本陣跡」に着いた。跡地は「植村歯科」になっている。私は説明板の文面に目を通した。

川辺宿本陣跡

 川辺本陣は代々難波氏であるが生業は醤油屋であったと言われる。

 川辺本陣は植村歯科医院の付近にあったが、明治26年大洪水で流失し資料も残っていない。兵庫県豊岡市で発見された川辺本陣間取図によると国指定重要文化財の矢掛本陣によく似ている。参勤交代の諸大名の川辺本陣の宿泊率はほぼ同じ40%強で、2ヶ月に1回の割合であったが、高梁川に橋はなく、舟や徒による渡しのため、氾濫があるとしばしば逗留を余儀なくされたことから、川辺宿の賑わいは矢掛を凌いでいたのではないだろうか。

 ‐ 川辺まちづくり推進協議会 ‐

本陣から数十m先に「脇本陣」があったようだ。明治の大水害でかつての町並みが失われたことはまことに残念である。

川辺宿脇本陣跡

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