料亭「羽田別荘」の北側の道を東へ進んだ。この辺りは爆心地から約700mの距離で壊滅的な被害が出た。
料亭を例にとってみると、庭池に面した「四阿(あづまや)」で朝食をとっていた軍人がその下敷きになり真っ暗闇から命からがら這い出して避難した記録が残っている。戦前の豪勢な「遊廓」も同様に焼失したわけで「赤線」として復活するまでは大変な苦労があったと推測する。
ヘンテコリンな造りの「小料理屋」の前で立ち止まり「特殊飲食店街」の微かな残り香を嗅いだ。店の前から「平和大通り」に向かって北に伸びる道を見て「メインはここだな」と確信した。
「西遊廓」は舟入町から小網町にかけて整備されたが、敗戦後に「平和大通り」ができて小網町は南北に分断された。「悪所」に隣接した歓楽街の西新町と西地方町も同様である。