寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

記憶の中の友(後編)

2009年11月18日 | 学生時代

Aはこうも言った。「目新しいことを追うのは誰にでもできる。だから本当に自分がいいと思ったことに関して徹底的に調査して独自の考えをまとめればすばらしいものになるよ」

本を読んで蓄えただけの知識をひけらかす人間は所詮「平面体」である。一方、実施検証をした上で結論を出せる人間が「立方体」というのが私の持論だ。広島市に転居して初めて「奥行きのある人間」に出会った気がした。

「多数派に決して迎合することなく己の考えを論理的にまとめて話す」手法は主にAから学んだ。卒業以来一度も会ってないが、顔を合わせる機会があれば「感謝の念」を短い言葉で表したいと思っている。

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記憶の中の友(中編)

2009年11月18日 | 学生時代

Aの父親が育った家は広島西遊廓跡の近くにあった。そこでは祖母がずっと一人暮らしを続けていた。それゆえ父親は老母の元にAを置こうと考え彼も賛同した。この話を聞いてしばらくして共同生活の場(下宿先)を訪ねた時のことである。彼は意外なことを口にした。

「親父と兄弟は勉強ができたが、俺はさっぱりだったよ」自嘲気味に話したものの悲壮感はまるで無かった。他の同期が「第一志望校に落ちた恨み」をネチネチとぶちまけるのとは違い遥かに「大人」だった。「己の学力」を冷静に分析した上で新天地での生活を謳歌しようと前向きに考えていた。

Aは本を読むことの面白さをさらりと説き、私の関心を引いた。そして東京という街を語る際に「クドさ」を感じさせない点は見事だった。「的確で個人的な感情を抑制した説明」は私の胸に強く響いたのである。

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