小説「門」の冒頭には主人公が妻に忘れた漢字を尋ねる印象的なシーンが出てくる。
宗助は仕立卸しの紡績織の背中へ、自然と浸み込んで来る光線の暖味を、襯衣の下で貪る程味ひながら、表の音を聴くともなく聴いてゐたが、急に思ひ出した様に、障子越しの細君を呼んで、
「御米、近来の近の字はどう書いたつけね」と尋ねた。細君は別に呆れた様子もなく、若い女に特有なけたゝましい笑声も立てず、
「近江のおほの字ぢやなくつて」と答へた。
「其近江のおほの字が分らないんだ」
細君は立て切った障子を半分ばかり開けて、敷居の外へ長い物指を出して、其先で近の字を縁側へ書いて見せて、
「斯うでしやう」と云つた際、物指の先を、字の留つた所へ置いたなり、澄み渡つた空を一しきり眺め入つた。宗助は細君の顔も見ずに、
「矢つ張り左様か」と云つたが、冗談でもなかつたと見えて、別に笑いもしなかつた。
よく使う漢字であるのに忘れてしまった経験は誰しもあるだろう。パソコンで文字を入力し変換して「これだ、これだ」と納得する。
先日、仏壇の前で般若心経を唱えている時に開始早々でつまってしまった。それでやり直したのだが、またつまった。漸く三度目で流れをつかんで最後まで行けた。私は「年は取りたくないもんだ」と言って大笑いした。