瀬田河畔から遊覧船を眺めているうちに周りの騒音が聞こえなくなった。少しだけ無の境地に近づいた気がした。
琵琶湖から流れ出る瀬田川はその後宇治川、淀川と名を変えて大阪湾に注ぐ。私はふと「方丈記」の有名な一節を口ずさんでいた。
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世の中にある人と栖、またかくのごとし。
肉体に寿命があるように、この川そしてこの惑星にも必ず消滅の時がやってくる。万物は所詮無になる運命である。しかし、愚かで強欲な人間はそれを否定しようともがき続ける。穏やかな川の流れは私に仏教哲学の奥深さを説いているようでもあった。
石山駅行きのバスは「石山寺山門前」停留所を5分遅れて発車した。私は心地よい揺れの中で「あの世」について考えていた。十王によって裁きを受け地獄の責め苦を味わう者どもの姿が頭に浮かんだ。そしてもし地獄というものが本当に存在するならば、新政権の香ばしい連中などは間違いなく舌を抜かれるだろうと思ったのである(笑)