寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

レンコンと牛肉の炒め煮

2012年10月07日 | 家飯
旬のレンコンの皮をむき食べやすい大きさに切り酢水にくぐらせて水気をきっておく。牛肉とレンコンを油で炒めて出汁・砂糖・醤油を加えて落し蓋をして煮汁にとろみがつくまで炊く。仕上げに少し酢を落とすと味が締まる。

牛肉の旨みをまとったサクサク、ホクホクのレンコンは最高の飯のおかず。甘辛い味は表面だけなのでかむごとに味の濃淡が楽しめる。

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大正8年に発生した福山大水害(その1)

2012年10月07日 | 郷土史
草戸2丁目の井上タバコ店前から引き返す。旧芦田川は大雨が降るたびに増水して周辺住民を恐怖に陥れていた。

地吹荒神社前交差点から北方を望む

数ある洪水による災害の中で最も有名なのが大正8年(1919)7月5日の野上堤防決壊である。その舞台となったのが現在の地吹荒神社前交差点(現在のバス通りがもと野上堤防)周辺である。

野上堤防の決壊 まず『福山水害誌』によると、次のように記している。
 「雨は七月一日午前十一時より降り始め、三日三晩降り続き四日午後、芦田川の水量増嵩し神辺・横尾方面一帯は既に濁流に呑み尽くされ、福山方面も危険が迫り、本庄野上堤防も警戒を要する事態となった。その後も降り続く中を市・警察・消防・連隊と力を合わせ危険箇所の応急修理に全力を尽くした。しかし、夜になると作業は困難となり、警備は手薄になった翌五日午前三時半頃に至り、草戸鷹取橋畔の量水標は十三尺七寸という未曾有の増水となった。このとき対岸草戸新涯は堤防数箇所決壊するところとなり、また干潮時刻とも重なり、おりしも雨は止み、こうしたことから水量は急速に減じ、一同胸を撫で下ろした。
 しかるに午前四時三十分、上流より家一軒の藁葺屋根が流れて来て、野上堤防に架かる鞆軽便鉄道木橋の東端に突き当たるや激流は遮られ、弱っていた堤防を奔流は突き破り、古宮・古野上・地吹・西霞町と、つぎつぎと洪水に圧せられ連隊も濁流に呑まれた。さらに川口村の三百町歩と人家八百を呑みつくし、内堤防を外に突き破り、そして芦田川堤防も一気に潰し去った。」

『福山市多治米町誌(平成五年)』

野上堤防決壊場所に関する更に詳細な記述が『古野上町内誌 / 佐伯秀三編』にあるので参考までに一部を引用する。

…上流からわらぶきの家が流れて来て、野上堤防にかかっていた鞆鉄道の木橋の東端にひっかかり、激流はこれにさえぎられて右岸に突き当たり水を含んでもろくなっていた堤防はひとたまりもなく突破され、いったんくずれた口はみるみる拡大して、長さ二〇〇mにわたって決壊し、(地吹荒神社から上流)水はどっと町中にあふれ出たのです。

地吹荒神社前からバス通りを北西(競馬場方面とは逆方向)に進むと鉄道橋が架かっていたという古野上(南)交差点が見える。

古野上(南)交差点から北西を望む

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