寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

くれ情報ステーション(広島ホームテレビ制作・毎週月曜日放送)

2012年10月16日 | 日記
城みちる氏の嫁さんが毎回違ったコスプレで登場し呉市の魅力を紹介する情報番組である。4分枠でセンスよくまとめていると思う。テーマソングの「呉市・呉市・大呉市」の替え歌で「ビンゴ・ビンゴ・ガラワールイー」というのがあるのをご存知だろうか。地元の子供が歌っているのを聞いて、あまりに的を射た表現なので爆笑した。

我が街においても一応呉市と同様の番組が土曜日に放送されるのだが、内容はとてもとても…(以下愛のある省略)。番組最後に出るナンタラ標語が街人(まちにん)には非常に不評である。他地域の人間がアレを見てどう思うのかを想像できない時点でアウトだろう。偏向思想の押し付けが実は嘲笑の種になっていることをもっと自覚すべきである。

私は自分を可哀相だと言って泣いたり激昂する輩(悪臭を放つ大根役者)を絶対に信用しない。そういうのに限って視野狭窄的な同族マンセー病に侵されている。

JR福山駅に停車中のサンライナー

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JR山陽本線・沖踏切を通過する普通列車

2012年10月16日 | 日記
東深津町5丁目から見た沖踏切周辺。かつては私の近所も低い土手の上を電車が通過していた。『保存版ふるさと福山(2011年)』に「昭和45年12月、新幹線計画が決定。翌46年2月に工事が着手された。山陽本線・福塩線が高架となり、平面交差がなくなって街が様変わりした。」と書いてあるように、野原で大規模な工事が始まったことはぼんやりと覚えている。

それまで土手の周りは土筆が生え、野原は虫の宝庫で悪ガキ達の遊び場であった。私は野原でコオロギやバッタをよく捕ったものだった(昭和47~48年頃)。山陽新幹線の開通は昭和50年(1975)3月、小学校入学の直前だった。私は福山に新幹線が停まることを心から喜んだ。

田んぼや畑が急激なスピードで失われ家が建ち始めたのはそれから数年後であった。洟垂れ小僧の頃は公園の遊具の上に立てば遥か遠くを見渡せたものだが、もはや叶わぬ夢になっていた。その時ほんのちょっぴり寂しい気持ちをおぼえた。

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