紺屋町(※)に入ると右手に海鼠壁の家が建っている。独特の文様が印象的な菅波歯科医院(福山市神辺町川南)横の狭い路地を西へ進む。
末広湯、ひげ文字が刻まれた石碑の前を通過して蛭田踏切に到る。2つある線路の手前が井原鉄道の井原線、向こう側がJR福塩線だ。
思えば生まれてから福塩線に乗ったのはたったの2回(=1日)である。中学のワル共と福山からはるばる駅家まで遠征したのだ。確か小太りの八(うっかり八兵衛に面も行動もそっくりの同級生)の発案で服部大池へ遊びに行った。その帰りに馬鹿でかい家を見つけて仲間とえらい盛り上がったことだけは覚えている。
余程興奮していたのか、晩飯の際にも城のような御殿を見物した話をして家族一同を苦笑させたのであった。踏切前から寺の広い敷地を見つめていた私は無鉄砲な計画を咎められた日のことをはっきりと思い出した。
※牢屋小路 紺屋町ニアリ(菅茶山編纂『福山志料』より)
末広湯、ひげ文字が刻まれた石碑の前を通過して蛭田踏切に到る。2つある線路の手前が井原鉄道の井原線、向こう側がJR福塩線だ。
思えば生まれてから福塩線に乗ったのはたったの2回(=1日)である。中学のワル共と福山からはるばる駅家まで遠征したのだ。確か小太りの八(うっかり八兵衛に面も行動もそっくりの同級生)の発案で服部大池へ遊びに行った。その帰りに馬鹿でかい家を見つけて仲間とえらい盛り上がったことだけは覚えている。
余程興奮していたのか、晩飯の際にも城のような御殿を見物した話をして家族一同を苦笑させたのであった。踏切前から寺の広い敷地を見つめていた私は無鉄砲な計画を咎められた日のことをはっきりと思い出した。
※牢屋小路 紺屋町ニアリ(菅茶山編纂『福山志料』より)