寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市古野上町の水道局前バス停(鞆鉄)

2012年10月17日 | 郷土史
福山市水道局横、鞆鉄の水道局前バス停の後ろに古野上大師堂がある。お堂の入り口に八十八ヶ所の結願寺(けちがんじ)である大窪寺(香川県さぬき市)の木札が掛けられている。

古野上大師堂(八十八箇所霊場の最終札所)

四国のミニ霊場が市内に点在しているのは一昔前までお遍路さんの旅に出ることが時間的にも経済的も困難であったことを示す。札所全部の場所を調査してはいないが、ここから逆打ちをして歴史の明暗に触れるのも面白いかもしれない。

古野上町の水道局前バス停背後にある地神さん

尾道往還沿いにはかなりの数の地神や石仏が残されている。道路整備などで元の位置からは幾分かずれているのだろうが、村境を知る手がかりである。往還をもう少し西へ歩いていくと右側に緑色のフェンスで囲まれた公園が現れる。その中に川向こうの実業家が社会貢献の一環として寄付した休み石が今も残る。

大正二年二月に設置された休み石

横長の石の表面には「大正二年二月 沼隈郡瀬戸村 安達富五郎設置」の銘がある。休み石の上に寝転がる男女が一瞬刑死者の姿に見えて私は顔を顰めた。

休み石の上に寝転がる男女

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時代に取り残された町に共通する事柄と対策

2012年10月17日 | 日記
広島県に限って言えば米軍の空襲を受けた都市は敗戦後驚くべき復興を遂げた。そして時代の流れに対応して街の姿を変えている。これに対して戦前(明治~大正期)の栄光が霞んでしまう程没落したところがある。明暗を分けた要因とは何だろうか。私は衰退の条件として以下の5つを挙げる。

1.主要な産業(工業地帯など)がない
2.平地が少なくて傾斜地だらけである
3.水運の衰退で港としての機能を完全に終えた
4.山陽本線のルートから遠く離れた不便極まりない地で住民の柄がすこぶる悪い
5.皮肉にも色街の完全否定によって過疎化が急激に進んだ

没落した町が細々と生き残る道は観光くらいしかないのに、方向性が定まらないケースは悲惨である。実は異論反論を封じ込める、いびつなムラ社会こそが最大の癌であることに気づいていない住民。若い者が見切りをつけて出て行くのにはそれなりの理由がある。

大きな箱物や道路を整備すれば人口が増えると考えるのは大間違いで、自分の立ち位置をしっかり認識するところからスタートせねばならぬ。そして柄(≒性根)の悪い田舎町を一人一人が直していこうと努力することが最も重要だ。

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