NW9キャスター犬越健介は7月17日(木)番組内で「在日一世の方たちというのは、韓国併合後に強制連行または職を求めて移住してきた人たちで、大変な苦労を重ねてきた」と発言した。私は一瞬耳を疑った。朝鮮半島から内地への移住の主たる原因があたかも強制連行であったかのような確信犯的言い回しは大問題である。球遊びが好きな男はおそらく鄭大均(ていたいきん)さんの著作を読んでいないと思う。いくら左にバイアスがかかっていても知識があればあんな恥を全国にさらすことはなかった(笑)。怒りを覚えた聡明な若者の為に重要な部分を紹介しておこう。
〈敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力の警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。超満員の列車から日本人を引きずり下ろして、自分たちが占領するといった光景は、決して珍しいものではなかった。くどく言うのは控えたいが、その有様は、かつて居留民団の団長をし、本国の国会議員にもなった権逸氏が、著書『回顧録』のなかで「今もその時のことを思い出すと、全身から汗が流れる思いがする」と書いていることから想像して頂きたい。そうした姿は「朝鮮人=無法者集団」という印象を日本人の胸に強く植えつけた。外国人の指紋押捺制度が一九五五年に採用されたのも、上記のことと関連があった。朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造があまりにも多かったのである。密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせて(脅迫や買収がからむ)それを売ったり、そうした幽霊人口によって得た配給食料をヤミ市場に流すなど、さまざまな不正があった〉(「一日本人の見た戦後日韓関係」『現代コリア』一九九二年一二月号)
ある座談会での大宅壮一の発言を借りるなら、この時代の日本人には、「朝鮮人と共産主義、朝鮮人と火焰ビン、朝鮮人とやみ、朝鮮人と犯罪」を結びつけて考える心の習慣ができあがっていて、それを解きほぐすのは容易なことのようには思えなかった(「在日朝鮮人の生活と意見」『中央公論』一九五二年九月号)。事実、その後、日本人や在日を取り巻く状況は大きく変化したように見えるが、日本人の在日に対する「悪者」や「無法者」のイメージや印象は強度や傾度を弱めながらも、六〇年代や七〇年代の調査にも現れているのである(拙著『韓国のイメージ』中公新書、第一章参照)。
…「加害者」から「被害者」へという在日イメージの転換に最も強い影響を与えたのはメディアの動向であり、具体的には八〇年代以後、日本のマス・メディアが第二次世界大戦中の日本の国家犯罪を語り、在日の犠牲者性を語る過程で、在日は無垢化されるとともに、「被害者」や「犠牲者」の神話が実現していくのである。学校教科書や辞典の類に「朝鮮人強制連行」についての記述が登場するのは八〇年代以後のことである。在日コリアンに対する「悪者」や「無法者」という言説は、今や書き言葉の世界では周縁的なものとなり、政治的に正しくない言説として封じ込められるようになっているのである。
ここで私自身の立場を明らかにしておくと、私が共感するのは「強制連行」論よりは、それに対する批判のほうであり、「強制連行」という言葉の使用には懐疑的である。なぜか。
今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への「労働動員」を指して使われるのが一般的であるが、それをして「強制連行」と呼ぶのは、日本人の加害者性が朝鮮人の被害者性を誇張しすぎているからと思うからである。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック朝鮮人も日本国民の一部を構成していたのだということ、戦時期の日本にはぶらぶら遊んでいるような青壮年は基本的にいなかったのだということを想起されたい。
…そもそも在日一世たちの渡日とはどのような性格のものであったのか。
…森田が他の論文で用いた表現を借りるなら、当時の内地と朝鮮半島の間には「出かせぎ的」に往来する朝鮮人がおり、その数は昭和に入って往復とも各年間十万人を超え、一九四〇年以降は年間二十万人を超えていた(森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店、一九九六、一八頁)。朝鮮人と日本人の間には差別があり、その内地移住には規制があったが、それでもこの時代の朝鮮は日本帝国の一部を構成していたのであり、朝鮮半島の南部に住む人々が、新しい人生をはじめるというときに、機会を提供したのは京城というよりは内地であったのである。
明日から海外出張(笑)という犬越にはぜひとも暇を見つけて本書を読んでもらいたいものである。自民党政権下の茶坊主として生きる彼には以下の文章が最も役に立つだろう。
…かつての日本には不利な立場で生まれてきたがゆえに、他人よりも努力して自分を鍛えるとか、理不尽に向き合う過程で、ある種の奥行きを備えた人間が生まれるという「逆境の効用」とでもいうべき状況もあった。それに比べると、今日の日本に見てとれるのは、コリアンであることを自己表示するや、ある種の権威や権力を得るという状況で、これでは自分をスポイルすることになりはしないか。
より良い生活をするために、私たちは、祖国や日本との関係をどのように変えていったらいいのか。これがおそらくは多くの在日コリアンが共有する関心ごとであると思われるのだが、被害者アイデンティティに身を任せた人間は、前向きの人生を選択しない。…
一応政治部記者上がりなのだから反日一辺倒の女性指導者を直接取材した上で渡日した済州島の人々(一世)が祖国でどのような酷い扱いを受けていたのか、とか李氏朝鮮時代の庶民は肉食とはほとんど無縁の生活水準だったことなども掘り下げていくべきだと思う、巨大なブーメランが顔面にかえって来る前に。
〈敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力の警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。超満員の列車から日本人を引きずり下ろして、自分たちが占領するといった光景は、決して珍しいものではなかった。くどく言うのは控えたいが、その有様は、かつて居留民団の団長をし、本国の国会議員にもなった権逸氏が、著書『回顧録』のなかで「今もその時のことを思い出すと、全身から汗が流れる思いがする」と書いていることから想像して頂きたい。そうした姿は「朝鮮人=無法者集団」という印象を日本人の胸に強く植えつけた。外国人の指紋押捺制度が一九五五年に採用されたのも、上記のことと関連があった。朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造があまりにも多かったのである。密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせて(脅迫や買収がからむ)それを売ったり、そうした幽霊人口によって得た配給食料をヤミ市場に流すなど、さまざまな不正があった〉(「一日本人の見た戦後日韓関係」『現代コリア』一九九二年一二月号)
ある座談会での大宅壮一の発言を借りるなら、この時代の日本人には、「朝鮮人と共産主義、朝鮮人と火焰ビン、朝鮮人とやみ、朝鮮人と犯罪」を結びつけて考える心の習慣ができあがっていて、それを解きほぐすのは容易なことのようには思えなかった(「在日朝鮮人の生活と意見」『中央公論』一九五二年九月号)。事実、その後、日本人や在日を取り巻く状況は大きく変化したように見えるが、日本人の在日に対する「悪者」や「無法者」のイメージや印象は強度や傾度を弱めながらも、六〇年代や七〇年代の調査にも現れているのである(拙著『韓国のイメージ』中公新書、第一章参照)。
…「加害者」から「被害者」へという在日イメージの転換に最も強い影響を与えたのはメディアの動向であり、具体的には八〇年代以後、日本のマス・メディアが第二次世界大戦中の日本の国家犯罪を語り、在日の犠牲者性を語る過程で、在日は無垢化されるとともに、「被害者」や「犠牲者」の神話が実現していくのである。学校教科書や辞典の類に「朝鮮人強制連行」についての記述が登場するのは八〇年代以後のことである。在日コリアンに対する「悪者」や「無法者」という言説は、今や書き言葉の世界では周縁的なものとなり、政治的に正しくない言説として封じ込められるようになっているのである。
ここで私自身の立場を明らかにしておくと、私が共感するのは「強制連行」論よりは、それに対する批判のほうであり、「強制連行」という言葉の使用には懐疑的である。なぜか。
今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への「労働動員」を指して使われるのが一般的であるが、それをして「強制連行」と呼ぶのは、日本人の加害者性が朝鮮人の被害者性を誇張しすぎているからと思うからである。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック朝鮮人も日本国民の一部を構成していたのだということ、戦時期の日本にはぶらぶら遊んでいるような青壮年は基本的にいなかったのだということを想起されたい。
…そもそも在日一世たちの渡日とはどのような性格のものであったのか。
…森田が他の論文で用いた表現を借りるなら、当時の内地と朝鮮半島の間には「出かせぎ的」に往来する朝鮮人がおり、その数は昭和に入って往復とも各年間十万人を超え、一九四〇年以降は年間二十万人を超えていた(森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店、一九九六、一八頁)。朝鮮人と日本人の間には差別があり、その内地移住には規制があったが、それでもこの時代の朝鮮は日本帝国の一部を構成していたのであり、朝鮮半島の南部に住む人々が、新しい人生をはじめるというときに、機会を提供したのは京城というよりは内地であったのである。
明日から海外出張(笑)という犬越にはぜひとも暇を見つけて本書を読んでもらいたいものである。自民党政権下の茶坊主として生きる彼には以下の文章が最も役に立つだろう。
…かつての日本には不利な立場で生まれてきたがゆえに、他人よりも努力して自分を鍛えるとか、理不尽に向き合う過程で、ある種の奥行きを備えた人間が生まれるという「逆境の効用」とでもいうべき状況もあった。それに比べると、今日の日本に見てとれるのは、コリアンであることを自己表示するや、ある種の権威や権力を得るという状況で、これでは自分をスポイルすることになりはしないか。
より良い生活をするために、私たちは、祖国や日本との関係をどのように変えていったらいいのか。これがおそらくは多くの在日コリアンが共有する関心ごとであると思われるのだが、被害者アイデンティティに身を任せた人間は、前向きの人生を選択しない。…
一応政治部記者上がりなのだから反日一辺倒の女性指導者を直接取材した上で渡日した済州島の人々(一世)が祖国でどのような酷い扱いを受けていたのか、とか李氏朝鮮時代の庶民は肉食とはほとんど無縁の生活水準だったことなども掘り下げていくべきだと思う、巨大なブーメランが顔面にかえって来る前に。
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