寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

犬の散歩の目的 

2014年12月06日 | 日記
夕方になると神橋(草戸町5丁目の福山体育館前に架かる小さな橋…幻の福山護国神社の遺構)を行き来する人が急に増える。彼らのほとんどが犬を連れており散歩が目的であることは明らかである。私は神橋の袂で力み始めたダックスフンドの滑稽な動きを交差点から眺めていた。飼い主のオバハンは少し嫌そうな表情を浮かべ小動物の捻り出した「左おねじり」をポリ袋に取った。

水路

愛犬の汚物処理をするのは当然の義務だが、スコップ片手に駐車場から出て来る年寄りが多いのには呆れる。埋めればいいというものではなかろう。子ども以下の所業は条例を制定して厳しく取り締まる以外に手はないように思う。市制100周年を前に民度アップキャンペーンを張る必要があろう。

公園入口

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

倉敷市林・後鳥羽上皇宝塔

2014年12月06日 | 
すぐに熊野神社の玉垣が現れたが、参道右手に標柱が2本立っているので先に確認しておこうと思った。

標柱

小さな池の奥に後鳥羽上皇宝塔(国の重要文化財)は建立されていた。塔の前まで行くとかなり大きいことが分かった。

上皇宝塔

説明板

後鳥羽上皇御影塔
延応元年(一二三九)二月二十二日 隠岐の国にて御鳥羽上皇が崩御遊ばされたが 仁治元年(一二四〇)一周忌に際し、上皇のご供養をするため 覚仁、頼仁両親王(五流尊瀧院中興)が御影塔を建てました。
応仁の乱においては 廟堂・経堂を灰燼にされてしまし御影塔も却火にさいなまれて現在の姿を残すだけとなってしまった。また南側の小さな五輪塔は隠岐の国から上皇のご分骨を携えて来た近侍の墓とも伝えられている。
この宝塔は地盤から宝珠の頂まで五メートル弱あり昭和三十一年 国の重要文化財に指定されている。

修験道総本山 五流尊瀧院

宝塔の周辺地図

井戸の跡

宝塔の近くには「頼仁親王 姿見の井戸」が残っていた。標柱はビサン建設興業(倉敷市藤戸町天城)が寄贈したものである。私は児島に流されこの地で亡くなった親王の心情に思いを馳せ玉垣の方に足を向けた。

にほんブログ村 その他日記ブログ ひとりごとへ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする