日本第一熊野神社木之鳥居跡から更に東へ進むと道がグチャグチャになった。私は周辺をグルグル回った末に民家の間から裏山へ登る道を見つけた。


ゼンリンの住宅地図に記載のある三寶荒神社は民家の少し上に建っていた。手水鉢に裏に昭和十五年九月の刻銘があった。社はこの地区の産土神なのかもしれない。参拝を終えた私は急ぐ必要があった。帰りの電車が到着するのは約15分後、ギリギリ間に合うかは非常に微妙な線である。新興団地(元と場)を抜けて荒神木橋を渡る(背後に見えるのが雇用促進住宅)。


JR木見駅まで全速力で走り何度も足がつりそうになった。大汗を流し階段を駆け上がった所へ岡山行きの普通列車が入って来た。私は「諦めんでよかった」と叫び電車に飛び乗ったのである。



ゼンリンの住宅地図に記載のある三寶荒神社は民家の少し上に建っていた。手水鉢に裏に昭和十五年九月の刻銘があった。社はこの地区の産土神なのかもしれない。参拝を終えた私は急ぐ必要があった。帰りの電車が到着するのは約15分後、ギリギリ間に合うかは非常に微妙な線である。新興団地(元と場)を抜けて荒神木橋を渡る(背後に見えるのが雇用促進住宅)。


JR木見駅まで全速力で走り何度も足がつりそうになった。大汗を流し階段を駆け上がった所へ岡山行きの普通列車が入って来た。私は「諦めんでよかった」と叫び電車に飛び乗ったのである。

