定福寺の西隣に立地する松林寺(福山市本庄町中1丁目25‐4)。通りに面する参道入口は長者町に属する。道はこの先でクランクとなる、所謂遠見遮断だ。
西方からの敵の侵入に備えてわざと見通しを悪くしたもので神辺町にも同様のものがあるが、知名度では長者町の方が低いのではないだろうか。
長者町 現 福山市長者町
福山城下の北西隅、武家屋敷地西町の外側に孤立して位置する町人町。東西の通りを挟んで両側に発達。水野時代福山城下絵図には通りの北側に町名が記され、南側には単に町家とあるが、安政時代福山城下絵図では両側に町名がみえ、さらに南側の東に「長屋町」が生まれている。
当町附近は水野氏が城下町を形成する以前は木之庄と称した地域で、当町はその中心であり、おそらく集落が発達、商工業に従事する町家もあったのであろう。木之庄の長者(荘司)の住んだ場所という意味で町名となったものか。…
『城下町福山 / 村上正名(芦田川文庫 昭和六十一年)』
長者町筋を西へ向かって進むと右手に荒神社(長者町3‐23)がある。参考までに『水野家時代福山城下地図』から長者町付近を拡大したものを載せておく。
西方からの敵の侵入に備えてわざと見通しを悪くしたもので神辺町にも同様のものがあるが、知名度では長者町の方が低いのではないだろうか。
長者町 現 福山市長者町
福山城下の北西隅、武家屋敷地西町の外側に孤立して位置する町人町。東西の通りを挟んで両側に発達。水野時代福山城下絵図には通りの北側に町名が記され、南側には単に町家とあるが、安政時代福山城下絵図では両側に町名がみえ、さらに南側の東に「長屋町」が生まれている。
当町附近は水野氏が城下町を形成する以前は木之庄と称した地域で、当町はその中心であり、おそらく集落が発達、商工業に従事する町家もあったのであろう。木之庄の長者(荘司)の住んだ場所という意味で町名となったものか。…
『城下町福山 / 村上正名(芦田川文庫 昭和六十一年)』
長者町筋を西へ向かって進むと右手に荒神社(長者町3‐23)がある。参考までに『水野家時代福山城下地図』から長者町付近を拡大したものを載せておく。