寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

そろそろ梅雨入りか

2008年06月03日 | 日記
昨日は丸一日雨が降り、今朝もまだぐずついた天候である。畑の野菜はこれで息を吹き返しただろう。近畿が梅雨入りしたと聞いたが、中国地方にも傘を持ち歩く季節がそろそろやって来る。

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梅酒の梅は食べましょう!

2008年06月02日 | 食材

アルコール分をたっぷり含んだ梅は美味しい。幼い頃、母が梅酒を飲んでいるのを見ると必ず大きな梅を貰ったものである。

エキス分が流失してシワシワなった梅はカスみたいなもので、食べるにはひと工夫が必要だが、これはそのままでOKである。

肉体疲労時には薬として梅酒の梅を一つ齧るとよい。

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梅酒の出来ばえ

2008年06月02日 | 日記

一年寝かせた(=実際は放置しただけの)梅酒を試飲することにした。うっすら琥珀色になった酒は梅のエキスがよくでており、酸味が舌を軽く刺激する。まだ丸みはないが、爽やかな梅の風味が楽しめる。夏場はサワーで割って飲むことが多い。

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北大路魯山人という生き方 / 長浜功(洋泉社)

2008年06月01日 | 書籍
本をあまり買わなくなったのは陳列スペースが無くなってきたためだが、ゴミになるのがわかっているものについては立ち読みで済ませて節約するようになった。無駄遣いの愚かさを早くから私に説いていたのは大阪の賢友だった。

書店で本を手にとって感じるのだ、装丁だけはやけに立派だが、中身が詰まらないものが非常に多いと。価格の半分は装丁代かよ、と思えるほどである。単行本の新刊の方がむしろ読み応えがある(笑)

北大路房次郎は相手の欠点を容赦なく叩いたので周りは敵だらけで人間関係がドロドロとしていた。口が災いして絶縁になった例は数多い。つまり、おっかない性格なのだが、遺されたエッセイなどを読み返す度に「本物(=価値あるもの)を見抜く目は確か」だったと思う。

基本的に食材は捨てるところは一つもないと考えろ、うまいところだけ切り取って出しても客はそれは当たり前と思って感激しない、普段なら捨ててしまうところを使ってちゃんとした料理にするから、さすが星岡茶寮ということになる。また、一日昼夜合わせて二百人の客に出す食材の量もバカにはならない。大量のくずを出させるためにお前達を雇ったのではない。一つの食材をすべて使い切るという工夫と心がけこそが新しい料理なのだ

「残肴の処理」(要約) 『星岡』 五四号 一九三五年

この本を買った本当の理由は最近の嘆かわしい風潮に対して著者の痛烈な批判があったからだ。

ただ思うのは現在のグルメ志向の中で料理人・シェフが我物顔で闊歩しているが、そのうち魯山人の目指した料理道を真摯に学ぼうとした者がいるだろうか。

 魯山人が高めてくれた料理人の社会的地位に思いを馳せるような資格のある人間はどれだけいるだろうか。テレビのクルーたちに衛生上の配慮もなく汚れた靴、薄汚い服装のまま厨房をうろちょろさせている料理人やシェフが一人前の顔をしているのをみるにつけ、浮ついた評判に胡坐をかいている現状を憂えざるを得ない。尻馬に乗って魯山人を倣岸呼ばわりする暇があるならば己の傲慢さをまず反省することだ。

 もっと悪質なのは自分ではろくな料理もできない料理評論家の横行ぶりは目にあまる。批評や論評は相手の万分の一の力があれば誰にでもできる。重要なことは批評や論評にどれだけ自分の責任を負えるかということである。いつでも逃げ口を作っておいて高見の見物気分でいい加減な言辞を弄するのは賢しらにすぎる。彼らの無学で無知で厚顔無恥な態度は日本の食文化の荒廃を招くだけである。

誰のことを指しているのかは小学生でもわかる。ゴキブリのように嫌われている卑しい顔つきのおっさんが思い浮かぶ(笑)

わしの悪口を言いたい奴には言いたい放題に言わせておけばいい

こんなことをさらりと言ってのけた魯山人を私は憎めないのである。大物は凡人とは全然違う。

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