矢橋道でバス停の標識を見つけた私は首を捻った。細い道をバスが走るのが不思議だったからだ。後日草津市のホームページを閲覧して市が「まめバス」の運行実験(民間のバス会社に委託)をしていることを知った。運転免許を持たない、あるいは返上したお年寄りなどを支援する取り組みで採算が取れるかどうかを調べているようだ。
まめバス・老上線の矢橋町東口停留所を過ぎるとまた道が分かれる。左手の道の先には林が見えた。矢橋道から外れた時に自転車に乗った初老の男性が通りかかったので声を掛けてみた。

「こんにちは。南草津駅で下車し瓢泉堂から矢橋道を歩いて来ました。あの木が生えている辺りが鞭崎八幡宮ですか。」
「ご苦労様です。矢橋まで歩いて来られる方は珍しい。貴方が歩いているのが八幡宮の裏参道ですよ」
「なるほど。間違ってはいなかったんだ。安心しました。渡し場跡へ向かう前に寄っておきたかったもんで…」
「どちらからいらっしゃったんです?」
「広島県です」
「遠い所からわざわざこちらまで足をのばしてもらって地元の人間として非常に嬉しいですよ。実は私、郷土史を研究してまして、矢橋のガイドマップを作りました。この辺りはすっかり変わってしまったんで今のうちにまとめておこうと思って…」
彼は鞭崎の名のついた所以を丁寧に説明して去って行った。歩き旅の楽しみはこのような偶然の出会いも含まれる。まもなくして八幡宮の裏鳥居が視界に入った。

まめバス・老上線の矢橋町東口停留所を過ぎるとまた道が分かれる。左手の道の先には林が見えた。矢橋道から外れた時に自転車に乗った初老の男性が通りかかったので声を掛けてみた。

「こんにちは。南草津駅で下車し瓢泉堂から矢橋道を歩いて来ました。あの木が生えている辺りが鞭崎八幡宮ですか。」
「ご苦労様です。矢橋まで歩いて来られる方は珍しい。貴方が歩いているのが八幡宮の裏参道ですよ」
「なるほど。間違ってはいなかったんだ。安心しました。渡し場跡へ向かう前に寄っておきたかったもんで…」
「どちらからいらっしゃったんです?」
「広島県です」
「遠い所からわざわざこちらまで足をのばしてもらって地元の人間として非常に嬉しいですよ。実は私、郷土史を研究してまして、矢橋のガイドマップを作りました。この辺りはすっかり変わってしまったんで今のうちにまとめておこうと思って…」
彼は鞭崎の名のついた所以を丁寧に説明して去って行った。歩き旅の楽しみはこのような偶然の出会いも含まれる。まもなくして八幡宮の裏鳥居が視界に入った。


広島県立歴史博物館の辺りにかつて福山葦陽(いよう)高校があった。戦前は県立福山高等女学校(通称:県女けんじょ)という名で藩校の流れを汲む旧制中学校と並ぶ名門であった。
歴史博物館の少し北に位置するふくやま美術館、東横に噴水があり、後ろが庭園で小高い丘に続いている。この丘は小丸山と呼ばれ中腹に福山藩の武家屋敷が移築されている。

旧内藤家(阿部家家臣)長屋門は弘化3年(1846)の建築とされ市の重要文化財である。しかし、説明板は色褪せ、おまけに地図も昭和40年代のままとなっており観光客は良い印象を持たないだろう。一市民として恥ずかしく思う。こういうところにこそ予算を回すべきだ。

長屋門近くには藩校関係者の江木鰐水と寺地舟里の石碑が寂しく建っているが、こちらの方にも矢印付きの標識を建てるなどして光を当てて欲しいものだ。過去を蔑ろにする人間は今も蔑ろにしているのに等しい。

歴史博物館の少し北に位置するふくやま美術館、東横に噴水があり、後ろが庭園で小高い丘に続いている。この丘は小丸山と呼ばれ中腹に福山藩の武家屋敷が移築されている。

旧内藤家(阿部家家臣)長屋門は弘化3年(1846)の建築とされ市の重要文化財である。しかし、説明板は色褪せ、おまけに地図も昭和40年代のままとなっており観光客は良い印象を持たないだろう。一市民として恥ずかしく思う。こういうところにこそ予算を回すべきだ。

長屋門近くには藩校関係者の江木鰐水と寺地舟里の石碑が寂しく建っているが、こちらの方にも矢印付きの標識を建てるなどして光を当てて欲しいものだ。過去を蔑ろにする人間は今も蔑ろにしているのに等しい。

