寮管理人の呟き

偏屈な管理人が感じたことをストレートに表現する場所です。

福山市笠岡町・大黒座感謝の映画祭

2014年07月24日 | 日記
この夏で大黒座が閉館する。生粋の福山人にとっては寂しい話だが、時代の流れである。ありがたいことに私にとっての懐かしの名作も上映されることが決まった。


上映内容


市民が綴った大黒座の想い出の数々を読んでみたいし、復活したキッチンふじのカツサンドも気になる。久々に映画館に足を運び昭和という時代を静かに振り返ってみようかな。

千秋楽

映画館

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福山市中心部では更地がすぐに有効利用される

2014年07月24日 | 日記
連休中、廃川地(西の川)の調査を終えて地吹町を通過する際に森本製材所が無くなっていることに気付いた。

製材所跡地

夕涼みをしていた近所の婆さんは「4月まで製材所はあった。跡地は老人介護関係の施設ができるらしい」と教えてくれた。製材所は新浜町1丁目に移転したとのことである。

三菱電機福山製作所独身寮建設中

野上町2丁目の三菱電機福山製作所の野上独身寮の建て替えは着々と進んでいるし、入船町1丁目のエディオン福山新本店も完成に近づきつつある。市中心部では更地のまま長く放置されることはまずないと言ってよい。

エディオン福山新本店

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大暑に食べるゴーヤのお浸し

2014年07月23日 | 家飯
今日の最高気温は約33度。アスファルトの照り返しを考えると街中では35度を超えただろう。汗をかいた体は酸味と苦味のきいた食品を求める。というわけで早速一番簡単なゴーヤ料理が食卓を飾った。

ゴーヤは縦半分に割り白いわたをスプーンでこそげ取り5mm幅に切る。塩もみして汗をかくまで置き熱湯で30秒程度茹でる。続いてゴーヤを氷水に移して急冷しよく水を切る。器にふんわり盛っておかかをのせてポン酢をかけて出来上がり。ちょっとだけ苦味が残るゴーヤはシャキシャキで見た目も涼しげである。うだるような暑さを少しの間忘れることができた。

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福塩線寄り道スタンプラリー

2014年07月22日 | 日記
JR福山駅では昨日福塩線開業100周年記念列車の出発式があり午前中の早い段階で寄り道スタンプラリーの台紙(兼プレゼント応募用紙 期間は10月末日まで)が印刷されたリーフレットの在庫がゼロになっていた。

スタンプシート

主要な駅の間に位置する備後本庄駅や横尾駅がクローズアップされることはほとんどないが、輪行という形の観光を今後紹介していけば面白いと思う(備後本庄駅→山手橋→旧西国街道→赤坂→神村→今津、横尾駅→鶴ヶ橋→御幸→郷分→駅家→芦田)。旧街道は信号が少ないので意外に早く回ることができるし名所も多い。疲れたら無理をせずに予定を変更して最寄り駅から電車で帰るのがベストかな。

JR福塩線

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福塩線開業100周年記念列車に乗る(後編)

2014年07月21日 | 郷土史
記念列車は福山駅の8番乗り場でフラッシュライトを浴びていた。脚立の上でカメラを構えている内の一人が四流新聞社の回し者であった(笑)。私は今年1月の井原線無料DAYの混み様を想像していたのだが、あっさり外れた。ほどよい乗車率だ。

出発

車内の様子

電車は定刻(午前9時38分)に出発した。ホームにいた関係者らが乗客に手を振り見送ってくれた。広島ホームテレビの社員は小型のビデオカメラを持って扇風機のある方へ進んでいった。私は次の駅で下りた。雰囲気を味わえればそれで良かったのである。もっと先ではローズふくやまが緑色の分厚い特別切符を配ったらしい(Jステーションでは車内の映像が流れていた)

記念列車

人生で福塩線を利用したのはこれで三回目。市民の中でも全く乗ったことがない人は結構多いと思われる。観光等で利用してもらうためにも更なるPRが必要であろう。

駅の貼り紙

福塩線の駅

記念式典は府中駅の方でも盛大に執り行なわれていた。私は小さな備後本庄駅の無人改札に切符を放り込み、かつて市営と場があった辺りを通り抜けた。

公園

高架沿い

備後本庄駅から福山駅まではおよそ1.8kmである。高架をくぐってからは何も考えずに東へ進めばいい。福山駅までの所要時間は25分だった(徒歩)。駅構内の二上り踊りの人形を撮影して緑の窓口の右端をのぞくと記念入場券はまだ売られていた。

駅構内

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福塩線開業100周年記念列車に乗る(前編)

2014年07月21日 | 郷土史
JR福山駅には午前8時半に到着すればよいと思っていたのは大きな間違いだった。既に駅北口には長蛇の列が出来ていた。この人達は福塩線開業100周年の記念入場券(福山駅の割り当ては500。1セット700円で購入数制限はなかった)を買うために集まっていたのである。私の後ろには鉄道マニアが2人いてえらい詳しい話をしてくれ大いに勉強になった。

駅北口には長蛇の列

みどりの窓口前

緑の窓口前に移動したのが9時17分。買えるかどうか心配だったが、大量購入者がいなかったので助かった。入手した入場券は200番台後半だった。

記念入場券

記念入場券2

記念列車が出発するまであと10分。急いで切符を買い改札を抜け階段を上り福塩線の乗り場へダッシュした。

記念列車

記念列車のヘッドマーク

8番ホームはすごい人だかりである。とりあえずヘッドマークを撮影しておいた。記念式典(出発式)はまさに終わろうとしていた。

記念式典終了

電車に急いで乗り込むと何と後からローズふくやまが入って来た。乗客の熱い視線を浴びた彼女は困惑気味の表情を浮かべていた。車内には他に広島ホームテレビの男性などがいた。

ローズふくやま

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マナガツオ真子の煮物

2014年07月20日 | 食材
マナガツオ(真名鰹)は鰹とは全然違う。マンボウを小さくしたような、とぼけた容姿はかわいらしくもある。マナガツオの料理では焼き物(味噌漬け)が最も有名だが、瀬戸内では鮮度の良い物を刺身にして食べる(ただし値は張る)。

マナガツオを捌いて驚くのは内臓がほとんどないことだ。だからこのような真子をはらむのはかなりの大物だと言える。卵はきめ細やかで上品な味わい。好みの問題だが、私はタラコよりも上だと感じた。

真子の煮付け

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福山市内の女子中学生の行為からうかがえる民度の低さ

2014年07月19日 | 日記
二人乗りをする女子中学生。パンツの色からドン中だとわかる。場所はエディオン福山新本店東側の歩道(何と斜向かいが東警察署)。夏の交通安全運動の最中、大胆というか愚かというか…。福山の民度を示す光景に苦笑したのは私だけではなかった。

エディオンの最上階から建設作業員が頭を出して彼女たちを呆れ顔で見つめていたのだ。通用口に立っていた警備員のおっちゃんが「8月4日が建物の検査なんでえりやー急いどるんですわ」と現場の様子を教えてくれた。秋にはオープンするということかな?

国道2号線

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在日・強制連行の神話 / 鄭大均(文春文庫 平成16年)

2014年07月18日 | 書籍
NW9キャスター犬越健介は7月17日(木)番組内で「在日一世の方たちというのは、韓国併合後に強制連行または職を求めて移住してきた人たちで、大変な苦労を重ねてきた」と発言した。私は一瞬耳を疑った。朝鮮半島から内地への移住の主たる原因があたかも強制連行であったかのような確信犯的言い回しは大問題である。球遊びが好きな男はおそらく鄭大均(ていたいきん)さんの著作を読んでいないと思う。いくら左にバイアスがかかっていても知識があればあんな恥を全国にさらすことはなかった(笑)。怒りを覚えた聡明な若者の為に重要な部分を紹介しておこう。

〈敗戦直後の在日朝鮮人は、敗戦国の無力の警察を嘲笑しつつ、暴力と脱法行為で虚脱状態の日本社会を我がもの顔に横行した。超満員の列車から日本人を引きずり下ろして、自分たちが占領するといった光景は、決して珍しいものではなかった。くどく言うのは控えたいが、その有様は、かつて居留民団の団長をし、本国の国会議員にもなった権逸氏が、著書『回顧録』のなかで「今もその時のことを思い出すと、全身から汗が流れる思いがする」と書いていることから想像して頂きたい。そうした姿は「朝鮮人=無法者集団」という印象を日本人の胸に強く植えつけた。外国人の指紋押捺制度が一九五五年に採用されたのも、上記のことと関連があった。朝鮮人による外国人登録証明書の不正受給や偽造変造があまりにも多かったのである。密航者のための登録証偽造や、実在しない人間の登録証を役所に作らせて(脅迫や買収がからむ)それを売ったり、そうした幽霊人口によって得た配給食料をヤミ市場に流すなど、さまざまな不正があった〉(「一日本人の見た戦後日韓関係」『現代コリア』一九九二年一二月号)

 ある座談会での大宅壮一の発言を借りるなら、この時代の日本人には、「朝鮮人と共産主義、朝鮮人と火焰ビン、朝鮮人とやみ、朝鮮人と犯罪」を結びつけて考える心の習慣ができあがっていて、それを解きほぐすのは容易なことのようには思えなかった(「在日朝鮮人の生活と意見」『中央公論』一九五二年九月号)。事実、その後、日本人や在日を取り巻く状況は大きく変化したように見えるが、日本人の在日に対する「悪者」や「無法者」のイメージや印象は強度や傾度を弱めながらも、六〇年代や七〇年代の調査にも現れているのである(拙著『韓国のイメージ』中公新書、第一章参照)。
 …「加害者」から「被害者」へという在日イメージの転換に最も強い影響を与えたのはメディアの動向であり、具体的には八〇年代以後、日本のマス・メディアが第二次世界大戦中の日本の国家犯罪を語り、在日の犠牲者性を語る過程で、在日は無垢化されるとともに、「被害者」や「犠牲者」の神話が実現していくのである。学校教科書や辞典の類に「朝鮮人強制連行」についての記述が登場するのは八〇年代以後のことである。在日コリアンに対する「悪者」や「無法者」という言説は、今や書き言葉の世界では周縁的なものとなり、政治的に正しくない言説として封じ込められるようになっているのである。

 ここで私自身の立場を明らかにしておくと、私が共感するのは「強制連行」論よりは、それに対する批判のほうであり、「強制連行」という言葉の使用には懐疑的である。なぜか。
 今日「強制連行」と呼ばれる歴史事象は、戦時期の朝鮮人に対する朝鮮から日本本土、樺太、南方地域への「労働動員」を指して使われるのが一般的であるが、それをして「強制連行」と呼ぶのは、日本人の加害者性が朝鮮人の被害者性を誇張しすぎているからと思うからである。当時の朝鮮半島は日本帝国の一部であり、エスニック朝鮮人も日本国民の一部を構成していたのだということ、戦時期の日本にはぶらぶら遊んでいるような青壮年は基本的にいなかったのだということを想起されたい。

 …そもそも在日一世たちの渡日とはどのような性格のものであったのか。

 …森田が他の論文で用いた表現を借りるなら、当時の内地と朝鮮半島の間には「出かせぎ的」に往来する朝鮮人がおり、その数は昭和に入って往復とも各年間十万人を超え、一九四〇年以降は年間二十万人を超えていた(森田芳夫『数字が語る在日韓国・朝鮮人の歴史』明石書店、一九九六、一八頁)。朝鮮人と日本人の間には差別があり、その内地移住には規制があったが、それでもこの時代の朝鮮は日本帝国の一部を構成していたのであり、朝鮮半島の南部に住む人々が、新しい人生をはじめるというときに、機会を提供したのは京城というよりは内地であったのである。

明日から海外出張(笑)という犬越にはぜひとも暇を見つけて本書を読んでもらいたいものである。自民党政権下の茶坊主として生きる彼には以下の文章が最も役に立つだろう。

 …かつての日本には不利な立場で生まれてきたがゆえに、他人よりも努力して自分を鍛えるとか、理不尽に向き合う過程で、ある種の奥行きを備えた人間が生まれるという「逆境の効用」とでもいうべき状況もあった。それに比べると、今日の日本に見てとれるのは、コリアンであることを自己表示するや、ある種の権威や権力を得るという状況で、これでは自分をスポイルすることになりはしないか。

 より良い生活をするために、私たちは、祖国や日本との関係をどのように変えていったらいいのか。これがおそらくは多くの在日コリアンが共有する関心ごとであると思われるのだが、被害者アイデンティティに身を任せた人間は、前向きの人生を選択しない。…

一応政治部記者上がりなのだから反日一辺倒の女性指導者を直接取材した上で渡日した済州島の人々(一世)が祖国でどのような酷い扱いを受けていたのか、とか李氏朝鮮時代の庶民は肉食とはほとんど無縁の生活水準だったことなども掘り下げていくべきだと思う、巨大なブーメランが顔面にかえって来る前に。

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再掲載・第6回8.6広島平和ミーティング「ヒロシマ反核平和の終焉Ⅱ」

2014年07月17日 | 日記
既存の被爆者団体(左巻き)とは全く違った考えを持つ人達の話をメディアは決して報道しようとはしない(売国有料放送が筆頭株で産経は例外)。理由は簡単である。賢い国民に都合の悪い情報を知られて突っ込まれることを恐れるからだ。この事実をより多くの人に伝えたいがために以前の記事を再掲載する。ちなみに私は主催者側からはびた一文も貰ってはいない(笑)

8月6日、広島市に田母神俊雄さんを招いての講演会は今年で6回目を数える。私は第1回第2回第3回に参加したが、お金を払っただけの価値はあった。この6年で社会は大きく変わった。悪魔の政権交代が起こり、新たな広島県知事及び広島市長が誕生した。並の知能を持つ国民は気付いたはずである。「思想が極端に偏った人物が長くトップに留まると碌なことはないのだ」と。

さて今回の目玉は軍事ジャーナリストの井上和彦さんがもう1人の講師として選ばれたことだ。関西の某テレビ討論番組ではユーモアを交えて似非文化人を叩きまくることでも知られる。ゆえにリアルな安全保障の話は必聴でおそらく満員の会場では何度も歓声が沸くだろう。

チラシの裏に印刷された『平和と安全を求める被爆者たちの会』による「憲法盲従平和主義のもたらすもの」から一部を紹介しておく。

 夥しい数の人々を無差別に殺害した原爆投下から69年が経ちました。…学校では、武器を置き、戦いを放棄すれば平和が約束されるのだと教わってきました。しかし「専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から除去しようと努めている」はずだった国際社会は、その本当の姿を露わにしてきました。…中国は…南シナ海ではフィリピンを始めとする周辺諸国に露骨な圧迫を加えて身勝手な領海拡張をしています。尖閣諸島では毎日のように領海侵犯を繰り返しています。…ウクライナでは謎の武装部隊がウクライナ軍を制圧してクリミア半島がロシアに奪われました。…武器を置いたクリミアでは領土が奪われました。武器の無いシリアや南スーダンでは命が奪われました。尖閣諸島では海保の力は限界に近づいています。戦いを放棄すれば尖閣は奪われ、さらなる侵攻を招きます。…竹島は依然として武力で不法占拠されたままです。

 …力なくして安全無く、安全無くして平和はありません。…「憲法盲従平和主義」がどういう結果をもたらすかは既に明らかです。
 憲法を通して世界を見るのではなく、世界の現実から憲法を見ることだけが正しい態度です。スイスでは、…「われわれは、受け身に立って逃げ回る権利など与えられていない。あらゆる事態の発生に対して準備せざるを得ないのが、最も単純な現実なのである」と教えられています。私達が目を覚ます時、それは今でしょう。

茹で蛙になるのが嫌な聡明な学生は1000円のチケットを入手して既存のメディアが報道しない話を聞き給え。そして「左おねじり」と嘲笑される下腹の出た中高年とは距離を置き給え。

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福山市立大学オープンキャンパス2014

2014年07月17日 | 日記
本当にいい時代になったものである。大学が学生確保のためにキャンパスを2日間(7月19日と20日)開放して受験生を対象に懇切丁寧に説明するのだ。私が高校生の時は全部自分で調べるのが当たり前だった。象牙の塔は「お前ら、しっかり学力つけてから来い」といった余裕の態度であったことを思い出す。

とにかく先輩になるかもしれない人から内部情報を聞くことができるのはありがたい。広島県以外からもかなりの高校生(や浪人生)がやって来るのだろう。第一希望の入学者が増えるかどうかはプレゼンする側の力量(ウィット)にかかっている。

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ニラの香りが漂う玉子焼き

2014年07月16日 | 家飯
ニラをたくさん入れた玉子焼きはバテ気味の体に効きそうだ。ニラの香りがプンプン漂うように細かく刻み卵液と合わせて焼き上げる。酒肴なので砂糖の添加はあくまでも控えめにし塩で味を調える。出汁巻風にしたい時には少量の片栗粉を加えると素人でも失敗しにくい。美しく作るにはただ練習あるのみだ。

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福山市の国道313号・三吉町南2丁目交差点からエディオン福山新本店(建設中)を望む

2014年07月16日 | 日記
国道313号・三吉町南2丁目交差点(三吉南陸橋の上)からエディオン福山新本店を望む。既に東側には壁が出来て大きな看板がいくつも取り付けられている。参考までに同じ場所から5ヶ月前に撮影した写真を掲載しておく。

5ヶ月前の現場

安全を重視した日本の建設技術は本当に大したものだと思う。そしてそのスピードの速さにも驚かされる。国道2号線以外の角度から現場を見ると様々な発見があって面白い。

国道2号線の南側より見た新本店

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きゅうりと本しめじの塩焼きそば

2014年07月15日 | 家飯
蒸し暑い日には冷たいビールで喉を潤しながら塩味の焼きそばが食べたくなる。胡麻油で具材と蒸し麺(そば)を炒めて鶏ガラスープを加え塩と黒コショウで味を調える。最後にレモン汁をまわしかけさっぱりした風味に仕上げる。千切りにしたシャキシャキのきゅうりが抜群の存在感を示す夏の逸品だ。

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キリンビアパーク岡山の工場見学と試飲(要予約)

2014年07月14日 | 日記
JR山陽本線万富駅の南西にキリンビアパーク岡山(岡山市東区瀬戸町万富678)はある。キリン広島ブルワリーを何度も訪れている私は車窓から岡山工場を見る度に「行ってみたいな」と思うのだ。

岡山工場は昭和47年(1972)創業。当時はキリンのラガーがトップシェアを誇っていた。私が大学に入った年にスーパードライが発売されて状況は一変する。苦味はほどほどでキレのあるビールが人気を集めて主流となった。キリンが対抗商品として一番搾りを市場に投入するのはそれから数年後のことである。

今や第3のビールやノンアルコールビールもブランドとして認識されるに至ったが、最も美味しいのは当然普通のビールだ。吉野川の水を使って製造した新鮮な生ビールをぜひ現地で飲んでみたい。

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