久々に本を買った。池田さんのつけたタイトルがいいので(笑)。著者の学生時代の話はある意味悲喜劇だ。マルクス主義に強い影響を受けたという回想には
ゼネレーションギャップを感じるが、70年代のキャンパスライフを理解する上では興味深い記述が多い。進歩的文化人の消滅からインターネットの普及までの流れについては次のようにまとめている。
学生運動が華やかだった六〇年代までは、大学生はまだエリートだった。アラブの「ジャスミン革命」でも見られるように、発展途上国では学生が知識人として大衆を指導することが多い。六〇年安保は、そういう典型的な「途上国型」の運動だった。しかし今では大学進学率が五〇パーセントを超え、私立大学の半分以上が定員割れだ。
このような知識の大衆化が知識人の劣化の最大の原因だろうが、それは地方では多くの大衆が情報ネットワークを通じて自由な言論活動ができるようになったことを意味する。かつては街頭デモや暴力によって発散させたエネルギーを、今ではインターネットが発散させているのかもしれない。
私が最も笑ったくだりは
団塊と眠巣の関係である。賢そうに見えて実は愚か、不用意な発言で墓穴を掘り続ける連中、まさに嫌悪の対象だ。
団塊世代の特徴は新憲法バイアスである。生まれたのが終戦直後だから、戦争は絶対悪で、平和憲法は人類の理想だという教育を子供のころから受けた。自民党は大資本とつながっていて、大資本は帝国主義の元凶だから、戦争は資本主義があるかぎり必然だ。
したがって戦争をなくすためには、資本主義を廃絶するしかない。それが過激化すると連合赤軍のような武装闘争になるが、べ平連のような市民運動にも共通の感覚だった。つまり民主党政権の中枢にいるのは、資本主義=悪だと信じて、それをなくすことを最終的な目的にして人生を過ごしてきた人々なのだ。
もう一つの特徴は、民主党の場合は朝日バイアスである。子供のころから優等生として(やや高級な)朝日新聞を読み、世の中より少し進歩的な意見をもち、政府を批判することがインテリの条件だと思っている。民主党の国会質問を聞くと、朝日新聞とそっくりの言い回しがよくある。
人生の途中で彼らはその間違いに気づいただろうが、それを認めることは自分の人生を否定することになる。
池田さんはあえて触れていないが、サヨクの反政府(≒反日)運動の裏には非国民が常にいることを忘れてはいけない。知的レベルの高い若者こそが読むべき本だ。
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