(ああ、夜が明ける@R116長岡市寺泊)
夜通し走って、どこぞの街の道の上で朝日を拝むのもこれで何度目か。この日の朝日は、長岡市は寺泊のR116上から。今回の24時間ミッション、最初は「飯山線の夏風景でも撮りに行こうかな」なんて思って湯沢からR353のいつものルートを真夜中の森宮野原へ向かったのですが、滞泊が2台とも一般色でガッカリ。ここに飯山色がいないとAMはあまり面白くないので、R117を十日町に引き返しR252で柏崎へ。真夜中の柏崎刈羽原発を見ながらR352で真っ暗な日本海を横目に道の駅出雲崎にて仮眠。日本海の海風が涼しくて、クソみたいな関東の熱帯夜を一時でも忘れられましたね。
今回は、飯山線から一転新潟近郊の都市間輸送を頑張る115系に会いに来たのですが、現在僅かに残る運用は越後線を中心に回っているという事なので、まずは越後線の基幹駅である吉田駅にやって参りました。広い車寄せのロータリー、駅舎へ上る僅かな石段、サッシの引き戸。横長の素っ気ないが機能美に優れた2階屋が、地方都市の国鉄の駅らしさ満載。駅裏のビジホの看板もポイント高い。
駅の南北を結ぶ跨線橋からホームをのぞき込むと、おお…いたいた。通称「キムワイプ」こと緑グラデーションのN33編成に、日本海のブルーを意識した第三次新潟色のN34編成。どっちかが越後線、どっちかが弥彦線の運用でスタートする、らしい(笑)。…と意気込んでみても、よくよく考えたら115系な訳で、10年前まで遡らなくとも5年前くらいまではありふれた車両ではなかったかなと。新潟色の115系とか、18きっぷで旅をすれば水上まで顔を出してましたもんね。
青グラデーションのほうに灯が入り、コンプレッサーの音が心地よく構内に響く。時間的には、この車両が越後線に向かう模様。関東もんにとっても、豊田の山スカこと115系はなじみの存在でしたし、平成24年ごろに豊田の115がいなくなっても長野のは高尾にいたし、高崎周辺では両毛・吾妻・上信越線は新前橋の115が担当してましたし、そんな慌てる物件でもない…はずでした。が、淘汰すると決めてからの片付けの速さは天下一品のJR東。あっという間にトタもナノもタカも115系がいなくなった。更新工事で延々と国鉄物件を使い続けるJR西とはえらい違いで、そんないつもの車両がいなくなる時に、いつだって鉄ヲタはその愛おしさに気付くものだ(懲りない葬式鉄の言い訳)。
平成19年頃の長岡駅の一コマ。信越線も上越線もみんな115系。この当時はこれが当たり前で、誰がカメラを向けるでもないような、日常に溶け込んだ車両ではありました。高崎から新津までひたすら115系を乗り継ぐという単調極まりない旅は、新津で泊まって新津温泉に入り、翌日はSLで会津若松に抜けつつ485系の会津ライナーで郡山へ向かい、そっから701系地獄で関東へ帰って行った記憶がある。
115系を主体に撮影する日が来ると言う時点で、撮りモノ不足のこの趣味界隈の煮詰まり切りを象徴するような状況と言えないこともない。だけど、それをメンチ切って言ってしまうと悲しくなるし、何より115系に失礼千万だ。カラバリ豊かな新ニイの115系はファンの多い車両ですし、難しいことは考えずに一日愉しむとしましょうか。国鉄モデルの近郊型電車を愛でる時間は、幸いなことにまだ若干の余裕がありますからね。