(コバルトラインから俯瞰する女川湾@平成19年GW)
どんだけの津波が押し寄せたか想像も付かないほど穏やかな春の女川湾です。
山小屋氏と金華山に行ったんだっけかな。
震災以降、現時点では何も被害を受けていないにも関わらず、自分の中でこう喪失感が大きいと言うか何をするにもちょっと上の空になってしまってていかんなあと思う。会社関係でも取引先で仙台の営業所が流されてしまったとかの話を聞いたりすると、今まで生きて来てここまで身近になった自然災害って初めてだなあと思わざるを得ない。そして地震以降なんかずーっと体が揺れているような感覚…地震酔い?みたいな症状が出ていてちょっと気持ち悪いのです。
乳幼児に水道水を飲ませてはいけないだとか言われてしまうと、ホントヨメさんと子供だけ西日本に疎開させてしまおうかと考えたりしなくもない。トーデンが悪いとか空き缶が使えないとか今は言う気もないから、とにかく原発は事態の収束と被災地の復興に向けた動きを少しでも速めていただくしかないんですがね。米や果物で日本の食料需給を支えて来た福島県、首都圏の農産物の一大供給地であった茨城県。放射線の影響が長引くようでは農家は農地を放棄し、東日本の農業は壊滅してしまうだろう。今年はコメの作付けも悪いだろうなあ。
福島県の浜通り地方ってのは私が東北方面へ出掛ける時のメインルートでして、何度も何度も通っているので思い入れも深かったりします。常磐道の四倉PAにある「よつくら亭」ってメシ屋はいわきの地魚を使ったメニューが豊富で行きつけの店でした。常磐富岡ICを降りたところのローソンで必ず一服してました。原発の近くにある「天神岬しおかぜ荘」の温泉は眺めが良かった。夜ノ森駅前の桜祭りにも行った事がある。県道沿いの折木とか岩井戸とか玉の湯とか渋くて小ぢんまりした温泉宿にも行った事がある。
今や四倉PAには東京消防庁の化学消防車が大挙して押し寄せ、楢葉、双葉、原ノ町がゴーストタウンと化した。
浜通りだけじゃなく、東北地方の太平洋岸のあまりの惨状は、自分の知ってる風景が変わり果てたと言う点で物凄い喪失感を覚える。
部外者である私にしてこうなのだから、地元の人はいかばかりか。