青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

三方に 劔を磨き 待つ駅舎。

2022年07月24日 10時00分00秒 | 北陸鉄道

(学生列車@北鉄石川線)

土曜日の午後、鶴来方面へ下って行く北鉄電車は、乗客の9割が学生という客層。新西金沢からJR乗り換え組が加わり、ほぼ座席が埋まったような状態で野々市市郊外を下って行く。野々市、馬替、額住宅前、四十万あたりの乗降が多かったですね。ワンマン運転なので、下車する乗客の運賃回収もそこそこ。学生でも定期を持ってない現金客がそれなりにいた辺り、部活の対外試合とか校外練習みたいな理由で電車を使っていた子も多かったのかな。

駅に着いて電車を降りる際、精算に時間のかかる学生さんはあんまり電車に乗り慣れてないと見えて、整理券を引いていなかったり両替をしていなかったり。現金での電車の乗り方って、正直普段から利用してないと今の若年層は分からないかもね・・・思えば自分の子供だって、電車やバスはチャージしたカードで乗るものだと思ってるし、そもそも大抵の子供がキップの買い方なんてのも分からないだろうからなあ。北鉄もバスはICカードが導入されてるんですが、「Ica(アイカ)」と呼ばれる北鉄独自のカードで、いわゆるSuicaのような全国共通のICカードとは互換性がありません。地鉄の「えこまいか」みたいなもんか。鉄道に至っては有人駅しかカードリーダーが置いてないので、ワンマン運転の途中無人駅では、結局現金精算しか方法がないのが現状。

四十万駅を出た辺りから、沿線風景は住宅街から手取川用水によって灌漑された田園地帯に変わって行き、学生の数も徐々に減って来た。田園の中の交換駅、道法寺駅。以前は白山山麓の山襞に沿って、鶴来から先も加賀一の宮から白山下方面へ金名線(きんめいせん)が伸びていたんですが、北鉄石川線の旅ももうすぐ終点。

野町から30分、終点・鶴来駅に到着。この鶴来は、かつては寺井から伸びていた能美線と、手取川の谷に沿って南の山間部に分け入り、白山下まで走っていた金名線の3線が乗り入れた交通の要衝でした。昭和の時代、特に加賀石川で権勢を奮った北陸鉄道、戦後間もない頃は鉄軌道線を合わせて150km弱の路線網を持っていたそうで、羽咋からの能登線、金沢からの金石(かないわ)線・金沢市内線、寺井からの能美(のみ)線、鶴来からの金名(きんめい)線、新小松からの小松線、大聖寺からは山中線、動橋からの山代線、粟津からの粟津線・片山津線が走ってたというのだから恐れ入る。南・北・西と三方の守りを固めていた鶴来の駅は、今でも僅かだけ白山下方面への線路が引き上げ線代わりに残っていて、まだレールが続いているように見えなくもない。そういう意味では終着駅と言う感じの薄い駅です。

木造瓦葺二階建て、北陸鉄道の社紋が燦然と輝く鶴来駅の駅舎。主幹駅らしい流石の風格です。旧鶴来町(現・白山市)の中核駅で、駅前には役場もあります。が、行政の中心点が賑わっているとは必ずしも言えないようで、駅から少し南に離れた金劔宮(きんけんぐう)の周辺に開けた門前町が、鶴来の街としての中心部になるようです。おそらく、この金劔宮の「劔」の部分が「鶴来」の由来なのでしょうね。なかなか時間がなくて街の方まで行ってらんなかったんだけど、めったに来ない町なんだからお社さんくらいにはお参りしても良かったか・・・なんて今更ながら思う。暑いのと腹減ってたので、町まで歩く気力がなかった(笑)。

土曜の午後、静かな鶴来駅前。金名線の廃線跡を辿って、北鉄バスが1日4往復だけ白山下方面へ接続しています。そもそもこの金名線という路線の由来ですが、「金沢と名古屋を結ぶ」という壮大な計画の下に名付けられたんですよねえ。その当時の北陸鉄道がどんだけ鼻息荒かったんだよ!という栄華の時代を偲ぶエピソードの一つにもなっておりますが、実際、両白山地の大山塊を抜けて鉄路を敷設するとして、どういったルートを取ったのだろう?という壮大な未成線計画の夢。今の白山スーパー林道の下あたりを長大トンネルで抜けて白川郷に出て、御母衣湖の湖畔を抜けてひるがの高原から現在の長良川鉄道に接続していたのだろうか。現在は北鉄高速バスが北陸道経由で金沢と名古屋を約3時間半で結んでいますが、東海北陸道回りじゃないのね。

世が世なら、名古屋と金沢を結ぶ大動脈の中間駅となっていたかもしれない鶴来の駅。改札脇に置かれた申し訳程度の展示物が、この駅が手取川流域の交通の要衝だった事を物語っています。急行とか準急の設定もあったんですよね。北鉄。日中のスピードアップを目的に、乗降客の少ない駅をスキップして走るのが準急だったようですが、停車駅が一定しないのと、あんまり速達効果がなかったという事でひっそりと廃止されてしまったそうな。全盛期の150km弱から、今や石川線・浅野川線を全線合わせても20km少々となってしまった北陸鉄道。全盛期なら山中と金沢で2泊くらいしないと乗り切れないくらいの路線があったんだろうけど、今は朝から半日程度でまったりと完乗出来てしまう事が、寂しくもあり。

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忘られし 北鉄孤高の ターミナル。

2022年07月22日 17時00分00秒 | 北陸鉄道

(何の店だ?@野町駅前)

浅野川線の北鉄金沢駅から、北鉄バスに乗り野町駅前方面へ。石川線の始発駅である野町でバスを降りて、駅に向かって歩いて行く道すがらにあったお店。「最中種」と書かれていて、サイチュウシュ?何だ?と暫く何の店なのか分からないで表に回ると、「稲葉工芸種菓子」と染め抜かれた暖簾で、ようやくそれが「最中種(もなかだね)」=最中の中身の餡子とか、その類の菓子材料を作るお店であることを悟ったのでありました。伝統ある加賀百万石の城下町・金沢。和菓子にも繊細な技術があって、目でも味でも楽しめる上質な和菓子が作られています。

武蔵ヶ辻・香林坊方面に向かうバス通りから、一本路地に入ったところにあるのが、北鉄石川線の野町駅。何の路線にも接続していないが故の絶妙な取り残され感と、周辺の旧市街地然とした佇まいに、思わず北鉄の中央弘前だ!と心の中で叫んでしまったよね。昭和の薫りが色濃く残る地方私鉄のターミナルとして、中央弘前は全国一の良物件だと思っているのだけど、ここ野町駅も中央弘前に劣らない魅力と渋さを持ち合わせているように思う。

その昔は、ここから金沢市内線(路面電車)が市内中心部に向かって接続していたそうなのだけど、モータリゼーションの波に押されて市内線が廃止になったのは1967年(昭和42年)のこと。以降、陸の孤島のようになった野町駅からは、今や1時間に1~2本程度のバスが僅かに市内中心部へのアクセスを繋いでいるだけ。まあ、私が降りた野町のバス停(国道沿い)まで歩いてけばバス一杯走ってるみたいなんだけど、昔は北鉄電車と野町駅前からのバス連絡はもうちっと密に行われてたみたいなんですよね。野町駅の乗降客が減少して乗り継ぎ需要が少なくなるにつれ、だんだんその辺りもおざなりになってった、なんて話もある。市内線が廃止されて既に半世紀以上、ようは玉電が廃止されて新玉川線が建設されなかった二子玉川園の世界線みたいな感じの野町駅。そもそももう金沢市街中心部への主要ルートとしての地位は手放してしまったというか、そんな感じで駅は緩慢な衰弱を選んでいる感じもある。

いつ付けられた看板なのか、「速くて安全 北鉄電車 野町~鶴来28分」のキャッチコピー。こう言うのに弱い。何に対抗しているのか良く分からないが、とりあえず鉄道の利便性を必死にアピールしている辺りがいじましい。関西系の私鉄のターミナルに「どこそこまで何分・便利な〇〇電車で!」みたいなキャッチコピーは良く書かれているのだけど、そういう意味では北陸は関西文化な感じはあるね。北陸新幹線が東京と繋がって、大阪と東京への所要時間がともに2時間半とイーブンになった現在、金沢にも徐々に東京文化が染み込んでいるらしいが。

駅前の喫茶店。何ともまあレトロな佇まい。思わずドアを開けて中に入りそうになってしまったが、週末はやってないみたいでした。そもそも現役の喫茶店なのだろうか・・・と言う疑念もあったのだが、食べログには廃業とも書かれていなかったし、たまたま定休だったという事なのだろう。それにしても、「純喫茶・未完成」という店の名前の奥深さよ。人間などどこまで行っても未完成なのだ、という達観の気持ちなのか。目の前の線路に目をやれば、野町より先、香林坊へ延伸する話も長いこと実現出来ず未完成のままだ。

野町の駅に佇む北鉄7000系電車。毎度毎度の東急7000系なのでもはや何も言う事はない。先々月水間で乗ったしな。まあ、原型に近い形の水間と違って、北鉄の7000系は1500V→600Vへの降圧や足回りの履き替えなどもあってだいぶデチューンされてはいるのだが。野町の駅は一応レールもホームも2本ずつありますが、奥側のホームはもう長いこと使われていないようで、ホームには雑草が生え、上屋を支える柱には錆が回っている。先ほど、この野町の駅を「中央弘前みたいだ」と表現したのだが、よく見たら止まってる電車も同じだもんな。そりゃ印象が似通ってしまう訳だよ。

うら寂しく朽ちて行く、野町駅の2番線ホームの柱と看板広告。北陸銀行の行燈型駅名標。もう光らなくなって何年経つのだろう。この北鉄の野町と同じように、弘南の中央弘前、上毛の中央前橋、かつての新潟交通・県庁前、阪堺の恵美須町、熊本電鉄の藤崎宮前などなど、国鉄と直接の関りを持たない中小私鉄の孤高のターミナルというものは、どうしてこうも愛おしくてならないのだろう。駅周辺の街の雰囲気なんかもどこか共通項があるようで、隠しようにも隠し切れない昭和的ノスタルジーが最高だと思う。

昭和のターミナルを、半ば嘗め回すように堪能して駅に入ると、待合室には待ちくたびれた大勢の学生さんたちの顔、顔、顔。既に日中は1時間1本に減便された石川線。ようやく鶴来行きの改札のコールがあって、三々五々と改札口から車内になだれ込んで行く。土曜日の昼下がり、通勤客もおらず、かと言って繁華街へ出る人もいない野町の駅は、石川線沿線へ向かう高校生たちの独壇場。カメラを持って明らかに旅行者然とした自分のいでたちは、明らかにちょっと場違いな感じなのでありますが、ジャージ姿の彼ら彼女らに紛れて、どうにもぬるくて冷房の効きが悪い東急7000の車内にこっそり腰を下ろすのでありました。

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置き換えて 置き換えられて 還暦に。

2022年07月20日 17時00分00秒 | 北陸鉄道

(浅電のとどのつまり@内灘駅)

浅野川線の終着駅・内灘。北鉄金沢からは20分弱。途中駅に有人駅と見受けられる駅はなく、全線で駅員配置があるのは始発の北鉄金沢と内灘だけの様子。駅前のバスロータリーはいかにも郊外電車の終着駅と言った感じの風情で、カマボコ屋根の二階建ての駅舎にはところどころアールがデザインされていて洒落ています。作りとか雰囲気からは、そう古い駅舎じゃないみたいですけど、年月を経たら味が出て来そうな感じ。内灘町は河北潟と日本海に挟まれた金沢市のベッドタウンで、海岸には手取川の砂が打ち寄せられて堆積した内灘砂丘が10kmに亘って続いています。砂地の水はけのよい土地を活かしての畑作が盛んで、らっきょうが名産品なのだそうです。

小ぶりな待合室は冷房が効いていて涼しい。北鉄は、有人駅に関しては完全な列車別改札で、これは浅野川線も石川線も共通でした。到着列車の乗客を全部出してからホームを締め切り、車内清掃や折り返し作業を行って、発車10分前くらいになったら折り返しの電車の改札をするスタイル。このタイプの出改札だと折り返し待ちの時間にホームをウロウロして見学とかが出来ないので、撮り鉄乗り鉄の趣味人には辛いところではあります。たまにあるよねえ列車別改札の地方鉄道。記憶にあるところでは上信電鉄がそうだし、あと養老鉄道もそうだったかな。まあ内灘の場合、改札内にトイレがありますし、職員の皆さんも暑いのか奥に引っ込んだままだったので、入って行っても怒られはしなかったのですけど・・・

改札外から内灘駅全景。ホームは1面1線、その他に留置線が2本と、そこに挟まれるような形で検修庫があります。外側の留置線には、この日にデビューを迎える8800系の井の頭線リバイバル塗装(アイボリーホワイト)が置かれていて、どうやら有志によるデビューイベントが行われているようでした。真ん中の留置線には、縦列駐車の形で元日比谷線の03系の2連が2本。この日の日中は8000系列の2編成による運用でしたが、既に浅電の次世代車両として、元営団03系の導入が進んでいます。

メトロ17000系の導入によって全廃となった営団03系は、18m3ドア車・アルミ車体と言う地方私鉄向きのサイズ感なので、最近になって地方私鉄への転出が進んでいます。既に熊本電鉄や長野電鉄で従来車を置き換えていますが、浅野川線でも現行の井の頭線車両を全部置き換える予定で、既に3編成が入線済み。北鉄入り後は、日比谷線時代のシルバーのラインカラーが北鉄カラーのオレンジに塗り替えられているのですが、平成初期の営団車のスタイルとも相まって、どことなく銀座線で使われていた01系を彷彿とさせる仕上がりとなっているのがポイントでしょうか。全国の地方私鉄で、既存の自社発注車を置き換えた大手私鉄の譲渡車両がそろそろ寿命を迎えつつあり、譲渡車の譲渡車による再更新が検討される時期に差し掛かっているようです。

そんなこんなで、長らく浅電の主力として頑張って来た井の頭線の3000系にも、そろそろお別れの時期が近付いているようです。初期の京王3000系の片側3ドア車ってのはよく見ると裾絞りもなくて、ドタッとスカートまで直線で降りて来るデザインが何ともクラシカル。伊予鉄やアルピコに行ったパノラミックウインドウの後期車と違い、正調湘南2枚窓というのもまた宜しいねえ。それこそ、小さい頃に下北沢の薄暗く小汚い通路を通って小田急から乗り換えて行った先のホームにいた井の頭線っつーかね。「次は何色が来るかな?」という井の頭線的楽しみ、何となく急行はサーモンピンクで各駅停車が水色の事が多かったような気がしますが、往時の「ステンプラカー」と呼ばれていた時代を懐かしく思い出すのであります。

細かいコルゲートを際立たせて、黎明期の東急車輛のクルマらしさを強調した一枚。昭和30年代後半に製造された東急車輛のステンレス三兄弟(東急7000・京王3000・南海6000)の堅牢性と長寿命は驚くべきもので、東急と京王の2系列は全国の地方鉄道に大量に放出されて未だに大多数が現役ですし、南海の6000系列なんかも高野線で未だにバリバリの主力なんですよね。ちなみに、個人的に北鉄に来る機会がここまで遅れたのは、その3つのうち2つ(浅野川線=京王3000・石川線=東急7000)を使ってるから・・・ってのがあったんですよねえ。どうしても自社発注車両が残ってる地鉄とか福鉄と比べると、車両の部分で後回しになってた。特に東急7000とか京王3000とか色んなトコで散々乗ったわ!というのがあったですからね。

内灘の街を出る古参車・8801編成。北鉄の車輛はどの車両もやや大きめでごっついスノープロウを付けているのですが、裾絞りがないタイプの片扉車にはこの大きめのサイズ感がぴったり。裾絞りがあるとスノープロウがはみ出してしまってバランスが取れないような感じになってしまうのでね。照り付ける白い日差しを避けながら、渋谷から吉祥寺へ、金沢から内灘へ。場所は変われど、郊外電車としての生涯を貫き通した60年。長きに亘りめでたく定年まで勤めあげた大先輩である京王3000片扉車の、残り少ない余生にエールを送ります。

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潟の風 潮の香薫る 粟ヶ崎。

2022年07月18日 10時00分00秒 | 北陸鉄道

(いやはや何年ぶりだ@金沢駅)

富山駅前のパーキングにクルマを放り込み、あいの風とやま鉄道で一時間。倶利伽羅峠の古戦場を越えて、金沢駅にやって来ました。とりあえず金沢行った人が100人いたら200人はスマホに収める鼓門をパチリ。しっかし金沢とか訪れたのが何年振りだろうというくらいの久々だなあ。少なくとも北陸新幹線が開業してからは初めてになる。前回金沢来た際は、北陸ワイド周遊券+寝台特急北陸(大好きだったな「北陸」のBソロ)だったからねえ。金沢競馬に行くのに使ったんだけど、見に行ったのはサラブレッドチャレンジカップだったかMRO金賞だったか。「競馬カナザワ」とか買って、パドック裏のお寿司屋さんで寿司食うのがいいんだ。金沢競馬。やってっかな?って思って調べたら土曜は休催日だった。日曜ならやってたのに。

確か東口から金沢競馬行きのバスが出てたので、金沢に来る時は兼六園やら香林坊に背を向けて栄えていない東口ばっかし降りていた記憶がありますが、今回は兼六園口から地下街へ。実は、競馬の用事以外で金沢に来るのが初めてだったりする(笑)。やって来たのは北陸鉄道・浅野川線の北鉄金沢駅。結局兼六園とか香林坊とか近江町市場とか「金沢らしい」場所には行かない私。北鉄浅野川線は、北鉄金沢から河北潟沿いの町・内灘まで6.8kmに12駅。地元民からは「浅電」の名前で親しまれた郊外電車です。

北鉄金沢駅は地下ホームの1面2線。使われている電車は、元京王井の頭線の3000系こと北鉄8000系。京王重機整備によって改造の上納車されました。元々北陸鉄道って言うと、昭和の時代は旧型吊り掛け電車の宝庫で、オレンジとベージュに塗り分けた名鉄のお古とか自社発注の小型車が跋扈していた印象があるのですが、北鉄金沢駅地下化に伴って車両の難燃化を進めなくてはならず、そこでステンレス製の京王3000系を導入して旧型車を一掃したのだそうです。長野電鉄も、長野~善光寺下の地下化にの際に東急のアマガエルこと5000系を大量購入して相当数の旧型車を淘汰したんですが、経緯としては同じですね。

地方私鉄の譲渡車両って、だいたい京王系・東急系・西武系の3つに勢力図が分かれますよね。これにメトロ系が追随するような感じでしょうか。京王系のタネ車はほぼ本線の5000系と井の頭線の3000系ですが、3000系はここ北鉄の他にも上電・岳鉄・アルピコ(松電)・伊予鉄と5社に分かれて今でも活躍しています。昨秋、伊予鉄で5000系と3000系で京王三昧したのは記憶に新しいところ。ちなみに浅野川線に譲渡された3000系は1996年と導入が早かったせいで、型番の古い初期ロットの片扉車が残っているのが京王ファンには嬉しいのでは。この8801-8811編成、横浜の東急車輛で昭和37年に製造された還暦の車輛です。

地下駅の北鉄金沢を出ると、列車はすぐに地上へ出て、路線名の由来ともなった浅野川に沿って北へ走ります。沿線は金沢市北部の住宅地で、特段語る事もないとりとめもないような郊外の景色。七ツ屋・上諸江・磯部・割出・・・と1kmも行かないうちに次の駅が現れるという地元密着型の駅配置で、駅に着くたびに運転士氏によってバタバタと慌ただしく片扉が開け閉めされる。途中の三ツ屋で上下列車が交換。朝の下り電車なのでさしたる流動はないものの、上り電車にはそれなりの乗車客数が見受けられます。現在の運転間隔は日中30分ヘッド。20分ヘッドで毎時3本にしてくれたらもっとフリークエンシーが高まるかと思うのだが、コロナ禍の現在ではなかなか難しいか。

北鉄金沢から15分。終点の内灘の一つ前、粟ヶ崎と言う駅で電車を降ります。終点の一つ前は良駅の法則、というには無味乾燥な1面1線のホームですが、ここで浅野川線の電車を何本か撮影して行こうと思います。まあそれにしても湿度と夏の日射しで電車から一歩外に出るとゲンナリするような暑さだ。思わずホームの自動販売機でスポーツドリンクを購入してしまった。北陸の夏も暑いねえ。フェーン現象ってヤツか。

粟ヶ崎の駅の手前にかかる大野川放水路の鉄橋。浅電唯一と言ってもいい撮影ポイント。北鉄金沢から内灘まで、基本的には家並みが続いたゴチャゴチャした場所が多くて、この大野川の鉄橋くらいしか引きで列車の構図を作れるところがないんですよね。この川は日本海と河北潟を繋ぐ水路のようになっており、水面すれすれのガーターがいかにも海に近い内灘の街らしい。お隣富山だと、新湊の街角とかで感じる潮風混じりの街の香りがする。ここで川風に吹かれながらのんびりと折り返しの電車を待つ・・・予定だったのだが、思った以上に橋の幅員が狭く、橋の上に立ってるとクルマに轢かれそうになるのであった。

片扉の8800系が、粟ヶ崎の駅を出て大野川の鉄橋を渡って行く。
橋が脆いのか、軌道が弱いのか、制限20km/hくらいの非常にゆっくりとした速度なので、シャッターの早切りにはご注意。

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ペン持って アート気分で 北陸路。

2022年07月16日 17時00分00秒 | 北陸鉄道

(My New Gear・・・@OLYMPUS PEN E-P7)

思えば私のカメラ遍歴、古くはオヤジのお下がりの富士フイルムの「カルディアスーパー」から始まって、コンデジはこれも富士フィルムの「Finepix」シリーズから何台か渡り歩き、一眼レフデビューはNikonのエントリー機D50。そっからニコンの一眼レフの道をその時のお財布と相談しながらとっかえひっかえ進んで来ました。何年か前にAPS-Cからフルサイズに移行し、現行のフルサイズ2台体制で落ち着いていたんですけど、ここんとこになって妙に気になるのが「機材の重さ」。以前なら重たいフルサイズ2台とズームレンズ3~4本にヘタすりゃスリックのこれまた重い三脚や脚立まで担いで現場まで行ってたもんだけど、最近は何だか重いのと面倒くさいので、カメラ1台にお手軽ズームレンズくっつけて手持ちで・・・みたいなお気楽スタイルばかりなんですよね。機材の持ち運びもクルマならともかく、電車と徒歩での撮影行ならなおのこと。街歩きやお店の中だと大きなカメラにレンズ付けて振り回すのも憚られるシチュエーションってあるじゃないですか。何と言うかこう、「機材が【重い/大きい】ので撮影が【しにくい/面倒】」みたいな本末転倒な状況を改善したかったんすよね。という事で、今回のテーマは「機材の小型化」。フルサイズのサブ機1台を下取りに出して、小型のミラーレスカメラを導入してみました。オリンパスペンE-P7。オリンパスペンと言えば復活当初にCMに宮崎あおいをぶっ込んでカメラ女子の掘り起こしに成功したオシャレカメラ。これで今日から私も意識高い系カメラ女子(笑)。ちなみに、ミラーレスならNikonのZシリーズじゃねーのかよ!という声に関しては封殺します。予算の問題です(涙)。

そんな新しいカメラを引っ提げて、ちょっと遠出をして来ました。行ったのは・・・相変わらずの富山方面なのだけれど、まあ今回は新機の肩慣らし、という事で地鉄にこだわらず色々と。いつもなら地鉄の始発電車の時間に合わせて前日の夜に家を出て行くのだけど、奈川渡の道の駅で仮眠をし、少し遅めに朝4時の安房峠を抜けるとそこは飛騨路。いつもなら真っ暗闇のR471も、この時期の夜明けの早さもあって朝の空気を感じながらの快適なドライブ。急ぐ旅でもないなって感じになったので、思わず栃尾温泉の露天風呂で朝湯なんぞを楽しんでしまった。少し眠気の残る頭を、清澄な熱めの湯で覚ます朝。ぼーっとなんも考えない時間。一人。山の空気。せせらぎの音。ちょっと前の方が、こんな感じでのんびりと旅が出来ていたような気がする。最近は撮れ高を気にし過ぎかもしれないねえ・・・

今回は、いつものように富山で地鉄三昧・・・ではなく、少し足を伸ばして北陸鉄道にも行って来ました。福井と富山は行ってたんだけど、間の石川県は新規開拓になりますですね。北陸鉄道、かつては能美線・小松線・金名線・金石線・加南線・能登線などなど石川県内に隈なく路線網を持っていた北陸地方私鉄のマエストロ。現在は内灘への浅野川線と鶴来までの石川線の2路線のみ。どちらも金沢近郊の通勤路線であり、沿線風景は地鉄や福鉄に比べてちょっと魅力に欠けるかな・・・という思いもあって足が向かないでいた。まあ、でも行ったら行ったで何がしかが見つかるのが地方鉄道の良いところ。精一杯の魅力を味わうには少し駆け足だったかもだけど、ぼちぼちご紹介して参ります。ファーストカットは浅野川線の名物撮影地・河北潟に繋がる大野川の鉄橋を渡る8000系8900番台。鉄道ファンじゃなくとも、見れば分かるレベルでの元京王井の頭線であります。

オリンパスペンは「アートモード」ってのがあって、やたらとカメラ上のエフェクトの効いた絵が勝手に撮れてしまう。これは「ドラマティック」というモードで撮影しているのだけど、アートモード、使うのに人間の方が振り回されているうちはダメなんだろうな。エフェクトを先読みして使いこなさないと。

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