青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

暑い日こそ乗り鉄

2014年07月27日 22時31分25秒 | 大手私鉄(関東)

(「らしさ」のある中吊り@京成電車)

電車の中吊り広告ってのには「らしさ」があってしかるべきですが、谷津遊園なき今京成沿線の夏の水遊びっつーたら昔も今も酒々井のちびっこ天国だあね。もうウン十年も前に我孫子に住んでたじーちゃんに一回こっきり連れて行ってもらったのが記憶にあるんだが、確かじーちゃんちに集金に来てた新聞屋がチケットくれたんだっけな…夏の風物詩「京成花火ナイター」の広告といい、いかにも夏の京成電車って感じの「らしさ」ある中吊りのような。


あまりにも暑くて目が覚める日曜の朝5時、冷蔵庫を開けても飲み物がないので近所のコンビニに出掛けて5時半。エアコンを効かせてぶらっと朝のドライブ、海老名の外れの田園地帯で、厚木の側線に留め置かれた相鉄電車が出勤して行く風景を一枚。モヤってるけどもう少し大山の稜線が出れば悪くない構図じゃないかと。


家に帰れば子供が母親よりも先に起き出していて、「どこ行ってたの!?」と追及された(笑)。朝のニュースでは今日も猛暑日…まーたエアコンを一日付けて昨日同様引き篭もる一日なのかなあ、とぼんやり朝飯を食っていたら、子供が出掛けたいと言う事なので出掛ける事にする。母親は暑いから具合悪くなっちゃうよ!なんて言ってたけど、子供にしてみりゃ折角の週末に全く鉄分を取れないのが我慢できないらしい。相鉄で横浜へ出て、京急快特で品川方面へ。ってかノープランだがどこまで行ってみるか。

  

とにかく外が暑いので、品川で降りる気もなく何となく泉岳寺まで乗り通す。2100は泉岳寺より向こうに入ってくれないので隣のホームの電車にお乗り換え。お、京成電車。子供にはあまり馴染みのない車両だけに「佐倉」と言う行き先も新鮮な模様。この丸目四ツ目の表情がいかにも京成電車だなあと言う顔付きの3600系。ただウダウダと都会の地下を走り、押上から地上に出るとスカイツリーが見えて子供のテンションが上がるw

  

何の脈絡もなく京成高砂。いつの間にか金町線のホームが2階に上がっていた事に衝撃を受ける。三方向それぞれの出発信号機を見てたら子供が「どこへ行くの?」と。うーん、そう言われても…なんか車内が涼しいから、今日はとりあえず電車に乗っていたい気分(笑)。次が成田スカイアクセス線経由のアクセス特急だから、それ乗ってみましょうかwアクセス特急成田空港行きは新柴又を過ぎると、やおらノッチが入っていかにも新線らしい掘割+トンネル+高架をぶっ飛ばし始めた。鎌ヶ谷の梨畑、千葉NT周辺のアホみたいにでっかいイオンだのカインズホームだのの量販店群が跡形もなくすっ飛んで行く。線形も良くおそらく常時120km/hの高速走行だろうが、この猛暑でモーターが焼け付くんじゃないかってくらいの悲鳴に近い音を出すので車内はかなりうるさい(笑)。子供との会話もついつい大声にw

  

そんなアクセス特急も、途中でスカイライナーの退避があったりします。あっちは160km/hだからさすがに成田までは逃げ切れないようですな。印旛日本医大を過ぎて、車窓には青々とした田園風景と印旛沼の姿。バットを投げ込むと、短くバットを持って土橋(ヤクルト)が現れると言う伝説があるそうですが(笑)。成田湯川を過ぎ、駒井野信号場でJRと合流すると車窓にはアプローチに入る航空機も見えたりしてなかなか楽しい。京成高砂から約45分、成田空港着。


成田空港で飛行機でも見て行こうと思ったのだけど、ここで息子が色々と用足したり飲み物あげたり何やかんやしてたら時間がなくなって来たのと、さすがは国際空港だけあって改札出ると手荷物検査を受けないといけなかったりで煩わしい。おまけに子供が用が済んだら「おなかすいた」とか言い出すのでパスモだけタッチしてとんぼ返り。1,700円もかけて来たと言うのに何もしとらんやん!(笑)。帰りのアクセス特急は親子ともどもクーラーの効いた隅っこ席で爆睡(朝早かったからね)。気が付いたら東松戸を出ておりましたw

  

さて、京成高砂からは元来た浅草線方面へのルートで帰っては面白くないので、上野行きの普通に乗ってみました。なんか上野~青砥の間って「古き良き京成」っぽい雰囲気があっていいよね。特に堀切菖蒲園から欄干の低い荒川放水路の鉄橋を渡って、いかにもな下町の家並みをやたらカーブするオンボロの高架線から眺め降ろす関屋・千住大橋・町屋・新三河島あたりの風景がさ(笑)。と言う訳で町屋で降りてみる。つーかメシだよメシ。

 

とりあえず猛暑の中1秒たりとて歩きたくないので、駅至近のファミレスで水分&栄養補給。ファミレスの窓越しに眺める気温36度の町屋駅前を行き交う人々と、そんな人々と歩みを合わせてゆっくりと尾竹橋通りを渡る都電荒川線。そうです、ここは都電の通る街でしたな。


水分補給も完了し、町屋駅前からクーラーの効いた都電に乗り込む「えぇ~みの~わぁ~ばしぃ~行き、発車しまぁ~す♪」と独特の節回しの運転士さん、チンチン!と鐘を鳴らして荒川の路地裏を冷やかせば、あっという間の三ノ輪橋。荒川区内の線路際にはバラの花が植わっていて写欲をそそる荒川線、終点の三ノ輪橋の風情は在りし日の都電の匂いを強烈に感じさせる昭和レトロ。

 

三ノ輪橋駅前の暗いアーケードをくぐり、地下鉄の三ノ輪駅。トーキョーメトロとは言いたくない、あくまで「営団地下鉄」らしき低い屋根のうす暗がりのホームに進入するは東武20000の南栗橋行。すぐさま地上に出て南千住の手前で眼下に広がる隅田川貨物駅を見れば、子供が「あっ!EF64と65が止まってる!」と素早い反応。国鉄型ヲタなんでしょうか(笑)。スカイツリーラインから半蔵門線に主役の座を譲り、すっかり日陰の身になった北千住のヒビチョクホームに降り立てば時間はもうすぐ15時前。そろそろ家に帰りますか。

 

と言う訳で神奈川県央の我が家までは、MSEメトロはこね23号を奮発してやったw
北千住の千代田線のホームって、なんか雰囲気変わんないよな。
悲しいほどガラガラな車内はクーラー効きまくってて非常によろしい。
子供の横でウトウトしながら地下鉄区間を抜けると、代々木上原では大雨でした。
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変わり過ぎたその姿

2014年07月21日 22時14分00秒 | ローカル私鉄

(美味い、美味いよ吉田のうどん@くれちうどん)

この三連休は天気がどうにも、と言う事なれど、家でウジウジしていてもしょうがないので家族を連れて出掛けてみる事に。一定の期間で何だか無性に食べたくなるのが吉田うどん、いつも使っている富士急行線寿駅近くの「くれちうどん」で肉つけうどん大(600円)。揚げ玉たっぷり、すりだね(唐辛子)たっぷり、キャベツのシャキシャキとコシと言うものの向こう側に行ってしまったぶっといガチガチ麺。美味いですよねえ。

 

大量の小麦粉で腹が一杯になったところで富士山駅へ。相変わらずその名称に違和感があるのだが…富士吉田ですよね。リニューアル後は初めて来たんだが、待合室の木で出来た格子窓からやたらと多用される横文字ロゴとかいわゆるミトーカリニューアルの典型。彼の人のデザインってのは木ィ使って横文字ロゴ使ってのれん使えば出来上がりなんでちょっと食傷気味ではありますw


月江寺からの上り勾配をカーブして富士山駅に入線するフジサン特急11号は、先週末から営業運転に投入された元小田急RSE20000系。2012年3月の引退を経て、紆余曲折はあれどこちらで富士急8000系として再デビュー…いや、分かってたことだからいいんだけどこの外観なあ(笑)。フジサン特急はこういうガラじゃないといけないわけでもあるまいに。いいや、乗ろ乗ろ。


列車は富士吉田方1両が指定の他は自由席ですが、三連休の中日って事もあり車内は見た目自由席120パー、指定席50パーの上々の乗車率。そして世界遺産効果なのか外国人観光客がこれも見た目3割くらいいる。当たり前だが海外旅行に国際免許まで取って来るヤツなんていないだろうから、海外勢は電車かバスを使わざるを得ない。そうなると、バスであれ鉄道であれ自動的に富士急行にはカネが落ちて行くと言う訳で。富士山は誠に金城湯池である。


乗車したのは富士吉田~河口湖までの僅か2駅10分足らずですが、半数近くの乗客が降りた富士急ハイランドからはハイデッカーの最前列を親子で占領してガツーリ。小田急時代は展望車でなくとも、このハイデッカー構造によってマスコン回りが良く見渡せる最前列の席はリアル電車でGo!っぽいロケーションでひそかに人気席だったですよね。バイト時代はこの席指名で乗車した事も何回かw

  

終点の河口湖に到着して、折り返しまでの準備時間に改めて新生・フジサン特急のフォルムを…
うーん、いや、分かってたことだからいいんだけどこの外観なあ(2回目)。好きだった子が夏休みが明けたらとんでもねえヤマンバギャル(死語)になって戻って来たかのような気まずさ(笑)。大月方のカオなんかカバみたいだし…初期のサイバラが書いた山崎一夫の絵みたいになっちゃってんじゃねーか。河口湖方の運転席の後ろはテーブルと椅子のサロン席になっておりますが、椅子の配置に絶妙なキャバクラ感がありますw

 

駅を出て、改めて編成を眺めてみれば塗り直された台車だけは住友金属製のアルストムリンクのまま。どーにもなじめないこのアミューズメント感に過ぎるイラストにため息しか出ないが、まあ富士急行も先代のPEAを引退間近になったら当時の塗装に塗り戻してる実績もあるので、そこに期待するしかあるまいw


せめて画像で在りし日のお姿を。当時はなんか淡いパステルカラーがロマっぽくねえなあとか思ってましたが、周囲の風景を壊さない地味ながらも味のあるカラーリングでした。本来であれば残された事を喜ぶべきなんでしょうが、この変わり果てた姿に馴染むのには時間がかかりそうですなw
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時の河を越えて

2014年07月08日 23時46分09秒 | JR

(思い出のオレンジバーミリオン@青梅鉄道公園)

先週開通した圏央道相模原区間、出来たからにはトコトン利用してやろうっつーことで日曜日は東京都青梅市にある「青梅鉄道公園」まで行ってみました。今までであれば自宅からヨユーで2時間以上はかかっていたエリアに1時間ちょっとで来れる快感は開通効果サマサマであるのだが、休日50%割引に慣れ切った体に海老名~青梅の47.2kmで通常料金1,960円ってのはちと高すぎるような気がする。ETC割引がほとんど効かないのも痛いねえ…快適さをカネで買ってると思えば仕方ないんかもしれないが、NEXCOよ、どうにかなんねえもんか?


ブチブチ文句を垂れてみた私を、青梅鉄道公園は入場料夫婦で一人100円ずつ(子供達はタダ)、駐車場無料というやさしいプライスで迎えてくれたのでありました(笑)。実はここに来るのは初めてではありませんで、小学校に上がるか上がらないかの頃、オヤジに連れられてここに来た事を覚えている。たぶん約30年ぶりくらい2回目の訪問。


この公園は日本国有鉄道90周年を記念して1962年(昭和37年)に開設された鉄道公園なんだそうで、既に開設から52年目を迎えている歴史ある鉄道公園です。一応国鉄→JR東日本直轄の施設なので、働いてらっしゃる方は元国鉄OBっぽい雰囲気の方々ばかり。入口で「いらっしゃ~い、小学校以上の方は100円でおねがいしまーす」なんてのんびりと客寄せを行っている。入口にほど近い場所に鎮座するD51452、その横に鎮座するのが当時の国鉄総裁である十河信二翁の揮毫された銘板。もう「国鉄総裁」って言葉が懐かしいよね。十河信二は新幹線の父と言われた四国の鉄道王。十河信二と島秀雄の名前くらいは鉄道ファンじゃなくても知ってる人がいるんじゃないのかなあ。


「いま展示室でジオラマ動かしてるから見てって下さいねえ~」なんてモギリのおっちゃんに誘われるままにまずは展示室の中に入ってみる。まあジオラマ自体はこの手の博物館ではさして珍しいもんでもないので割愛しますけど、E6系やカシオペアなんかに混じって583系とかキハ58のHOゲージが堂々と走っているのが何とも匂い立つような国鉄臭を感じてしまう(笑)。よく見ると模型の運行システムもどことなく古めかしい…

  

ジオラマを囲むように大型の鉄道模型が鎮座するホール。電気機関車の代表として登場するのが関門型のEF30とか泣けます(笑)。「EF65に牽引されて東京駅を発車したブルートレインはやぶさは、九州に入る直前、下関駅でこの区間専用の機関車であるEF30にバトンタッチ。海底の下を走る関門トンネル用に、塩水でも錆びないステンレスの車体を持つこの機関車が牽引するのは下関~門司の一区間だけ。門司駅でED76にはやぶさを引き継ぎ、一路西鹿児島へ向かいます」なあ~んて、子供の頃に「ブルートレイン大百科」で学んだ知識がくっきりと浮かび上がって来ますな。ちなみに息子はキハ81を見て「あ!カニカニはまかぜのしゃりょうだ!」と言っていたが案外間違ってはいないw


この「列車ヘッドマークのいま・むかし」の前に30台後半以上の鉄ヲタを集めたら、きっと半日は喋っていられるだろうと思われる(笑)。Q.ブルートレインで一番運行距離が短いのは?A.紀伊!みたいなwそして「いま・むかし」と言っておきながら「いま」が一枚しかない件…

 

場所柄、旧型国電にも造詣の深いこの施設。今のコーポレートカラーに分かれる前、国鉄時代も旧型国電には地方によってさまざまな塗り分けがあった事。これは文献でしか知らないけど、飯田線や身延線のスカ色はともかく大糸線や富山港線のスカイブルーとか、可部線の黄緑とオレンジってのは実物を見たらおったまげるカラーリングであった事でしょう。外には青梅線を走っていたクモハ40が展示されとりますが、稲中卓球部を思わせるアニマルカートに囲まれたその姿は何ともw

 

屋外の展示物に関してはSLが中心となってるんですが、それは昭和37年と言う開設時期がちょうど国鉄が無煙化に向かい始めた時期と重なってるからなのかもしれませんね。板谷峠対策用の5軸動輪のタンク車E10が保存されてるのは全国でもここだけ。このE10、日本最大のタンク型機関車として相当な馬力があったようなんだが、動輪の数が多いせいかレールへの粘着力が出なくて思ったほどの結果が出せなかったんだとか。曲線通過時のレールへの抵抗を落とすため、3軸4軸の動輪にフランジがないのが変わってます。


屋根の下できれいなキューロク。保存されてるのはハチロクとかキューロクとか大正生まれの機関車が多いですね。もちろん運転台まで上がって中を見る事が出来ますけども、いい子供の遊び場になってしまっていて写真は割愛w

 

青梅線ゆかりのED16。本来は清水トンネル越えを目的に上越国境の守り神として山岳路線に投入された電気機関車ですが、晩年は奥多摩からの石灰石輸送(奥多摩工業株式会社)に従事しとりました。自分が子供の頃はもう主力は八王子のEF64に移っていたけど、たまーにED15やこのED16が牽く貨物列車を見る事があって、ベンガラ色のホキを引き連れながら中野島あたりの梨畑の中を走っていた事を思い出す。なんか展示物にも思い出が語れる世代になって来たんだなあとしみじみw

 

階段下の広場には0系新幹線。子供を運転台に乗せて記念撮影なんかしてやったりしましたが、0系ってスピードメーターが260km/hまでしかないんだねえ。この車輛だけ屋根が掛かってないせいか傷みが激しくて、車内は雨漏りしちゃってましたがw


オヤジに連れられて来た時は、たぶん登戸から南武線と青梅線を乗り継いで来たんだろうなあ。もう覚えてないけど、そん時の車両は当然101系だったと思われる。確か青梅の駅の電留線にオレンジの101系がゴロゴロしてた記憶があるからな。帰りにその当時、青梅の駅から公園まで歩いた道を車で通って青梅の駅に出てみたんだけど、構内を見たらE233系がゴロゴロしてたよ。

時代は流れ、30年の空白を経てやって来た青梅鉄道公園。
オヤジが自分にそうしたように、自分も子供を連れてやって来た事実は、妙に感慨深い(笑)。
ノスタルジーを感じさせる国鉄色豊かな展示物は、あの頃のままでした。
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心の中は

2014年07月05日 23時12分25秒 | 京浜急行

(推し変上等!@京急長沢~津久井浜)

黄色いのが出て来てから、「ホームで待ってて来るとテンション上がる」部門にて盤石を誇って来たブルスカもすっかりお株を奪われてしまった感があります。サイドに夏草を映して長沢の森を駆け抜けるブルスカ、その色はあくまでクールを装っているような涼しげなブルーか、それとも憂鬱のブルーか。2157Fの心中やいかに。
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淡黄色の光の中を

2014年07月01日 22時45分45秒 | 京浜急行

(雷雲遠く…@小松ヶ池ストレート)

デビューしてからというもの、その鮮やかなカラーリングで沿線住民のハートを鷲掴みにした1057Fこと「YELLOW HAPPY TRAIN」。未だに登場した際には必ず誰かがスマホを向ける人気者ですが、まともに撮るのは今回が初めてでした。遠くからは雷の音が聞こえて来る不安定な梅雨の空模様。雲間から射す夕方の黄色味を帯びた淡い光を受けて、小松ヶ池のストレートを往く。
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