(北陸の名湯・カルナの館@金太郎温泉)
宮野運動公園の俯瞰の後、午後は曇ってしまったので、沿線を撮り歩くのは少しお休みして魚津の郊外にある「金太郎温泉」へ。知る人ぞ知る(そうでもないか?)北陸の名湯で、硫黄分の濃い白濁した塩辛い湯がゴンゴンと湧いております。湯銭は3時間コースで1,080円と地方の日帰り温泉にしちゃ安くはないのですが、それなりの設備が整っているので健康ランド的な感じもあり。ETCカードとかJAF会員だと安くなるらしい。内湯と露天風呂行ったり来たりしながらデッキチェアで昼寝して体力回復、ココの湯はとにかく濃いのでカラダに硫黄の匂いが染みついてしまった。駅から離れているので電車利用は少し難しい施設だと思うけど、一応魚津駅前から路線バスは出ているようだ。
クルマの窓を開けて、湯上りの体を風に漱がせながら、硫黄の薫りをプンプンにさせて魚津の新川広域農道を行く。高台のストレートから見晴るかす富山湾に、曇天の雲間を衝いて見事な光の道が出来ていた。ミラージュランドの観覧車が、空から零れた光の反射の中で浮かび上がっていて幻想的な風景だ。そう言えばこの辺りの海は春先は蜃気楼が見えることで有名。魚津の名物と言えば、蜃気楼とホタルイカと埋没林なのであった。
そろそろ旅のシメに当たるワンカットを求めて、新川広域農道を通り抜け寺田へ。地鉄の駅には色々と魅力的な駅があるけれども、一番と言えばどこになるだろう・・・うーん、一番は選べないけど、間違いなく五本の指に入るのが寺田の駅じゃないだろうか。電鉄富山へ戻り、夕方は上市ローカルに入っていた14722。10020と共に引退の報を聞いて富山へ足を向けたファンも多かったものと思われる。この形式は12月まで引退の時期が延びるそうですが、既に後継の東急8590の2連×2編成が稲荷町の工場に到着しており、予断は許しません。
本線と立山線を分かつY字に分かれたホーム。その真ん中にどっかりと立っている建物は、瓦屋根を大きく左右に広げさながら航空母艦のようである。屋根上の望楼は、かつてここが信号扱いを行う詰所として使われていた名残り。地鉄電車が今よりもっと賑やかだった頃は、この信号詰所の一階には売店があって、ジュースやアイスクリームを売っていたらしい。「くろワンきっぷ」のヘッドマークと、滑川市のご当地ゆるキャラである「キラリン」のヘッドマークを付けた14760形が交換して行く。
寺田。今でもアルペンルートを構成する経路の一部として、地鉄の中でも重要な役割を持つ駅。立山発のアルペン号はここでスイッチバックし、宇奈月温泉へ向かっていく。いつから使われていたのか、役割を終えた観光協会の広告看板が待合室の脇に忘れられたように置かれていた。地鉄の駅には、こういう古き良き時代、鉄道が交通の中心だった時代、地方が若さと元気に満ち溢れていた時代を惹起するものが溢れていてとても好きだ。地方全体が高齢化と過疎に苛まれる中、緩やかに栄華の時を追憶のものとしていく街の姿は、駅にいちばんよく表れるように思う。
寺田の駅先に構えて小一時間ほど、暗くなるまで撮影を続けてみる。右から来る立山線の列車を撮影するには向きませんが、本線を行き交う列車はいいアングルで撮影出来ます。駅構内を水銀灯が照らし始める頃、カボチャカラーの14760形が電鉄富山へ。地鉄において支線が分岐する駅は稲荷町、寺田、岩峅寺の3つですが、それがどれも同じようにハの字型に開いたホームを持っているのが特徴。いずれも違う鉄道会社が合併を繰り返し、一つの鉄道会社として形成されて行ったせいなのか、どこもホームは方向別にバラバラに分かれておりあまり一体感がありません。
夥しい数のヤブ蚊を虫よけスプレーで追っ払いながら、とっぷりと日が暮れるまで、飽きる事もなくカシャリ、カシャリ。ホームに電車を待つ女子高校生、一人物憂げにベンチで待つこと暫し、カーブの向こうより家路への列車がやって来る。いつもの時間のいつもの電車。そしていつもの風景が、デルタの駅で今日もまた繰り返されて行く。
すっかり暮れた暗がりの中の寺田の駅。航空母艦の艦橋のような望楼が、右舷の本線、左舷の立山線を抱えて、威風堂々と暗闇の中に浮かび上がっている。駅に広がる四つのレールが、10030形のヘッドライトを受けて輝きます。女子高生の乗った街へ行くカボチャ色の電車を見送ったら、やけにお腹が空いた。夕餉の時間が過ぎた駅前の、路地裏にあったお好み焼き屋の赤ちょうちんが、空腹の身にはとても魅力的に見えたのでありました。