青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

航海先に立たず。

2009年02月28日 21時22分18秒 | 日常

 今日はちょいと横浜に用事があったのだが、横浜港に珍しい船が入港すると言う話を聞き散歩がてら大桟橋まで。
入港したのは双胴型高速船「ナッチャンworld」10,712トン。

青函航路へ東日本フェリーが2007年に就航した「ナッチャンRera」に続き、2008年春に満を持して投入したオーストラリア製の高速船で、青森と函館を最速1時間45分で結ぶ能力を持っている。青函連絡船が約4時間をかけて津軽海峡を結んでいた事を考えると、その速度はカーフェリーとしては日本最速。世界を見てもかなりの速度性能を持った画期的な船だった。

だった、と過去形にしてしまうのは、この「ナッチャン」シリーズが就航して間もない2008年の秋、船舶を所有している東日本フェリー株式会社が「重油の高騰による採算の悪化」を理由にフェリー事業からの撤退を決めちゃったからなんだよね。特にこの「ナッチャンworld」に関しては、たった半年で就航路線からの撤退を余儀なくされてしまった文字通りの悲運の船。外見は愛らしいんですけど…現在は閑職をかこつ状態で、大きな口からはアクビしか出ないわね、と言う感じでしょうか。

とりあえずベイブリッジをバックに。
そんな訳でおヒマになったナッチャンworldは、今回横浜港が開港150周年を迎えるに当たってのスペシャルゲストとして本日横浜にやって来ました。特徴であるぽっかり空いた船首の口の部分はサメのようでもある。サメはサメでも、つぶらな瞳とあいまってジンベエザメ的なイメージかな。
青森と言えば、莫大な開発費用を投じたものの放射能漏れを起こして長い間実用に至らなかった「原子力船むつ」なんてのもいましたねえ。このナッチャン姉妹も、最先端の機能を有しながらも不運なハシゴの外されっぷりに迷走する姿が「むつ」とオーバーラップしてしまう。今日は結構船ヲタ(?)も大桟橋から接岸したナッチャンworldを興味津津眺めていましたが、やっぱ船は乗られてナンボ、働いてナンボだと思う訳です。

まーしかしそれにしても、ここまで立派な船を作っておいてどうして即座の撤退なのかは理解に苦しむ。
燃料の高騰で50億円近い赤字だったそうだから有無を言わさず、と言う事なんでしょうか…
航海先に立たず。

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おくりびと

2009年02月26日 22時07分44秒 | 日常
ご存じの方は多いかと思いますが、いっつも仕事での外回りの時はラジオを聴いている。
最近はもっぱらNHKだったんだが、本日は久し振りにTBS。

「今にもおくりびとに送られそうなババアばっかり集まりやがって!」

まむしwww
午前中のTBSと言えば、この人だあね。

しかしマムちゃんが「大沢悠里のゆうゆうワイド」の中に番組を持って何年になるんでしょうか。
自分が幼少の頃からこの時間をがっちりキープしているのだから偉いと言うか何と言うか…
んな事言ってるマムちゃんがもう72歳だってんだから、あんまり人の事をババアジジイ言える歳ではないと思うのだが、それでも老人をアッパーな態度で挑発し続ける姿こそマムシの生き様なんだろうから良しとせねばいかんのですかね。そもそも自分の小さい頃、この番組は「東食ミュージックプレゼント」だったんだけど、東食が倒産しちゃっても続いてるんだからさすがマムシの渋太さと言った感じか。

「おくりびと」は「身近な人の死」と言う誰にでも訪れる日常を描いた作品、みたいな事を言われているのだが、実は私33歳になっても幸か不幸か「身近な人の死」と言うものに立ち会った事はない。と言う事で、実際のいわゆる「仏様」にもお会いしたことはなかったのだが…

先日、とある懇意にしている方の奥さんが若くして亡くなられましてね。
弔問に訪れた時、「せっかくですからお線香でも…」と言うような話になって、その時、初めて「仏様」とご対面させて頂く機会がありました。
実際の血縁・親類でない人が仏様との初体面と言うのも妙な感じではあったんだけどね。

初めてご対面した「仏様」の印象は、不思議に楚々として上品なもの、という感じを受けました。
不謹慎であるかもしれないが、凄くワビサビが効いた和の世界と言うか…
あれが、「おくりびと」の作る癒しの世界だったのかねえ。
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33歳

2009年02月24日 21時37分12秒 | 日常
に、なりました。
そして、特に変わらず。
2月生まれって、同期の中でも歳を取るのが少し遅くていいよね(笑)。

こないだ気付いたのだが、鼻毛に白髪が混じっててちょっとびっくり。そしてがっかり。
肉体的には老化が始まっているのでしょうかwww

追伸:富士ぶさ撮影頑張ってください。
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あの日あの時

2009年02月22日 12時21分32秒 | 日常

(あと20日のカウントダウン@辻堂~藤沢間)

散歩行ってくるわ~と出掛けた東海道線上村踏切付近。
ダイヤ改正まであと20日あまり、いよいよ富士ぶさも文字通りのラストスパート。
沿線の撮影ポイントはどこも黒山の人だかり。
いいポジションはあらかた抑えられてしまっていたんで、突っ込みどころ満載ですが何とか撮れました。
そんな訳で、ちょっと雑草が気になるのは勘弁して下さい(笑)。

自分が結婚した年は、東京発のブルートレインが消えた事と共に思い出すのかな~。
世の中過ぎ行く事は、時とともに忘れて行くものではあるんですけど、
「あの日、あの時」と言う社会のよしなし事は、何かとともに思い出すもの。
日航ジャンボ機墜落事故の時は、じーちゃんの家で「100人に聞きました」を見ていた事。
平成に変わるその日は、午前中に部活があって昼まで改元を知らなかった事。
オグリ復活の有馬記念は、オヤジと実家の近くの駅前にある銭湯のロビーで見ていた事。
テイオー復活の有馬の前の日に、逸見さんが亡くなった事。
地下鉄サリン事件は、大学の春休みで二子玉川に自動車の免許取りに行った帰りだった事。
なんか新玉川線が全部ニコタマ折り返しになってて変だなとは思ったんだよね。

世間を揺るがす事件の裏で、それでも人の平凡な日常は続いている。
そんな私も、あと少しで33歳。
そう言えば、私の誕生日が一回だけ国の定める休日になった事があるね。
それが、昭和天皇の葬儀である「大喪の礼」当日。1989年の事でした。

まあ何が言いたいかと言えば、まだ私のカバンには若干の余裕がございますと言う事だw
病気でこん平師匠を見なくなって久しいけど、どうしていらっしゃる事やら…
と、笑点を見ながら思う日曜日でありました。

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ヲタのメッカ

2009年02月21日 22時40分11秒 | 日常

(画像:撮り戦ヲタ)

えー、新居の傍には某飛行場がある訳ですが、休みの日ともなると滑走路の下にこのようにギャラリーが集まっている光景をよく見ます。みんなだいたいサンニッパにエクステンダーを付けたご立派な一眼デジカメを持って離着陸する戦闘機を撮影しているのですが、滑走路の下にある公園の駐車場のナンバーを見ると八王子だったり大宮だったり、結構遠くから来ている人も多いみたいですねえ。私は空の方は門外漢だったりしますが、撮り戦(?)ヲタには凄く恵まれた環境に住んでいると言えるのかもしれません。

今日は暖かかったので、こちらも一眼を持って滑走路の下を散歩なんぞしておりましたが、今日も多数のギャラリーがお集まりの滑走路北側付近。実際戦闘機を撮るっちゅうのはどんなもんかいな、と思って参戦してみたのだが、予想されたレールの上を走る鉄道と違って少々どころか全然まともに捕まえ切れませんでしたとさw

戦闘機の見切れたような写真を張っ付けてもしょうがないので、滑走路北側の市民の森公園から。まっ黄色の花が咲いた見た目すごーく花粉の飛びそうな木は南フランス原産のミモザの木。離陸した哨戒機が一機、鮮やかなミモザの上をくるりと左旋回して飛び去って行きました。

ちょっと悔しいので、一回本腰入れて撮ってみようかなw

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