(新・伊豆の顔 8000系@伊豆高原電車区)
今週は年休消化ウィークと言う事で、家族サービスを兼ねて伊豆に行って来ました。つーか家族サービスってほとんど伊豆だな…いや、スタッドレス履いてれば山方面に向かっても良かったんだけど、山梨埼玉群馬方面とか先週の大雪が残ってるからアウトっしょ。家族サービスと言うものは基本的にヨメさんを家事から解放してあげれば良いものなんであって、場所は二の次なんじゃないかと(笑)。オトーサン的には連れてった先で多少お鉄が出来ればそれで満足。今回は伊豆高原に宿を取ってクルマと鉄道を上手に併用してみました。春の風を僅かに感じる伊豆高原電車区に憩う8000系、東横筋のバリバリの通勤車が観光色の強い伊豆には合わないんじゃないの~?と言う意見が根強いのは承知しておりますが、さすがに10年近く走っていると馴染んで来たよーな気も。
当初は4連と2連で導入された8000系、現在はオール3連に組み替えられて運用に就いとりますが、季節で変動する観光需要と時間で変動する通勤通学需要にフィックスさせるため、先代の普通車である伊豆急100系の時代から増解結は積極的に行われてますね。増解結する場合は熱海~伊豆高原が3連+3連、伊豆高原~伊豆急下田が3連単独と言うスタイルが基本。もちろん熱海~下田を3+3で通し運転する運用もあります。
東急時代にはなかった8000系の増解結シーンを眺めていると、左側の車両に比べ右側の車両は中間車に運転台を新設した車両なので運転席横のコルゲートがなかったり、前照灯上のラインがなかったり、オデコの急行灯(通過表示灯)がなかったりと差異があります。左側の原型っぽく見える車両もシングルアームのパンタが増設された上でクハ→クモハ化されており、モデラー的な視点で見るとのめり込む要素はあるのかなあと(笑)。伊豆高原の増解結は例えば京急の金沢文庫に比べると実にのんびりしたもんで、係の人が落とされる車両に乗っていたおっちゃんを前車両に誘導したりしながら、身軽になった下田行きが5分咲きの河津桜を横目に発車して行きました。
ところ変わって夜の城ヶ崎海岸駅。家族サービス中のお鉄は、子供が寝てからが基本です(笑)。最終の伊東行きは3連、ワンマン札を出しての運行です。社内完結の列車は列車番号の末尾にMが付かないのですね。朝から日中の列車はほとんど熱海まで乗り入れちゃうので気が付きませんでした。大きなログハウスのような城ヶ崎海岸の駅舎に8000系が浮かび上がってよござんす。つーか伊豆でも夜は冷えますねえ。
駅を跨ぐスロープから最終の下田行きを。おばちゃんが一人降りて来て、旦那さんと思しき迎えの車に乗って行ってしまった。東京駅を20時に出る普通電車に乗って来ると熱海・伊東乗り継ぎで最終の下田行に間に合うようです(笑)。真正面から写すとバルブでも行き先表示が見えるもんなんですねえ。城ヶ崎海岸の駅は周辺を別荘地に囲まれていて恐ろしく静かなのだが、つかの間の静寂を切り裂いて8000系が光跡を引いて消えて行く。
翌朝は、富戸駅で下り始発の621レと上り2番列車626レの交換風景から。原型顔と「いとうぷらんぽ」ラッピングの更新顔が並びました。この伊豆急のイメージカラーであるハワイアンブルーの色味と言うのがアタクシはとても好きです。ハワイアンブルーと言ってもその色は例えて言うならかき氷のブルーハワイの色であって、「日本人が抱くハワイの海の色」のようなある意味「和」のイメージが入っているように思うのだよね。伊豆急の初代普通車100系は上下のハワイアンブルーの間をグレーの帯で締めていたのだけど、元々ステンレスの8000系にはこの塗色が意外なほどにしっくり来ているように思う。
これが初代ハワイアンブルー塗装の伊豆急100系クモハ103。100系は平成14年に本線営業を終了してしまったものの、両運転台でモーター付きと使い勝手が良かったものだからこの車両だけ構内入換用として残っていました。伊豆高原電車区で日がな雑務に従事していた老兵を、伊豆急開業50周年事業の一環としてフルレストア。現在は貸し切り用車両として皆様のオーダーをお待ちしている、と言った次第です。片開き2ドアの間にびっしり並ぶ小窓、貫通扉にある差し込み用のサボ受け、ちょっと昔の阪神ジェットカーを思わせるつぶらな瞳が特徴的。
東急グループの肝いりの事業として設立された伊豆急行。伊豆東海岸の険しい地形を縫って僅か1年10ヶ月の突貫工事で開通させた事からもその意欲が分かろうと言うものですが、伊豆急行開通に際し投入されたこの100系も、もちろん東急車輛製。東急の看板に恥をかかせちゃなんないと言う意気込みで作られたその車両は、当時「現代の黒船」と言われたほど地元の期待を一身に集めたそうな。ディアゴスティーニが「日本の地方鉄道名車シリーズ」とか出すんだったら間違いなく入って来るだろうなあ(笑)。
その後継の任を負った8000系が、朝の柔らかい日射しに包まれて赤入洞橋梁を渡ります。この橋は国道沿いのみかん農園俯瞰が有名ですが、今日はほころび始めた河津桜の間からイメージ写真風に。写真を撮っていたら地元のおっちゃんが散歩に歩いて来て「二日前だったら雪があって良かったのにねえ~」との由、聞けば先週は温暖な伊豆でもかなりの積雪があった模様。道はだいぶ雪が解けたみたいだけど、伊豆高原のランドマークである大室山も雪で真っ白だったもんね。
増結を終え、出発待ちの8255F(TB5編成)。東急時代の8000系ってのは後進の8500系の剛性で男っぽいイメージに比べるとなんつーか女性的な感じがしたものだが、伊豆急には運転台上にシングルアームパンタを装着した編成があって見た目はちょっと勇ましくなりました。沿線は海沿いを走る場面も多く塩害で鋼製車輛は持ちが悪い事、JR伊東線乗り入れで熱海~伊豆高原にはそこそこの通勤通学需要がある事、ハイシーズンには観光客も多く混雑する事、以上から収容人員の多いステンレス製の都会の通勤車はそれなりに伊豆急のニーズにフィットしているようです。昭和40年代後半から50年代前半に製造された車両ですが、むしろ後発デビューのリゾート21(鋼製車)のほうが傷みが激しい感じもするしねえ。
ハワイアンブルーの系譜を継ぐ8000系の活躍は、まだしばらく続きそうです。