青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

池和田夏憬

2019年08月31日 23時00分00秒 | 小湊鐡道

(稲田を渡る風@池和田踏切)

 もう8月も終わりという事で、子供たちの長い長い夏休みもようやく終了。まあ私なんかは土日だけの相手をしていればいいのだけど、ヨメさんはようやく学校が始まる事について心底ほっとしているらしい。そりゃあそうだ。起こして朝メシ、片付けて昼メシ、買い物行って習い事に送って行ってあっという間に夕メシの時間。そんなルーティーンと常に言う事を聞かず散らかしまくる子供二人を抱えて駆け抜けるように過ぎて行った40日間ではなかったかと思う。お疲れさまでした。

夏の空気感、夏らしいイメージ、夏の思い出、夏の憧憬。大阪から帰って来てから少しあって、一人でそんな風景を撮りに小湊鐡道に行ってました。去年もこの時期にふらっと小湊に来ていたのですが、房総半島は早場米の産地だけあって季節の風景の進み方が少し早い。ほんのりと色付いた稲田を渡る風に吹かれながら、池和田の踏切で行き交うキハと戯れる。池和田の踏切の空の拡がりは、いつも静かに私の心を癒してくれます。

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函嶺旧車色乱舞

2019年08月30日 22時00分00秒 | 箱根登山鉄道

(きれいな三色団子@上大平台信号場)

この夏は、子供と中京圏の乗り鉄に行ったり、家族で大阪方面へ旅行したりと割とそれなりの費用(笑)を払っての遠征旅が多かったのですが、ふと自分のパソコンの撮影フォルダをひっくり返すと、ホント地元でサクッと撮れるお気に入りの被写体が少なくなったよなあ~なんて思わず愚痴が出てしまう。そんな中でも、久々に自分の琴線に触れてくれたのが箱根登山鉄道の106号。6~7月は吊り掛けのサンナナ(103+107号)の引退フィーバーに揺れた箱根路、普段は登山線なんか撮りに来ないようなマニアまでワンサカ押し寄せて難儀したもんですが、このアイスブルーに塗られた爽やかな106号を追っている人はあまりいないようです。先日まで編成の真ん中に閉じ込められていたのが、組成替えで車端先頭部になったところを狙って撮りに行っています。

湯本を出る106先頭の3連。留置側線に108号が陣取って旧型車の並びになりました。サンナナの引退に伴って、俗に旧型と言われるモハ1・モハ2のグループは104+106に単車の108・109の4両のみ。今のところは元気にそれぞれ箱根の山を上り下りしているけれども、またいつ引退のアナウンスが聞こえてくるか分からないので撮れるときに撮っておかないとねえ。

しばらくは三色団子で運用されていた104+106-109ですが、サンナナが引退した後に再び組成替えがあり、単車の108-109が2連を組みました。ユニットの104-106と併せ、現在登山線の旧型は2連の2編成が稼働するようになっています。土休日の多客時に2連はなかなか厳しいものがあるので、これからの旧型は平日と土休日は朝晩運用が中心となりそうですね。標準登山色の104にアイスブルーの106、金太郎塗分けの108に緑塗装の109ですから、正調の登山線カラーが良かったとお嘆きの諸兄には申し訳ない状況ではあるものの、このやたらとカラフルなバリエーションが登山線旧車末期の思い出になりそうです。

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埼京の使徒、襲来

2019年08月26日 23時00分00秒 | 相模鉄道

(埼京の使途、襲来@かしわ台車両センター)

さて、夏の関西遠征のお話もワンブレイク。長かったようで短かった夏休みもあっという間に終わり、死ぬほど暑かった令和最初の夏もようやっと朝晩は涼しい空気が入って来て、秋の気配を感じられるようになってきました。秋と言えば、地元の話題は11月末から始まる相鉄線とJRの相互直通運転。相鉄車での湘南新宿ラインへの試運転はひと月前あたりから開始されていましたが、ついにお盆明けからは埼京線の車両による試運転が開始され、この週末は羽沢のトンネルを通って川越電車区のE233系が相鉄線に入線して来ました。ちょっと物見遊山でかしわ台の車両センターに出掛けてみたのですが、確かに埼京線のE233系がかしわ台の車両センターに留置されていました。いつも馴染みの相鉄の車両に混じってE233系が休んでいる姿は、何だかキツネにつままれたような気分がしますし、いよいよ相互直通運転が始まる事を実感しますね。

相互直通に使用される車両は、相鉄が12000系、JRがE233系となっていますが、現状相鉄の12000系は2編成しか準備されていません。開業までに何編成を用意する事になるのか分かりませんが、まずは概ねE233系での運行になるのかな。ラッシュ毎時4本・日中毎時3本程度の乗り入れを想定したダイヤになりそうですが、心配されるのが都心直通が割り込むことによって横浜方面が間引かれて混雑が激化するのではないかという問題。正直、相鉄線沿線の住民は、仕事が横浜近辺だから相鉄線沿いに家を持ったという人が決して少なくない。ダイヤはまだ発表されてはいませんが、ラッシュ時の横浜方面の本数がどれだけ確保されるかが心配だったりします。

 

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なんば、ホークス、夢の跡

2019年08月23日 23時00分00秒 | 南海電鉄

(ミナミのターミナル@南海なんば駅電光掲示板)

キタのターミナルが阪急梅田なら、ミナミのターミナルは南海なんば。近鉄、地下鉄、JRが乗り入れていても、なんばの顔と言えばやっぱり南海電車。こちらも1~9番線まで、和歌山市・関西空港方面の本線と、橋本・高野山方面の高野線の発着を一手に引き受ける懐の深さを持っています。南海なんばの駅の自動改札をくぐると頭上には大きな電光掲示板があって、各番線の列車の行き先と種別を見ているだけでワクワクしてしまいますよね。

 ミナミのターミナルの全容。阪急の梅田と比べると、頭端式のホームの終着点に向かって若干の左カーブがあります。なんとなく東京で言うと以前の東横線の渋谷駅のような雰囲気があり。そんな東横の渋谷駅も、副都心線との相互乗り入れで地下の中間駅に変貌してしまいました。国鉄と接続するターミナルを形成し、相互乗り入れに柔軟な関東の大手私鉄と、あくまでそれぞれが会社独自のターミナルを形成し、相互乗り入れと言うよりはライバル関係であろうとする関西私鉄の考え方の違いみたいなものが現れているようで興味深いですね。

高野線ホームの2000系急行橋本行き。急行橋本行きと言われると京王線っぽい(笑)ですが、「急行」の表示幕に添えられた「高野山連絡」の文字に南海らしさを見る。以前はなんばから極楽橋まで直通する「大運転」と呼ばれた急行も頻繁にありましたが、17m車4両が限界の末端部分に合わせるとなんば側の輸送力に影響してしまうので、現在は日に数本程度。「高野山連絡」の急行は、橋本で各駅停車に接続し、極楽橋で高野山ケーブルに接続します。

泉北高速からの乗り入れ車5500系。言わずと知れた泉州のニュータウン鉄道。堺市・和泉市の内陸部の住宅開発と並行し発展してきた鉄道です。関東で言うところの北総鉄道っぽさがある。当初から南海との相互乗り入れを行っており、経営についても発足当時は第三セクターでありましたが、現在は南海の子会社になっています。泉北から南海に乗り入れて来る種別で一番の速達列車は区間急行ですが、区間急行は南海と泉北の接続駅の中百舌鳥を通過します。これは、中百舌鳥に乗り入れている大阪市営地下鉄御堂筋線への客の逸走を防ぐための意図的な策と言われておりますがどうなんでしょうか(笑)。今日も平日。泉州地方のサラリーマンたちが、なんばから大阪都心部を目指す。

高島屋大阪店を併設する南海なんば駅。1933年(昭和8年)からのミナミのシンボルは「南海ビルディング」という名前の立派な建造物で、キタの梅田に阪急が建設した世界初のターミナルデパートである「阪急ビルディング」に触発されて建てられたものと言われております。整然と配された窓の間を仕切るように立つ外柱は、ヨーロッパモダンというかルネッサンス的と言うか。今は背後になんばCITYとなんばパークスという新興商業施設を抱え、ビルに見下ろされる形にはなってはいますが、小さな時計台と望楼を天に抱いたその姿は関西私鉄の一大ターミナルに相応しい風格を備えています。

国土地理院の空中写真で見た、1980年頃のなんばと今のなんば。左の写真で駅の南側にあったのが、ご存じ南海ホークスの本拠地であった大阪球場(とWINSなんば)であります。今のなんばパークスは、大阪球場の跡地に建設された商業施設なんですね。南海ホークスが当時小売業の雄として日本を席巻していたダイエーに身売りを決定したのが1988年の夏の事。たまたま九州旅行に家族で出かけていて、駅売りの九スポで「ダイエー球団買収」の活字を見て驚いた記憶があります。思えば、昭和の時代の関西私鉄では阪神・阪急・南海・近鉄が球団を持っていた時代があったのですよねえ・・・(遠い目)。そんな昭和末期のパ・リーグという日陰者だけが好むオトコ臭くも脂ぎったオトナの世界を、憧れの眼差しで見詰めていた小学生がワタクシなのですが、一番最初に見たプロ野球が川崎球場のロッテVS南海というのが運命の分かれ道だったかもしれん(ちなみに先発は村田兆治と山内孝徳だったと思う)。ちなみに阪急も南海も近鉄も、ファミスタだと「レイルウェイズ」のひとくくりで片付けられてしまうのが納得いかないのだが、レイルウェイズの緑ユニこそ南海ホークスの緑。レイルウェイズって選手層が厚すぎて使うとケンカになるんよなあ。代打いしみね代打かどたは反則レベルだろ。今や阪神以外の関西私鉄は球団を手放し、大阪球場跡地のなんばパークスの他にも、山森が塀をよじ登ってホームランボールをキャッチした西宮球場跡地は阪急西宮ガーデンズ、投手のシュルジーが外野の照明にブチ当てるホームランを打った日生球場の跡地は森ノ宮キューズモールといずれも商業施設に変貌してしまいました。藤井寺だけはもともと住宅地だから商業施設にはなんなかったんだよね。あそこナイターすら反対運動があって、長い事近鉄の藤井寺って鳴り物応援が認められなかった覚えが。

南海 阪急ヤジ合戦 南海加藤と阪急星野の先発、結果はいかに!

いかん、その頃のパ・リーグの話をしていると一週間くらいあっても話が終わらない(笑)。往時のパ・リーグの雰囲気、川崎球場もかなりのもんだったが大阪球場のヤジはそらー凄かったようだ。伝説のヤジ合戦も、客がいねーから声が通りやすいという側面がある(笑)。大阪球場はなんばの場外馬券場と一緒になってたから、金村あたりが「おうカネェ、今日は珍しく球場にぎょうさん客来てるのお~」「栗橋さん、今日ダービーです~」みたいに笑い話にしとるけど。電鉄会社が多いせいで「やったーやったーまたやった、〇〇(エラーした選手)やったーまたやった、〇〇電車ではよ帰れ!」ってヤジがいかにもパ・リーグだなと。今でもたまにオリックスの応援団がやってるけど、昭和のパ・リーグって感じでノスタルジックですよねえ。まあ個人的には今坂さんの「オーイ、か~どた~ぁ~! ブタまんや~! 来い! ブタまんやるど~! 野球なんかどーでもええ、一緒にたべよ~!」が何度聞いても最高です(笑)。

南海高野線電車を見ながら聞く「南海ホークスの歌」

グランド照らす太陽の 意気と力をこの胸に
野球に生きて夢多き 南海ホークスさあ行こう
ああ金色(こんじき)の 羽ばたきに
そらに鳴る鳴るひるがえる 勝利の旗
ホークス ホークス 南海ホークス

(「南海ホークス」球団歌)

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今宮戎で朝練を

2019年08月19日 20時00分00秒 | 南海電鉄

(なんばの手前で@今宮戎駅ホーム) 

さて、汐見橋線のショートトリップを終えた私は、岸里玉出から高野線の電車に乗って、なんばの一つ手前の駅である今宮戎の駅に来ました。ちなみに、今宮戎駅は南海本線にはホームがなくて、停車するのは高野線の各停だけ。岸里玉出までは、この駅と萩之茶屋が高野線の列車しか停車しません。本線の駅なのに高野線の列車しか止まらないのは若干の分かり辛さがあって、和歌山市方面へは新今宮か天下茶屋あたりで乗り換えなくてはならない。岸里玉出も乗り換えられるけど、高野線と本線のホームが離れているので注意が必要ですね。

さて、なんばに向かわずあえてこの駅に降りたのは、ホームから本線と高野線の複々線区間を見晴らしよく眺められるから。南海ファンには良く知られたお手軽なポイントらしい。特に駅の和歌山方は、新今宮から高架線の坂道を駆け下りて来る南海電車を迫力ある構図で撮ることが出来ます。金ピカの出で立ちに、プロレスのマスクマンのような迫力のあるフェイスは泉北ライナー用の12000系。南海の12000系と基本スペックは同じですけど、泉北高速が買い受けてライナー用に投入したマイナーチェンジ車両。

今宮戎の駅に滑り込む高野線の古豪6300系。本線を駆け抜けて来た7100系と共にいかにもな南海フェイス。7100系のジャンパ栓が4つビシっと並んでんのいいなあ。何年か前に、この形式が南海の往時のカラーリング(緑と黄緑)でリバイバルやったんだけど、あれはカッコ良かったもんね。6500系は東急の8000系を思わせるデザインが特徴。

なんば側のアングル。ちょうど関空特急ラピートが通過して行った。後ろにはなんばの商業ビル群と阪神高速の高架があるので、たぶん日差しがある日はこっち側はまだらになりがちかも。この日は適当に曇っていたので問題はなかったが。なんば側のアングルでは本線はイイのだけど、高野線の列車は角度が付かなくて撮りにくい感じがしますね。本線の列車もあまりホームのキワまで寄らずにホームの真ん中あたりから望遠でまとめるのがいいみたいだ。平日の朝ラッシュ時間という事でバンバン列車が通過して行く。あまり南海の車両は馴染みがないが、色々な種類のクルマが来るので撮っていて飽きない。

本線を下って来る南海の最新型車両8300系。なんとなくデザインのイメージに京成の新3000系風味が入っているような。かたや総合車輛製作所(横浜)製造、こちら近畿車両謹製ですからそう共通点はなさそうなのだが、国際空港をメインターゲットにする車両という意味では共通の思想があるのだろうか。そんな最新型の車両に続いて高野線の線路を古豪6000系がかっ飛ばしてきたで。南海の車両の主要メーカーでもあった帝国車両(堺市)が東急車輛に合併した縁もあって、関西私鉄では珍しく東急車輛からの供給が多いんですよね。それこそ東急の7000系とかと同世代の日本最古のステンレスカーが、まだ第一線で活躍しているのだから驚きです。

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