(ミナミのターミナル@南海なんば駅電光掲示板)
キタのターミナルが阪急梅田なら、ミナミのターミナルは南海なんば。近鉄、地下鉄、JRが乗り入れていても、なんばの顔と言えばやっぱり南海電車。こちらも1~9番線まで、和歌山市・関西空港方面の本線と、橋本・高野山方面の高野線の発着を一手に引き受ける懐の深さを持っています。南海なんばの駅の自動改札をくぐると頭上には大きな電光掲示板があって、各番線の列車の行き先と種別を見ているだけでワクワクしてしまいますよね。
ミナミのターミナルの全容。阪急の梅田と比べると、頭端式のホームの終着点に向かって若干の左カーブがあります。なんとなく東京で言うと以前の東横線の渋谷駅のような雰囲気があり。そんな東横の渋谷駅も、副都心線との相互乗り入れで地下の中間駅に変貌してしまいました。国鉄と接続するターミナルを形成し、相互乗り入れに柔軟な関東の大手私鉄と、あくまでそれぞれが会社独自のターミナルを形成し、相互乗り入れと言うよりはライバル関係であろうとする関西私鉄の考え方の違いみたいなものが現れているようで興味深いですね。
高野線ホームの2000系急行橋本行き。急行橋本行きと言われると京王線っぽい(笑)ですが、「急行」の表示幕に添えられた「高野山連絡」の文字に南海らしさを見る。以前はなんばから極楽橋まで直通する「大運転」と呼ばれた急行も頻繁にありましたが、17m車4両が限界の末端部分に合わせるとなんば側の輸送力に影響してしまうので、現在は日に数本程度。「高野山連絡」の急行は、橋本で各駅停車に接続し、極楽橋で高野山ケーブルに接続します。
泉北高速からの乗り入れ車5500系。言わずと知れた泉州のニュータウン鉄道。堺市・和泉市の内陸部の住宅開発と並行し発展してきた鉄道です。関東で言うところの北総鉄道っぽさがある。当初から南海との相互乗り入れを行っており、経営についても発足当時は第三セクターでありましたが、現在は南海の子会社になっています。泉北から南海に乗り入れて来る種別で一番の速達列車は区間急行ですが、区間急行は南海と泉北の接続駅の中百舌鳥を通過します。これは、中百舌鳥に乗り入れている大阪市営地下鉄御堂筋線への客の逸走を防ぐための意図的な策と言われておりますがどうなんでしょうか(笑)。今日も平日。泉州地方のサラリーマンたちが、なんばから大阪都心部を目指す。
高島屋大阪店を併設する南海なんば駅。1933年(昭和8年)からのミナミのシンボルは「南海ビルディング」という名前の立派な建造物で、キタの梅田に阪急が建設した世界初のターミナルデパートである「阪急ビルディング」に触発されて建てられたものと言われております。整然と配された窓の間を仕切るように立つ外柱は、ヨーロッパモダンというかルネッサンス的と言うか。今は背後になんばCITYとなんばパークスという新興商業施設を抱え、ビルに見下ろされる形にはなってはいますが、小さな時計台と望楼を天に抱いたその姿は関西私鉄の一大ターミナルに相応しい風格を備えています。
国土地理院の空中写真で見た、1980年頃のなんばと今のなんば。左の写真で駅の南側にあったのが、ご存じ南海ホークスの本拠地であった大阪球場(とWINSなんば)であります。今のなんばパークスは、大阪球場の跡地に建設された商業施設なんですね。南海ホークスが当時小売業の雄として日本を席巻していたダイエーに身売りを決定したのが1988年の夏の事。たまたま九州旅行に家族で出かけていて、駅売りの九スポで「ダイエー球団買収」の活字を見て驚いた記憶があります。思えば、昭和の時代の関西私鉄では阪神・阪急・南海・近鉄が球団を持っていた時代があったのですよねえ・・・(遠い目)。そんな昭和末期のパ・リーグという日陰者だけが好むオトコ臭くも脂ぎったオトナの世界を、憧れの眼差しで見詰めていた小学生がワタクシなのですが、一番最初に見たプロ野球が川崎球場のロッテVS南海というのが運命の分かれ道だったかもしれん(ちなみに先発は村田兆治と山内孝徳だったと思う)。ちなみに阪急も南海も近鉄も、ファミスタだと「レイルウェイズ」のひとくくりで片付けられてしまうのが納得いかないのだが、レイルウェイズの緑ユニこそ南海ホークスの緑。レイルウェイズって選手層が厚すぎて使うとケンカになるんよなあ。代打いしみね代打かどたは反則レベルだろ。今や阪神以外の関西私鉄は球団を手放し、大阪球場跡地のなんばパークスの他にも、山森が塀をよじ登ってホームランボールをキャッチした西宮球場跡地は阪急西宮ガーデンズ、投手のシュルジーが外野の照明にブチ当てるホームランを打った日生球場の跡地は森ノ宮キューズモールといずれも商業施設に変貌してしまいました。藤井寺だけはもともと住宅地だから商業施設にはなんなかったんだよね。あそこナイターすら反対運動があって、長い事近鉄の藤井寺って鳴り物応援が認められなかった覚えが。
南海 阪急ヤジ合戦 南海加藤と阪急星野の先発、結果はいかに!
いかん、その頃のパ・リーグの話をしていると一週間くらいあっても話が終わらない(笑)。往時のパ・リーグの雰囲気、川崎球場もかなりのもんだったが大阪球場のヤジはそらー凄かったようだ。伝説のヤジ合戦も、客がいねーから声が通りやすいという側面がある(笑)。大阪球場はなんばの場外馬券場と一緒になってたから、金村あたりが「おうカネェ、今日は珍しく球場にぎょうさん客来てるのお~」「栗橋さん、今日ダービーです~」みたいに笑い話にしとるけど。電鉄会社が多いせいで「やったーやったーまたやった、〇〇(エラーした選手)やったーまたやった、〇〇電車ではよ帰れ!」ってヤジがいかにもパ・リーグだなと。今でもたまにオリックスの応援団がやってるけど、昭和のパ・リーグって感じでノスタルジックですよねえ。まあ個人的には今坂さんの「オーイ、か~どた~ぁ~! ブタまんや~! 来い! ブタまんやるど~! 野球なんかどーでもええ、一緒にたべよ~!」が何度聞いても最高です(笑)。
南海高野線電車を見ながら聞く「南海ホークスの歌」
グランド照らす太陽の 意気と力をこの胸に
野球に生きて夢多き 南海ホークスさあ行こう
ああ金色(こんじき)の 羽ばたきに
そらに鳴る鳴るひるがえる 勝利の旗
ホークス ホークス 南海ホークス
(「南海ホークス」球団歌)