(画像:温泉湯豆腐)
朝食に出て来たのは、湯原温泉のお湯を使った温泉湯豆腐。
くせのない湯原のお湯だから出来るのかな。
もみじおろしと青ネギを乗せて、ポン酢でいただく午前8時。
朝飯を食いながらNHKのニュースにいちいちコメントを入れる宿のかあちゃん、
結論としては、「鉄道止めると賠償金が来るから、死ぬ時は一人でひっそり逝け」と言う事だw
今日は朝の5時に起きてから、宿で朝風呂。
少し体を温めた後に、朝の湯原温泉を徘徊。
かじか荘が早朝の旭川に映り込む。
山の端から低く垂れこめた雲…
今日は雨の予報通り、宿を出る頃に降り出した雨。
マシンガンかあちゃんに見送られ湯原を後に。
つーか湯原温泉、まあまあイイとこだったと思います。
また来てもいいかな。
そぼ降る雨の中を津山駅へ。
今日は私のリクエスト、津山駅に残る津山機関区の見学。
ここに残る「扇形機関庫」は、昭和11年に建造され、「日本の近代土木遺産」にも指定された重厚なもの。
現存するものとしては京都の梅小路機関区に続く全国No.2の規模なんだそうな。
今日は、その一般公開の今年最終日。
雨の中ですが、たくさんの人が集まりました。
これが津山の扇形機関庫。
ターンテーブル(転車台)を中心に、20室弱の車庫が配されています。
この機関庫が作られたのはSLの時代。
SLには両方向に運転台が付いてないですから、ターンテーブルで方向転換をする必要がありました。
転車台を中心に車庫を半円に囲う事で、省スペースで効率良く車両を収納する事が出来る訳です。
現在保存されているのは、ディーゼル機関車3機と国鉄型気動車2両。
では、左から見てみましょう。
まずはDD51 1187号機。
側面に「後藤総」って書いてあったから、最終所属はJR西日本後藤総合車両所ですね。
簡単に言ってしまえば旧米子機関区ですか。
台車周りの突き出した箱型の砂箱に特徴あります。
何年か前までは寝台特急「出雲」の先頭に立ち、京都~浜田間を牽引した山陰のエース機関車です。
余部橋梁を渡るDD51とブルートレインってのは、山陰路を飾る代表的な鉄道風景でした。
お次はDE50 1号機。
1号機っつーか、結局DE50ってのはこの1台しか生産されなかったそうだ。
DD51より大出力かつ高性能な機関車らしかったのだけど、
当時の労組が「新型機の取扱を覚えるのは労務環境の悪化に繋がる(相当意訳)」と言う理由で運転を拒んだそうだw
まあ、新機種にありがちな初期不良とかもあったらしいのだが。
結局取り扱いに慣れたDD51を量産する事になり、それで別段問題も起こらなかったので、
じゃあ別にいらないよねって事で、この機関車の事はなかった事に。カワイソス。
機関車最後はDE10 1号機。
DD51を2,000CC上のセダンとするなら、この機種は1,500CCの取り回しのいい実用車。
小回りが利き、線路の弱いローカル線を走ったり、車庫の入れ替えなどの裏方仕事もコツコツこなす2番バッタータイプ。
今でも後輩達は全国で元気に活躍中です。
最後はキハ28・58のコンビ。もちろん国鉄色。
下関の車両だったみたいですね。
ついぞウン年前までは、全国の非電化区間では石を投げれば当たる状態でしたが、
今は走るだけで沿線は撮り鉄で大パニック必至の状況に。
価値と言うものは、失ってみて分かるもののようで。
機関庫の中にも入る事が出来る。
薄暗く、少しほこり臭いような独特の空気。
格子に組まれた車庫の窓、SLが燃やした灰を掻き落としたであろう深いピット。
天井の穴は、SLの排煙を抜くための穴だったんだろうなあ。
べっとりと煤がこびり付いた車庫の柱に、鉄道栄華の在りし日を偲ぶ。
最後に、転車台越しのDDシリーズの雄姿を。
何となく戦隊モノの巨大メカの発進基地のようでかっこいいですよねw
現在の津山駅ホーム。
以前は鳥取へ、岡山へ、大阪へ、長編成の急行列車が走っていたため、津山駅のホームもかなり長い。
今はその長さを持て余すかのように、2両編成の列車が発着している。
これが、現在のこの国の地方の鉄道事情です。
高速道路があまりにも便利に発達し過ぎました、と言うのは自己弁護か。
それでもこの駅は、日本最後の昼行急行列車(急行つやま)の終着駅でもあります。
見学終了後、へんしうちょはサテライト津山へ玉野競輪の記念場外売りに(笑)。
ヲタに付き合わせてしまってすみませんw
へんしうちょ曰く、「タモリ倶楽部における松尾貴史(キッチュ)のような目線で見ていたので結構面白かった」らしいがw
今日のミッションはここまでしか決定してなかったので食事を取りながら今後の予定を詰めようとするも、
さすが地方都市、駅付近にはまともなメシ屋が全然ない。
バイパス沿いが栄えている、典型的な車社会の街ですね。
やっと商店街の外れのシャッター通りで見つけたうどん屋で昼食。
もう歩き回ってるのも寒いので何でもいいや、って感じだったのだが、
店主が自ら打ったらしい「作州うどん」は案外美味しかったのが救い。
結局昼食兼作戦会議では何も決まらず、あてもなく雨の作州路を彷徨う我々。
道の駅「久米の里」では1/3スケールのΖガンダムとご対面w
何が凄いってこのガンダム、油圧ダンパーが装備されてて、実動するらしい(笑)。
実際雨に降られちゃうとピンとくるスポットの何もない地域なので、
さっさと岡山方面に移動する事にする。
中国道の北房IC~岡山総社ICまでワープし吉備津神社などを拝観するも、
それでも時間は大量に余ってしまった。
へんしうちょは車窓から「ダース!ダース!」とか叫んでいましたがw
結局岡山駅に戻って来ちまったよ。
レンタカー返納。総走行距離は3日で596kmでした。
ここで一行は協議の末自由行動に。
へんしうちょは速攻岡山駅近辺のゲーセンに(笑)。
私、グッピー、山小屋氏は岡山の市内観光をする事にしました。
と言っても、岡山の路面電車に乗るだけなんですけどねw
まずは清輝橋線に乗って終点の清輝橋まで。
降りる駅の前で降車ボタンを押さなければいけないのが岡山流。
運賃は終点までが140円。途中の郵便局前までが100円。
100円区間は結構な乗車率。
清輝橋から柳川まで戻り、お次は東山まで往復。
東山行きの車両は、岡山電気軌道が投入した新型車両「MOMO」です。
バリアフリー対応の低床車両で、他の車両と違い2両連接タイプ。
路面電車と言うと車社会の中の邪魔者として衰退の一途を辿っていましたが、
岡山では路面電車への投資も怠っておりません。
車両内にはイルミネーションが施されており、無駄に派手(笑)。
岡山駅前に戻り、へんしうちょと合流。
あ、自分もQMAってヤツを初めてやってみたりw
岡山駅地下の回転寿司で、とりあえずごくろうさんの乾杯。
帰途は19時ののぞみ。
それまでは、みやげ物を見たり、フラフラしたり。
人気があるのか価値暴落で仕入れがないのか判然としないのだが、
わし育ラーメンは残り一個しかなかったw
東京と言う文字に旅の終わりを感じる。
帰りはのぞみ190号。今回はサプライズはなく普通に300系でしたw
行きのテンションとは違い特にしゃべる事もなく、窓の外に過ぎて行く街の灯りちらちら。
新横浜で皆に別れを告げ、旅が終わりました。
そぼ降る雨は、私の心の涙雨w
走る列車から自分だけ降りて行くと言うのも、何とも意味深な最後です(笑)。
今回はそこはかとなく悲しさのある別れですが、本当に充実した三日間でした。
間もなく私の首には鈴が付きますけど、たまには鈴を外してみたい。
倦んでしまった心の窓を開け、違う空気に入れ替える作業は必要です。
そんくらいいいでしょ。ね。