青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

スカイブルー どこかで見たな 的ココロ。

2022年08月31日 17時00分00秒 | 京都丹後鉄道(丹鉄)

(小さなトンネルを抜けて@天橋立~宮津間)

宮豊線、いわゆる旧宮津線区間で唯一電化されている宮津~天橋立間の小トンネルを行く丹鉄DC。ここまではJRからの特急「はしだて」が乗り入れて来るので、その為の電化区間です。磐越西線の会津若松~喜多方とか、会津鉄道の会津高原~会津田島間とか、電化区間からの直通列車の為に後付けで電化された区間ってのは全国にありますが、最近は電化設備の負担の重さがネックになっているという話もちらほら。丹鉄も、宮福線系統の三往復/日のJR車による特急「はしだて」と何往復かのJR一般車両の電車運行しかないんですけど、そのために福知山~宮津~天橋立までの電化を維持するというのも大変じゃないのかなと。確かに電化当時はDCと電車特急にはそもそもの走行性能の差がありましたから「電車化によるスピードアップ」っていう目に見える効果もありましたが、今は電車もDCもそう性能が変わりませんしね。JR持ちのはしだてはキハ189系かそれに代わるハイブリッド特急気動車を投入し車両を整理、福知山以北は電化設備撤去くらいの合理化計画はあるのかもしれません。

地元流動のローカル部分を支える、KTR700形・800形の両気動車。全国的に、非電化の第三セクターと言うと新潟鐵工所(新潟トランシス)製造のNDCが優勢ですが、この車両は平成初期に富士重工業で製造されたもので、そのヨーロピアンなデザインにはオンリーワンの魅力があります。平成初期と言えばまだ世の中にはバブルの名残りがありましたし、国鉄→JRへの分割民営化に伴い、イメージを一新すべく各社が競って新車に投資をしていた時期。トイレ付きの700形とトイレなしの800形、それぞれに当時の新幹線規格の転換クロスシートと小テーブルが装備されていて、30年選手と言えど色褪せない外装のデザインだけではなく、内装も三セクの汎用DCとは違ったハイグレードな作りである事が伺えます。そう言えば、国鉄の分割民営化と時を同じくして開業したKTRは、フラッグシップ車両として初代タンゴエクスプローラーであるリゾートDC特急KTR001系を投入し、華々しく「国鉄から転換されて生まれ変わった北近畿タンゴ鉄道」をアピールしていたものです。今と比べて、何とも輝かしい鉄道の時代ではあります。

昼を過ぎて、だいぶ天気が良くなって来た丹後半島。天気が良くなったら良くなったで、灼熱の日射しが頭上から燦々と照射されてきて暑いことこの上ない。白手ぬぐいを頭にほっかむりして、稲穂実り首を垂れ始めた田園地帯で丹鉄のDCを待つ。遠くから大きな汽笛が聞こえて来たかと思いきや、思った以上のスピードでかっ飛んで来たDC802。近況のKTR700・800形は、「あかまつ・あおまつ」などの観光列車や「丹後ゆめ列車」他の企画モノに改造され、色々なカラーリングを身にまとってはいますけども、何だかんだこのスカイブルーの丹鉄一般色の車輛が一番美しいような気がしますね。

しかし丹後の海と空を思わせる鮮やかな濃いめのスカイブルーのカラーリング、キリリと締めた緑と赤のライン。この組み合わせ、どっかで見た事あるなあという既視感があったのだが、そうだ、80~90年代前半の西武ライオンズのビジターユニフォームだ(笑)。石毛平野秋山清原バークレオの時代のヤツね。一番自分が西武が嫌いだった時代のビジユニ、こんな場所でそんなつまらぬ事を思い出す。三つ子の魂、百までのココロである(小沢昭一か)。

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過疎半島 どこの地方も 同じこと。

2022年08月29日 17時00分00秒 | 京都丹後鉄道(丹鉄)

(入居者募集中@宮津市街)

あまりにも強烈なワードが書かれていたので思わずカメラを向けてしまった、宮津市街某所の「独身マンション」。個人情報やらコンプライアンスがウルセエこの時代に、そんなあからさまに個人のパーソナリティを披露していいものなのか。というのもあるし、独特の書き文字が物凄く昭和だし、マンションの「ン」の文字が星になってるところとか、「うる星やつら」とかそういうのを彷彿とさせる(笑)。宮津に突然現れたるーみっくわーるどなのか。波型のトタン屋根、どう見ても1Fの工務店の従業員が住まわされているタ〇部屋としか思えないのだが、見たところそれなりの居住者がいる模様。はからずも独身の皆様、宮津方面でご就職の予定があるのであれば、居住地の選択肢に入れてみてはどうでしょうか。

晴れたり陰ったりが猫の目ベースで変化したこの日の丹後半島。引き続き、丹鉄に乗ったり沿線をロケハンしながらパチリ、パチリ。若狭湾に繋がる宮津湾に沿って、細長く連なる宮津市街。丹後半島の中心に位置する都市で、人口は約16,000人。丹後半島の中では平成の大合併で6町が合併した京丹後市の方が市域も人口も大きいですけど、経済と行政の中心はここ宮津市という事になりましょうか。産業はやはり漁業と、それに付随する水産関連の加工だったり、あとは天橋立や傘松公園を中心にしたホテルなどの観光業でしょうか。

ちなみに宮津市域をGoogleマップで見ると、宮津市の中心部と北部は天橋立だけで辛うじて繋がっているといういびつな形状となっています。平成の大合併の際、宮津市はお隣の現・与謝野町(加悦町、岩滝町、野田川町)プラス伊根町との1市4町の広域合併を目論みまして、この話が成就すればめでたく宮津市の南北分断は解消されたはずだったのですがこれが破談。宮津市は引き続き単独での自治体継続の道を歩むこととなりました。この手の広域合併、政治的な思惑とか住民感情だとか、合併市町村の中での主導権争いの中で上手く行かない事もあるっちゃある訳ですけど、過疎化高齢化による人口減、それに伴う地方行政の歳入不足、広域での水道・消防・救急などの住民生活のためのネットワークの維持、それこそ公共交通インフラの整備とか、減少して行く人口の中、宮津市単独でどこまでやれるかというのはありそう。

穏やかな宮津湾を横目に、草生す線路を走る京都丹後鉄道のKTR700形。三セクとして開業してから30年余り、宮津市の人口は25,000人から16,000人に、京丹後市市域の人口は70,000人から50,000人を切りました。こと「半島」と呼ばれる地域ってのは、ここ丹後のみならずどうしても交通の便が悪くなりがちなのが辛いところで、末端部から人口が減って行ってしまう傾向にあるのですが、この約30%の人口減が、丹鉄の収益面と将来に重くのしかかっています。

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テールにて 過ぎ行く夏を 眺めおり。

2022年08月27日 11時00分00秒 | 京都丹後鉄道(丹鉄)

(晩夏が遠くへ去って行く@京都丹後鉄道・車内より)

転換クロスシートの車内、ほどほどに座席の埋まった西舞鶴行きの普通列車。KTR700形の単行DC。あえて空いている座席には座らずに、最後尾の貫通扉横に凭れる。ワンマン運転のDCはここが特等席。進行方向側では運転士氏の邪魔になってしまうし、いいトシこいたおっさんが最前でカブリツキをかますというものも趣味のありようとしては美しくない(笑)。そういうのは小さな子供に任せて、オッサンはここから一人静かに列車のテールから去って行く景色を眺めているのが良いのではないかと思われる。

夜半からの雨も過ぎ、晴れ間も見えてきた丹後半島。雲間からの青空と、白い雲のコラボレーション。石州瓦からの流れか、黒い瓦屋根の葺かれた家々が立ち並ぶ漁村を一つ一つ過ぎるたびに、夏が姿を現し始めました。お盆を過ぎて、もう季節は夏から秋に移り変わる頃合いだろうけども、空の色はまだまだ夏が優勢と見え。車内の冷房に涼を求めながら、列車の後方へ晩夏が流れるのを見やる。

列車は栗田を過ぎ、ここから丹後由良にかけては約6km、奈具海岸と呼ばれる風光明媚な海岸線を走って行く。小さな湾と入江、突き出た岬が連なるリアス式海岸の風景。丹後半島は、京都府北部の地域ではありますけど、地形や風景、気候などはやはり山陰のそれに近い。国道沿いの看板がやたらと「カニ」をアピールして来るのも山陰っぽいですね。城崎の先にある津居山とか香住、浜坂なんかが松葉ガニのメッカですが、天橋立観光と絡めてカニ料理とか、いかにもパッケージングされた丹後・但馬のツアーという感じもします。勿論、丹鉄もそういう観光ニーズを取り込んではいるのでしょうが。

先ほどは由良川の河畔から眺めた由良川橋梁を、今度は車窓から眺めてみる。丹後の大河・由良川に一直線に架けられたこの橋梁、車窓からの眺めも見事なもの。この日は保線の職員が橋の点検作業に入っていたため、ゆっくりと徐行してくれた事もあって由良の眺めを十分に堪能する事が出来ました。丹鉄の観光列車「あかまつ・あおまつ」なんかだと観光サービスで徐行してくれるらしいけど、こちらは定期列車でしたのでね。橋の海側には通信ケーブル(?)の支持用に使われていたと見える柱が立っているのだけど、今はケーブルも這わされていないので余計なものがないのがいいですね。架線もケーブルもない。プリミティブに海と空と、間を分かつ鉄橋だけがある。そんな由良川橋梁の世界観。

橋を渡り切った先、丹後神崎の駅で列車を降りる。由良川の右岸側は細い県道しか通っておらず、行き止まりのドン突きのような袋路になっていてとても静か。神崎の集落の外れにある小さな駅で宮津から乗ってきた「艦これ」由良号とお別れすると、煩いだけのアブラゼミの声と、噎せるような草いきれを渡ってくる熱風と、由良号が残していった微かなディーゼルエンジンの排ガスの匂いだけが残されました。

暑さに思わず喉の渇きを覚え、駅前に自動販売機でもないかと探したが、何一つ見つからなかったのはご愛敬。夾竹桃がほのかに咲く駅で、流れる汗を拭いながら折り返しの列車を待つ。丹鉄の駅舎、三セク転換して以降に建て替えられてしまったものが殆どで、駅舎に特に見るべきものはなかったのだけど、こういう時間も、得難いといえば得難いのだろうか。

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三ツ巴 丹後のレール 集まって。

2022年08月25日 23時00分00秒 | 京都丹後鉄道(丹鉄)

(丹鉄の基幹駅@宮津駅)

午前中は夜半からの雨雲が残り、スッキリとはしなかったこの日の丹後半島。由良川橋梁での舞鶴からの宮舞線・豊岡への宮豊線・そして福知山への宮福線。丹鉄の3路線の全てが集まるのがこの宮津の駅。丹後半島の中心都市である宮津市の中心駅にて、京都丹後鉄道の本社もこの駅に併設されています。駅の真横にある駐車場にクルマを放り込み、出札口で購入したのが「もうひとつの京都周遊パス 海の京都エリア」という企画乗車券。京都丹後鉄道が2日間乗り放題で3,000円+その他京都バスや丹海バスの利用も可能。西舞鶴~豊岡間が普通運賃で1,500円なので、2日間なら適当に乗り降りしているだけで充分オツリがくる便利なきっぷ。

折角切符を手に入れたので、ここからは乗り撮りしながらクルマでは見付けられない被写体にアプローチして行くスタイル。宮津の駅は、駅本屋が接したホームと島式ホームが作る宮津線時代の国鉄型配線の外側に、宮福線開通時に増設された福知山方面行きの単式ホームがあるという3面4線の変則的な格好。三セク転換時は一日の乗降客数が3,000人を超えていた宮津の駅ですが、あれから30年、現在の乗降客数は一日1,200人程度。古くからあるもの、新しく作られたものが入り混じる宮津の駅。トタンとベンガラ、二つの色のホーム屋根。

駅の北側、天橋立方にある跨線橋。木造の板張りに鋼材組みで出来ていて、なかなか渋い物件。バッテンに渡された鋼材の跨線橋、渋さを残しつつキレイに使われているのもまたいい。そんな跨線橋の下をくぐって、西舞鶴行きの普通列車がやって来ました。朝に西舞鶴の駅で見た「艦コレ」車両ですね。

豊岡から久美浜経由でやって来た「特急はしだて2号」。京都丹後鉄道ご自慢のKTR8000形での運行です。豊岡から旧宮津線を経由し、宮津から宮福線で福知山へ出て京都へ。丹後半島で細かく乗客を拾いながら3時間強のロングランの特急列車です。自動車専用道路(京都縦貫道)が京丹後大宮まで開通しているとはいえ、意外に侮れないのが丹後地方からの京都市方面への需要。山陰本線京都口からは、特急あさしおが1往復だけ京都~福知山~舞鶴~宮津経由で豊岡・城崎まで走っていたのだけど、「特急はしだて」はあさしおからの伝統の系譜を辿っているとも言えます。当時は宮津線に入るために綾部、舞鶴で2回の方向転換が必要でしたが、現在の宮福線ルートではここ宮津で1回だけ。そのため、丹鉄を走る特急列車は、全てこの宮津でエンド交換のための停車時間を取ります。

深い群青色のボディ。藍色メタリック、というらしいが。2015年に、かつての「タンゴディスカバリー(二代目)」から「丹後の海」へリニューアル工事を施されたこの車両、2両ユニットで改造費は1編成8,000万円程度。5編成10両だから、総計4億円の設備投資という事か。「特急はしだて」は全車指定席なので、私の持っているフリーきっぷでは乗る事が出来ません。ちょっと第三セクターにしてはオシャレ過ぎるこの車両、乗って楽しむのは後に譲るとして、ひとまず普通列車に乗って京都丹後鉄道の旅を始めてみましょう。

 

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歌人詠む 由良の戸渡る 大鉄橋。

2022年08月22日 17時00分00秒 | 京都丹後鉄道(丹鉄)

(舞鶴から宮津へ@地理院地図)

京都丹後鉄道、元々の国鉄宮津線(西舞鶴~豊岡間83.6km)と、新線建設された宮福線(福知山~宮津間30.4km)からなる第三セクターですが、よくよく考えたら総延長で114.0kmの路線を持つ三セクってそうないですよね。JRから山田線部分を譲り受けた三陸鉄道が160km超で全国で一番長いと思うのだけど、その次くらいなのかな。山と海が織り成す風光明媚な丹後半島の地方鉄道を、たった1泊2日で全部回り切るというのも大変なので、今回は主に旧・宮津線区域(西舞鶴~豊岡間)の探訪としました。新線建設された宮福線部分は、トンネルと高架橋が多く撮影する場所も少なそうに感じましたのでね。鉄建公団線なので、野岩線とか北越急行的な感じのボックスカルバートのコンクリ構造物が中心なんでしょうし・・・

まあそもそも来たこと自体が全くの直前の思い付きなんですが、京都丹後鉄道の旅を開始するにあたり「ここは!」という是非モノのポイントがありまして、それがこの丹後神崎~丹後由良間の「由良川橋梁」でした。京都府東部の丹波高地を水源として、日本海に注ぐ丹後地方の大河・由良川の河口に架かるこの橋は全長552m。ほぼ海と見まごうばかりの雄大な由良川の流れを、真っすぐに貫く鉄道橋梁。全部で25基の細かいコンクリート橋脚の上に、これもベーシックな上路プレートガーターの桁が載せられたビジュアルは、無駄を削ぎ落したシンプルな美しさに溢れています。今回の丹後行の旅程の中で、この鉄橋の周りをウロウロして撮影に費やした時間が何だかんだ一番多かったんでないのかなあ。周りの雄大な風景を邪魔せず触らず、どこからどう撮ってもそれなりに映えるという非常にフォトジェニックな構築物。それだけに、撮っても撮っても撮り飽きない底知れぬ魅力がありましたよねえ。

国道沿いの石浦という集落にあるのが、由良川橋梁を少し小高い位置から望む「オリーブの丘公園」。最近は誰も管理していないと見え、マント群落が生い茂りやや荒れ気味の公園ですが、ここから由良川橋梁を狙います。遠く栗田湾の先に見える島影は舞鶴大島と沓島(くつしま)か。丹後由良の駅を出た気動車のエンジンの音が遠くから聞こえて来て、鉄橋の上に踊り出した西舞鶴行きの218Dがファーストショット。「由良の戸を わたる舟人 楫(かじ)をたえ 行方もしらぬ 恋の道かな」という和歌、百人一首に選ばれているのでご存じの人も多いかと思われる。そんな風光明媚な由良川の風景。流れの速い由良の戸(由良川の河口)を渡る船人が船を操る櫂(かい)をなくしてしまったように、私の恋の行方もどうなるか分かったものではないなあ・・・という自らの恋路の行く末を案じた歌は、曽禰好忠(そねのよしただ)という歌人の作であるそうな。数多の船人たちを翻弄した由良の流れに橋を架け、舞鶴から宮津までの鉄道が開通したのは、1924年の事です。

橋の袂から思い切り圧縮して、連続する橋脚を強調するアングル。これも素晴らしい。大正時代に、単線とは言えこれだけの鉄橋を建設するのはなかなかの大工事だったのではないかと思われる。舞鶴からの線路の位置関係を鑑みれば、わざわざ川幅の広い河口部に作らなくても、4~5km上流の川幅が狭まった部分に短い橋を架けてさっさと由良川の左岸に出た方が良かったのではないかと考えてしまうのだが、どうも架橋を予定していた地区で反対運動があって現行のルートにせざるを得なかったらしい。私如きの浅知恵など、大正時代の鉄道技師たちが分からんわけはないという事か。ともあれ、反対運動がなければこんな見事な大鉄橋は建設されなかったのだから、鉄路の歴史も色々である。

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