青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

北勢不思議ワールド

2012年08月31日 23時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(ねじり橋・めがね橋@楚原~麻生田間)

三岐鉄道訪問記、東藤原への往復の後は三重のゲスト氏に無理を言って北勢線の楚原付近まで車で送っていただきました。本当だったら伊勢治田から阿下喜まで歩いて楚原まで行こうと思ってたから助かったわあ。時刻は既に夕方、日帰り旅行に残された時間は少なく、ここからは北勢線の土木遺産を急いで見学する事に致します。楚原と麻生田の間の田園地帯に架かる二つの橋・明智川拱橋(きょうきょう)と六把野井水(ろっぱのゆすい)拱橋は、どちらも大正初期の北勢線開業当時に架橋されたコンクリートブロックの橋。まだ大正初期だとレンガ全盛期だと思うんだが、コンクリートブロック積みってのがやっぱお土地柄なのかねえ。あ、「きょうきょう」と言うのは「橋梁」と違うのかって話ですが、「拱橋」は橋の中でも主にアーチ型の橋を指す言葉らしい。


橋の近くまで氏に送っていただき、苦もなくアクセス。
日本の近代産業土木遺産フェチとしてはそれなりの経験を積んだつもりの私ではありますが、まあなんだね、地味だね(笑)。って言ったらミもフタもないんだけど、見て来た正直な感想なんだからしょうがない。下を流れる明智川は夏草に隠れ、夕日射す草叢の向こうにほんのかわいい三連アーチのコンクリート造りの橋。コンクリートアーチ橋の鉄道構造物では北海道のタウシュベツ川とか未完成に終わった根北線の第一幾品川橋梁なんかが有名ですが、あれをうんとミニチュアにしたと言うか。北勢線は言わずと知れた軌間762mmのナローゲージですから、北勢線のサイズに合ったかわいらしい橋と言えば言えるのかもしれない。


ガタゴトとミニチュアのようなナローの旅路は、この辺りからクライマックスなのかな。
員弁川の河岸段丘の縁をなぞるように、キイキイと車体をきしませてゆっくりゆっくりと列車が明智川のアーチ橋を渡って行きます。夕暮れ間近の夏の日差し、実りの秋を前にした田んぼを一足お先に黄金色に染め上げて行きます。夕日がレールとアーチ橋まで届かなかったのが残念だけど、確かに雰囲気はいいよね。


明智川の橋から100m程度楚原寄りにある六把野井水拱橋。
員弁川の水を上流から取り入れ、河岸段丘の上を灌漑し流れて行く六把野井水に架橋されたこのアーチ橋は、灌漑用水に対し斜めにかかっているその作りから「ねじりまんぽ」と呼ばれているそうな。


用水に対して斜めに架かってるから「ねじり」なのかと思いきや、橋自体の構造がねじれている(笑)。
これは明智川の三連アーチ橋の地味さ加減に比べると、分かりやすくすげえ!って思いますよ。
なんつーか、三次元を二次元で表記した場合の遠近感と言うか、規則性があるようでない幾何学的なそのブロック積みがねえ。時空が歪んでる感じがしてどうにも不思議ですねこれ。なんかでこう言うの見た事あるよなあ…と少し考えて思い当たるに、この不思議な感じは「クラインのつぼ」のようだなあ。一個一個の石を組み上げてねじった上で橋としての強度を出すってどういう技術なんだろ?と思って調べたら、レンガや石積みで斜めに橋をかける場合には一番力のかかるアーチの頂点を上部路と直交させる積み方にするため、裾からは頂点を直交積みにするため斜めにねじりながら積み上げて行くものなんだそうな。へえー。


見学を終えて六把野のねじりまんぽに繋がる草むした道を出ると、山並みの向こうに夕日が落ちて荘厳な眺め。
ねじりまんぽは、あたかも不思議空間へのタイムトンネルのように思えたりして…
まじまじと見過ぎて、楚原の駅に向かって歩く目の前の道が少し歪んで見えました(笑)。
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フラ・カ~ル

2012年08月28日 06時27分30秒 | 三岐鉄道・北勢線

(もう一つの貨物@JR富田駅)

さて、長々と三岐鉄道について申し述べて参りましたが、三岐の貨物にはもう一つ重要な品目の輸送がありまして、それがホキ1000による炭カル&フライアッシュ輸送なんでござーますね。趣味人もしくは建設屋でもなけりゃ炭カルもフライアッシュもよーわからん、とのたまう御仁にご説明させていただきますと、セメントっつーのは石灰石を砕けば出来る訳じゃあございません。石灰石を主成分に珪素だとかシリカとかの水を混ぜると固まる成分をブレンドして、高温度で焼成した上で乾燥粉末化したものがセメントなんですが、太平洋セメントではセメントの材料に火力発電所で石炭の燃焼ガラとして産出されるフライアッシュと言う焼却灰を使うのです。このフライアッシュつうのは粉塵に近い微粒子状の物体で、本来なら燃えカスとして産廃扱いにされていたらしいんですが、試しにセメントに混ぜてみたら練った時に水なじみが良く、乾いた後もカッチリと結着するなどいい事づくめ。そんならセメント材として活用しようじゃないかってんで、愛知県は碧南火力発電所からセメント材料としての石炭ガラ=フライアッシュを東藤原まで輸送する事になりました。このフライアッシュ便の感心する所は、東藤原から碧南火力には手ブラじゃなくて火力発電所の排煙の中から有害物を吸着するための石灰(炭カル)を持って行くって事ね。産廃の有効活用と排煙の有害物抑制と言う環境には二度美味しい循環サイクルがこのフライアッシュ便でして、発電所も三岐鉄道も太平洋セメントも三方いいトコ取りのこのシステムはとってもエコな取り組みやん?って事で表彰されたりもしています。パチパチ。


独特の形状のタンクとその色から「白ホキ」と言われているホキ1000。「炭酸カルシウム及びフライアッシュ専用」と用途が限定されてますが、これがいわゆる専貨と呼ばれる専用貨車。一昔前はセメントや石油や専門色の強い化学物質の輸送は鉄道が一手に引き受けてまして、色んな化学メーカーが貨車を作ってはやれアセトアルデヒドだラクトニトリルだ化成ソーダだと危険物質(笑)をいっぱい鉄道で輸送してました。今は高速コンテナ用のタンクが開発されて、コンテナの一つとしてコキに載せられちゃう時代ですから、メーカー私有の専用貨車ってのはほんと風前の灯なんですよね。


そんなフライアッシュ便を三里~丹生川で撮影。
日が陰る+編成短い+シャッター切り位置失敗とダメをこじらせたような一枚ですが、記録なんで恥を忍んで載せておきます(笑)。うーん、今回の三岐行は全体的には満足してるけど、唯一心残りなのはフライアッシュ便をきっちり撮れなかった事なんだよなあ。後で知ったけどフライアッシュ便は夜にデーデーに牽かれて富田へ着いた後、二編成に切り分けた上でまず先陣が保々まで運ばれ一泊し、次の日の朝一番のダイヤで東藤原へ向かうらしい。撮影した昼便は富田で切り分けられた余りの分だから、どうしても編成が短くなってしまうようです。長いの撮りたきゃ朝一で来いってか。

やっぱもう一回行かなきゃダメだなこれは(笑)。
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三岐四方山話

2012年08月26日 08時56分06秒 | 三岐鉄道・北勢線

(701系大集合@保々車庫)

富田から現状の終点の東藤原まで、一通り三岐鉄道を見て回りまして十分に満足したんでメールしておいた某地元のゲストをお呼び出ししつつ(笑)折り返します。三岐の貨物を見ると言う目的の8割方は達成したので、あとは途中で乗ったり降りたりしながら撮影に勤しむ事に致しましょうか。画像ははゲストの方とお待ち合わせした保々の車庫風景。昔は自車発注とか、小田急の2220系とかいたらしいですけど、最近の主力車両である西武701系がヒルネ中。701系が主力なのは…ここと総武流山線くらい?あっちは流星とか銀河とか菜の花とかいろんな色に塗られてしまってるけど、三岐カラーってたまたま西武線と同系統の明るいイエローを使ってるから、西武時代とそうイメージが変わらないのも西武電車のファンには嬉しいところじゃないでしょうか。


宇賀川橋梁(大安~三里間)を行くセメント専貨3716レ。あんなに晴れてたのに陰っちまった…
この宇賀川、上流に宇賀渓ってのがあって北勢地区住民の憩いの場であるらしい。この時期だとキャンプとかBBQとかね。
この三岐線の橋梁の周りも公園になってまして、家族連れが川遊びで一時の涼を求めております。


表面ぺったんこ、思い切った切妻型が特徴の101系は元・西武401系。正面の連続三枚窓とか、何だか国電の流れを組むデザインの車両です。三岐線で使われている中で唯一2連で運用に入り、富田側の車両が二丁パンタになってるのが特徴です。オレンジを裾にまとうイエローの三岐カラーって、90年代初頭の日本ハムファイターズっぽいな(笑)。津野とかブリューワとかいた時代ねw

 

某地元のゲスト氏と合流し、四方山話をしながら待つ朝明川築堤で返空3715レ。付き合わせてスンマセンw
久し振りの対面のような気がしたが、実際二年半ぶりらしい(笑)。
この朝明川橋梁、去年の台風でぶっ壊れて架橋し直したそうだ。どうりでガーター部分が新しいのな…


相変わらず二人でダベりながら三岐線で保々→再び東藤原。
午後の強い日差し降り注ぐ藤原岳と東藤原駅構内。氏は県民ながら三岐鉄道には初めて乗るらしい。「だって用事ないもん」と言われりゃそれまでなんだけど、四日市周辺は本州最後のDD51の天下だし、四日市港の開閉橋とか塩浜の貨物ターミナルとか三岐のセメントとか広い目で見れば鵜殿貨物とかむちゃくちゃ撮影対象に恵まれてるじゃないですか!(バンバン←机叩く音)宝の山と言っても過言ではないのだが、こちらは地元民の腑抜けた反応に怒り新党ですよwつか氏がお鉄じゃないのが一番の問題なのだろうが(笑)。

  

東藤原から隣の伊勢治田まで歩いてみる事に。
旧藤原町の風景は極めてのどかで、養老山地の低い連なりを遠くに田園地帯が広がる。東藤原に向けての最後の登り坂で伊勢治田の駅で抜いて来た返空3715レをもう一回。伊勢治田の駅、隣の駅だから近いかと思って歩いたら30分くらいかかりやんのw今調べてみたら2.3kmもあんのね。しかし今回は良く歩いたなあ。

 

某氏とヒイヒイで辿り着いた伊勢治田駅w
お隣の東藤原を補完するためなのか、若干の貨物用ヤードと貨物の退避線がある意外と敷地の大きな駅。側線には部品取り用の西武新101系と秩父鉄道から持って来られたデキ202・203が絶賛放置プレイ中。21世紀初頭における中京地区の好景気の要因となったモノと言えばトヨタの躍進・愛知万博・セントレアの開業でしたが、三岐鉄道も中部国際空港工事における埋め立て用土砂の発送と言う特需に沸いた時期がありました。一日で土砂配送の貨物便を10往復設定し、秩父からデキと輸送用の貨車をかき集め、隣の伊吹山でやはりセメント関連の貨物輸送をしていた住友大阪セメントから大井川鉄道へ移籍するはずだったいぶき501・502を緊急で借り上げるなどの設備投資を行い、東藤原→JR富田→四日市港から船積みで建設現場まで持って行ったらしい。現行のセメント輸送ダイヤにさらに貨物10往復設定ってかなり容量的には一杯だったんじゃないのかなあ。


秩父デキ近影。台車を良く見ると軸梁が下側に張られ、軸箱を支持するバネが横向きになっていると言うかなーりヘンテコな台車を履いてますね。これは軸箱に掛かる重量を下側の梁と横向きのバネで支持する事によって、台車がレール側に湾曲するように働きレールへの粘着を増す働きをするそうな。両手で定規を持って、真ん中に物を乗せて、両側から力を入れたら下向きに撓むでしょ。定規がバネで、真ん中の物が車重で、両側からの力がモーターの牽引力で、その下向きにしなる「たわみ」力が粘着力…たぶんそう言う考え方なんだと思うw

すっかり退色してしまって「いつかの時」を待っているだけのデキ。
その姿は、時ならぬ特需に沸いた10年前を物語る遺物と化しているようにも見えます。
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貨物が元気な駅

2012年08月23日 23時00分00秒 | 三岐鉄道・北勢線

(小野田のホキとセメントキルン@東藤原駅前)

丹生川での撮影を終え、三岐セメント貨物の拠点である東藤原の駅までやって来ました。
丹生川より先は、若干山深くなった沿線の森の中を走って行く三岐線。暑いは暑いんだけど、心なしか丹生川に比べると涼しいような気もしますね。駅前には小野田時代のホキが置かれてたり、駅舎の中には今まで活躍した私有貨車のアルバムが飾られていたりと貨物ファンにはたまんない駅だと思います(笑)。

 

駅前には代行バスが停車中。
本当なら東藤原から西野尻を経て西藤原駅まで三岐鉄道線は続いているんだけど、この駅の西野尻方のポイントで電気機関車が連発で脱線事故を起こしたため、事故調査と原因究明が済むまで東藤原~西藤原はバス代行となっちゃってる状態。奥にセメント工場に繋がる引き込み線があるので、問題のポイントは撤去された上で仮復旧はしております。ただ、この状態では東藤原での交換が出来ないので、電車のダイヤが組めず代行バスになっちゃうんだな。元々末端の閑散区間だからバス代行でも賄えるんでしょうが…改札を出る際に「バスに乗られます?」と駅員さんにご丁寧に聞かれましたけど、今回は貨物メインですからね。ここが目的地。また復旧したら西藤原まで行こうと思います(来るのか)。


さて、この東藤原駅は太平洋セメント藤原工場に隣接するまさにお膝元。藤原岳で採掘された石灰石が、工場でセメントやら何やらに加工されてここから出荷されて行きます。南北に伸びた構内にはタキ1900とED45。工場のキルンの煙突がスペースシャトルの発射台みたいだな。プラント萌えの方にもたまらない駅かもしんないな(笑)。


一通り駅の周辺を眺めていると、富田からのセメント返空便が到着。
返空つーのは荷物を降ろして文字通り空になった貨車を、荷受け駅に向けて送り返す回送便の事ですが、反対に積み荷を持って走るのは積載とか積車とか言いますね。貨物業界の用語なんでしょうが、特にセメントとか石油みたいな一方通行の荷動きをするものにしか使われないような。最近全盛のコンテナだと、行きも帰りも何らかの荷物を積んで走るからなあ。鉄道輸送ってのは同品目&同目的地&大量輸送だと一番効果があるものですが、セメントなんかまさにピッタリの荷物なんだろうねえ。

  

そうこうしているうちに係員さんがワラワラと持ち場に散って、到着後の入れ換え作業開始。
基本作業は富田の駅とあまり変わりません。機関車を解放し、側線から機回し線に向かって行くED。重連総括制御だけに前進後退を頻発する入れ換え作業では、デッキに乗った見張り員さんの役割は重要。機回し線から到着した貨物の後側に機関車が回り込み、セメントタキに再び荷物を積み込むためここからはタキを先頭にした推進運転で工場へ押し込んで行きます。

  

押し込み完了後は再び機関車はホームの位置まで戻って今度は出発線でスタンバってる積載のタキを取りに行き、出発信号の手前まで持って行って作業終了。あとはダイヤ通りにまた四日市港へ向けて出発を待つばかり。


構内をせかせかと動き回るEDの吊り掛け音、係員さんの合図に応えるホイッスル、タキを動かすたびに鳴る連結器の衝撃音、ポイントを渡るジョイント音と様々な音が賑やかに聞こえる東藤原の駅。あちこちと位置を変え動き回る電機と貨物の動きはパズル的に楽しく、子供の頃PC8801でやってた「倉庫番」っつーゲームを思い出した(笑)。

三岐鉄道東藤原駅は、貨物が元気な駅です。
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狂おしいほど、夏

2012年08月22日 06時24分12秒 | 三岐鉄道・北勢線

(クジラがおるで@三岐鉄道線近鉄富田駅)

関西本線の踏切からぽくぽくと富田の街を歩いて、三岐鉄道電車の始発駅である近鉄富田の駅にやって来ました。JR側はともかく、一応乗換駅ですし駅前周りはそこそこ栄えてるのかなと思いきや何だか区画整理もされてない古い街なんですね富田。時代を感じる旧家が街道沿いにあって、その間に個人商店と銀行がパラパラとある程度。駅前にコンビニ一つありゃしないってのは…白子の駅前ってあれはあれで栄えてたんだなあとつまらぬ感想を抱く(笑)。つーか富田と言えば私的には「トミダノ股割レ」なんですけど、そう言う話はやっぱこの辺りではタブーなんでしょうか…話すと長くなるんで、詳細はググるがよろし。近年新しく改築されたらしい近鉄富田駅、クジラの形を模してるようだがなぜクジラかは不明(笑)。この駅東西に入口はありますけど、西口にしか三岐鉄道の窓口はないのでお気を付け下さいな。ここで一日1,000円の三岐鉄道全線フリーパスを購入しましたが、これ一枚で三岐線と北勢線のどちらも乗り放題と言うかな~りお得なキップです。


何だか天気は一気に回復し、絞れば水が出るような空気の蒸し暑さ。ホームでベンチに座って待っていると程なく折り返しの東藤原行きが到着。車両は三多摩地区の皆さんにはお馴染みの元・西武701系でございます。最近の地方私鉄と言えばどこへ行っても東急車が幅を効かせまくりですけど、三岐鉄道はかなり長い事西武の中古を入れてますね。資本的にはあまり西武とは関係ないとは思うのですけど…鈴鹿山地を越えた近江鉄道は明確に西武系列の会社ですが。

 

西武の701系の三両編成、ほど良くクーラーの効いたガラガラな車内、ロングシートに座れば雰囲気的には西武国分寺線とか多摩湖線とか多摩川線とかあの辺りの感じ(笑)。自分としては西武線って西武球場に行く時にしか使わなかったから、何だか懐かしいよね。まだ車内の壁には「西武所沢車輛工場」のプレートが残っていて、目を閉じて耳を澄ませば聞こえて来るシゲル・マツザキの歌声(ねえよw)。電車は定刻、3割くらいのお客を乗せて近鉄富田を発車。市街地を走る大矢知、平津、暁学園前、山城で3割の半分くらいの客が消え、車両区のある保々で乗務員が交替し、朝明川を渡ると沿線に緑が濃くなり北勢中央公園口。梅戸井からは田園地帯を走って大安、三里と電車は旧員弁郡(現いなべ市)を藤原岳に向かって北上して行きます。


最初の目的地である丹生川で下車。
丹生川~三里の間の田園地帯は三岐鉄道随一の撮影スポット。だいたいウェブで探すとこの辺りで撮られた写真が多いんで、まずは定番でいっちょセメント貨物を抑えてみようっちゅう訳です。さっき車窓から見て撮る場所の当たりは付けたしね。この駅にはボランティアが整備した「貨物鉄道博物館」と言うものがあるのですが、今日は開館日ではないらしい。


駅前の路地を抜けて田園地帯へ。…天気回復しすぎ(笑)。
今日は徒歩鉄なんで大きなスリックの三脚とレンズの入ったカメラバッグ担いでるんだけど、こんな炎天下の中を歩いたらマジで5分で死ねるレベル。ずーっと向こうに農道が線路をオーバーパスするのが見えっけど、あの辺りだよな…と思いながら歩く事15分、撮影地に到着してさっそくアングルを決めていると、乗って来た電車の次の下りがやって来た。


どーよ、この狂おしいくらいの夏(笑)。
発狂しそうなくらいの炎天下、これアメリカ人なら間違いなく車のボンネットの上でBBQを開始するに違いねえなちくしょうめwオーリ持って来いオーリ!(古い)と叫びたくなるのを堪えてファインダーを覗けば、あくまでも緑一色役満確定のどこまでも続く稲田、藤原岳の向こうから沸き立つ白雲。そんなハイコントラストな風景の中を、負けじとハイコントラストな三岐カラーの電車が駆けて行く。


自分が丹生川まで乗って来た西武701系が戻って来たので、今度は藤原岳を手前に引きつけて一枚。
三岐鉄道は当時の小野田セメントがこの藤原岳から産出される石灰石を輸送するために昭和6年に敷設された鉄道なんだけど、北九州の香春岳とか、秋吉台とか、秩父の武甲山とか、日本って鉱物資源に恵まれない国ではあるけど石灰石だけは結構豊富な埋蔵量があるんだよね。削られた山肌がちょっと痛々しいが、藤原岳は文字通り身を削って国土の整備振興に役立って来た山だと言えるのかもしれませぬ。


そしてお待ちかね、東藤原発四日市港行きの重連セメント専貨がタキ1900を連ねて山を下りて行きます。
茶色のD級電機ED45は常時重連で運用に就いておりますが、荷物満載だと一編成でセメント約600トンを牽引する能力を持っているらしい。見た目がちょっと小柄なんでそんなパワーがあるように見えないんだけどね。測った訳じゃないけど、秩父のデキよりちょっと小柄かなあ。ちなみに元々秩父鉄道は秩父セメント系列、三岐は元小野田セメント系列だったんだけど、何年か前に秩父+小野田+日本セメント=太平洋セメントとなりましたので、現在は親会社が同じになってるんですねえ。

太平洋セメントって会社は日本最大のセメント会社ですけど、岩手じゃ大船渡で岩手開発鉄道を、埼玉では秩父で秩父鉄道を、そしてここ三重では三岐鉄道を、それぞれセメントや石灰石の輸送を鉄道を基軸として運営している会社な訳です。
なんて趣味人にやさしい会社なんだろw
足を向けて寝られませんわあ。
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