(午後の運転会@吉ヶ原~黄福柵原間)
何気にじっくりゆっくりと展示資料を見学してしまったため、資料館を出た頃にはもう運転会も終盤に差し掛かっていました。昼を過ぎて空には雲がかかり始め、光線は弱くなってしまった吉ヶ原。新しく舗装された山側の市道からも、運転線が撮影出来ます。以前の吉ヶ原駅は、駅舎の反対側に貨車や気動車のヤードが広がっていたそうですが、その跡地に駐車場や竪坑櫓のモニュメントが作られています。線路に続くは桜並木ですが、コロナ禍によって4月の運転会も既に中止が発表されています。桜とキハたちの競演を見る事は、今年は叶わなそうです。
枯れた田んぼの脇で、ギャラリーとともに行き来するキハを待つ。午後になってから、大阪の方からのツアー客の入り込みがあったらしく、撮影場所も運転会乗車も大盛況となっていました。ほとんどが自分より大先輩の趣味の人とお見受けされましたが、後で聞けばその道では何冊もの著述がある有名な先生のツアーだったそうで。名前だったら自分でも知ってるクラスの先生なのでビビった。話でも聞いてみたかったですね。
吉ヶ原15時前の最終運転。最後に付けられたヘッドマークは「ふるさと」でした。ホームの駅員さんが大きく手を挙げて、列車の到着を確認しました。この日の運転会、延べでどんくらいのお客さんが乗ったのかな。2月のアタマなんて観光的には完全にオフシーズンと思われるのだが、それでも相当数の来場者がありました。
ヘッドマークを外され、一休みのキハ702。失礼ながら、吉ヶ原という場所はどこから来ても相当に交通の便の悪い場所にあります。クルマで来ようとしたって、高速道路のICから近い場所でもないですしねえ。一番近いのが中国自動車道の勝央ICか?そう思うと、運転会の開催は月一回とはいえ、美作の山里でここまでの集客が出来るイベントって凄い。少なからずこの地域に経済効果を生み出しているのではないだろうか。
吉ヶ原の駅の東側(片上側)にある屋根付きのピット線には、この日使われたキハ702の同僚だったキハ303・312の両機が保管されていた。702と組んで2連で運転会に出て来ることもあったりするらしいのだが、この日はそのままピットでお休み中であった。正面4枚窓の303と、湘南2枚窓の312。西日本では別府鉄道の野口線とか水島臨海とかにこういうキハ04流れのクルマが入っていて、地域輸送を支えていましたよね。グリスの缶や工具が置かれたピットに佇む箱型のキハ。戦前の設計の気動車らしい、小口の窓が並ぶサイドビューが美しいです。
キハ302・313を眺めていたら、運転会を終えたキハ702が係員の手旗でピットの方に移動して来ました。ピット側に寄せて留置して運転会終了なのかな?と思いきや、キハ702が302を連結して、吉ヶ原駅側に引き出して行きます。構内運転のほんの数十メートルだけですが、傾きかけた西日を浴びながら、腕木式信号機の下で最後の最後で2連運行のシーンを見る事が出来て嬉しかったですね。
手と手を取り合ったキハ702と303。現役当時でもよく見られた姿です。一応お互いの車両に引き通し管とか付いてますけど、総括制御とかは出来たんですかねえ。さすがに運転士ツーマンの協調運転はやってなかったか。702の開け放たれた運転台の窓から入って来る風、きっと気持ちよかったんでしょうね。例えば真夏、車窓に流れる穏やかな吉井川の流れと田園風景を眺めつつ、片上鉄道の旅をしてみたかったなあ。
柔らかな西日射す吉ヶ原のホーム。キハ702によって据え付けられたムドのキハ303は、早速保存会の方々によって車体の整備が始まりました。長年の修繕や再塗装の繰り返しで厚ぼったくなった部分や、腐食した外板をグラインダーでガリガリとこすって均して行きます。毎月の運転会の維持のために、こういった地道な車両整備や保線作業が続いています。また再び303が運転会に登場する頃には、綺麗に整備された姿でお目見えする事になるのでしょう。
朝に高下のバス停から乗って来た中鉄北部バス。午後4時前に、帰りの便がやって来ました。帰りは高下回りでは岡山方面のバスの接続が悪いので、そのままバスで津山の駅前に出ることにします。ちなみに、津山には旧津山機関区の線形機関庫を活用した「津山まなびの鉄道館」という施設があるんで、この地域を訪れる機会があったら吉ヶ原とセットで訪問してもいいかもしれない。夏休みとかは、まなびの鉄道館から吉ヶ原へ行く無料バスなんかも出ているらしいね。津山の機関庫は一度みんなで山陰に行った時に寄ったことがあるのだが、もうあれから10年以上経っているのか・・・。
運転会が終わり、静けさを取り戻した吉ヶ原の駅を後に。窓を閉ざしたトンガリ屋根に、早々と冬の夕暮れが迫ります。ウン年越しに行きたいと思っていた場所は思った通りの、いやそれ以上のオールドキハたちの桃源郷でした。そして何よりも、片上鉄道の廃線から30年弱、この活動を連綿と支えてきた保存会の皆様の活動が、これからも永続的に行われることを何よりも祈念するものであります。
日本の故郷の風景が広がる吉ヶ原と、隆盛に沸いた鉱山街の在りし日の姿を伝える柵原の街。鉱山施設が山の斜面を埋め尽くした往時の姿が、鉱山資料館の中で水彩画となって残されていました。片上鉄道らしいトンガリ屋根の駅前では一匹の野良犬が遊び、ヤマに春を告げる桜が咲いている。何と豊かな風景であろうか。敗戦から40年をかけ、復興需要に基づいて作り上げられたの昭和の資産を、ある意味で食いつぶしたのが平成の30年だったのではないかと思うのだが、がむしゃらに働いていれば無邪気に成長を謳歌出来た時代がとても羨ましく思えてしまう。ノスタルジックな風景を見ると、どうしても「昔は良かった」に堕してしまうのだけど、いつも人生はないものねだり。そしてないものをねだりに行くのが、私の旅でもあります。