青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

広瀬川、流れる岸辺。

2023年05月20日 14時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(艶めき・輝き。@中央前橋駅)

デハ101展示会、午後の部は中央前橋駅で。西桐生駅よりも多くのギャラリーが訪れていたような感じがします。午後なので、光線は貫通路側のサイドが良く、そして上電の社員さんが展示用に「中央前橋」の中折り丸看板をセットしてくれました。これでグッと表情が引き締まった感じがしますねえ。太陽光に浮かぶリベットの鋲の並びもいかにも旧型電車という感じで。

中央前橋の駅は、広瀬川という川の横にあって、川の水の揺らぎのそばで何ともゆったりした空気が流れています。川沿いの柳の青葉の向こうにデハ101。広瀬川と言えば「青葉城恋歌」に歌われる仙台の街でしょうけど、どっこい前橋の街にも青葉の木陰に流れる水の優しさがあります。古豪の周りに寄り添うように戯れる水鳥が二羽。駅を見渡す橋の上から、西桐生行の電車を見送ります。

中央前橋の展示会を終えて、大胡の車庫に向けて回送されるデハ101。この中央前橋の発車アングルは上毛電鉄では有名なアングルなんで、多くの撮影者が集まっていました。久し振りにお会いしたけれど、ひとまず元気なところが見られたことは喜ばしい限り。上州の鉄道文化財として、末永くファンを見守っていて欲しいと思います。

古豪からのメッセージ。次回をお楽しみにね。

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爽春、青葉を泳ぐ。

2023年05月17日 17時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(停車場の味@富士山下駅)

上毛電鉄そぞろ歩き。沿線随一の撮影地である、渡良瀬川の鉄橋にほど近い富士山下の駅。駅の裏にある山が「富士山」と呼ばれていて、そこからこの駅は「ふじやました」となっています。駅の裏路地に「ていしゃば」という名前のレストランがあって、丁度お昼時の時刻、多くのお客さんがランチを食べておりました。トレインビューのレストラン、こういう店で豚のショウガ焼き定食とか食べながらのんびり電車を見ていたい。何となくこういうレストラン、平たい皿にご飯が盛られて出てくるイメージがありますよね(笑)。んで、妙に塩とかかけたくなっちゃう奴だ。

西桐生から午後の中央前橋での展示会に向けて回送されるデハ101を狙ってのロケハン。桜並木で有名な桐生球場前の駅に来てみました。今年の桜をどこで撮ろうか・・・と思い立った際に、ここの桜を狙ってみようかなとも思ったんですけど、天気が悪かったんで大落古利根川の桜にしてしまったんだよねえ。駅前の桜の並木道、とうに花の時期は過ぎ去ってはいましたが、それに代わってきれいな桜の青葉がアーチのように公園の道路を覆っています。日差しの強い日だったんだけど、木陰を渡る春風が爽やかで気持ちがいい。

そろそろ西桐生から回送のデハが中央前橋に向かう時間。スジは書かれていないが、30分間隔の並行ダイヤの間に回送列車を走らせるのであれば、交換駅の組み合わせを見てもたぶんここしかない、という時間帯がある。頭の中のダイヤグラムに回送列車の見えないスジを入れ込んで待っていると、おおよその時間通りにデハが回送されて来た。

花過ぎて 樹々は青葉に 至りおり。

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これまでも、これからも。

2023年05月15日 17時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(デハ101・春の日@西桐生駅)

西桐生駅にて、午前のデハ101展示会。地方私鉄の終着駅、小さなホームでの展示会なのでなかなか引きの絵が取れないのが悩みどころ。昭和初期に川崎車輌で作られた、いわゆる「川造型」の流れを汲む貴重な車両です。このクラスの古典車両がこの令和の時代に地方私鉄に動態で残っている事。同時期に製造された一畑電車のデハニ50型とかも構内の体験運転用で保存されておりますが、未だに本線走行が可能というのがデハ101の素晴らしいところでもあります。

デハ101の中央前橋側。こちらのサイドはパンタグラフと後付けの貫通路に渡り板付きで少し印象が変わります。こちらの方が旧型国電っぽいイメージになりますね。両運転台なので、南武線とか鶴見線で走ってたクモハ12とか、そういう感じ。

緑色のモケットが張られた木造の車内。木造の古いもの特有のスンとした匂いが鼻を突く。マスコンハンドルに残る「UESTINGHOUSE」の打刻、まだ国内の鉄道車両製造技術が未成熟だった時代の名残とも言え。そして昭和初期の車両らしい「非常弁」の書き文字。現在では非常停止ボタンに取って代わられていますが、昔はこんな保安装置がセーフティネット。尤も、乗客を乗せての営業運転は1970年代後半に第一線を退き、それからは専ら線内での貨物輸送の機関車代わりや、朝の大胡→中央前橋間のラッシュ輸送の助っ人として活躍していたらしい。

デハ101の車内を広角レンズのローアングルで。中吊りの広告も、その当時の時代のモノを下げていてレトロな雰囲気をいや増しにしている。何年か前にクラウドファンディングで大規模修繕を実施したとかで、吊り革や室内灯なども非常に美しく保たれています。前橋市のふるさと納税では、この車両の貸し切り運行権を返礼品の一つにしているのだそうですが、個人で貸切運行する場合も1往復10万円程度と聞きますので、比較的リーズナブルではないかと思いますねえ。20人集まれば一人5,000円。飲み会と変わらん。

見学会の途中で、ヘッドマークを装着されたデハ101。去年のモノかな。開業当時から、上毛電気鉄道の歴史と共に歩んで来た車両です。これまでも、これからもの思いを込めて。

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東毛の古豪、春を駆ける。

2023年05月13日 11時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(街へ出ようよ日曜日@新里駅)

天気の良い日曜日、桐生の街へ出る電車を待つ上毛っ子。ちなみに、群馬の旧国名の呼び方の一つである上毛(じょうもう)というのは、かつて群馬県・栃木県を「毛野(けの・けぬ)國」と呼んだことに始まります。西側を上毛野(かみつけぬ=群馬)、東側を下毛野(しもつけぬ=栃木)とした時代を経て、群馬を上野・上毛(かみつけ)・栃木を下野・下毛(しもつけ)と表記するようになりました。群馬県側では今でも県自体を「上毛(かみつけ)→じょうもう」と呼んだり、県東部を「東毛(とうもう)」、県西部を「西毛(せいもう)」、そもそも両県に跨る地域を総称して「両毛(りょうもう)」と言ったりしますが、栃木側から「下毛」の表記が出て来ないのは、やはり下毛(しもつけ)がどうしても「シモの毛」を想起してしまう事のイメージの悪さに他ならないのではないでしょうか(笑)。

さて、そんな上毛電気鉄道。割と鉄道マニアにフレンドリーな会社で、毎年正月に地方私鉄としては盛大な鉄道イベントをするのが恒例でありました。ご多分に漏れず、コロナ禍の中でここ何年かはイベントも開催されずじまいだったのですが、行動制限の緩和に伴いついに車庫のある大胡駅で春のイベント開催が決定。併せてデハ101の運転が決定しました。デハ101と言えば、昭和3年製造の動態保存されている中ではおそらく日本最古の鉄道車両。引退後は線路の砂利を撒く貨車の牽引に使われたりしてましたが、近年ではファンの貸し切りやらイベントやらで動くのが主な役目。そのイベントがコロナで消えてしまったのだから、オフィシャルな形では久々のお出ましとなりました。

以前は乗客を乗せて中央前橋~西桐生を何往復かするのがイベント運行でのパターンでしたが、さすがのご高齢と見えて、今回はAM西桐生・PM中央前橋での車両見学会のみ。大胡車庫からの回送シーンを春の雰囲気の東新川付近で狙ってみました。久し振りに東毛を駆ける古豪、ピカピカの少し小ぶりな可愛らしい車体にリベット打ちの武骨さもあって・・・古豪健在。こちらも14年ぶりに、何とも美しい姿を見る事が出来ました。

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昭和レトロ、粋を集めて。

2023年05月11日 10時00分00秒 | 上毛電気鉄道

(何年振りのご無沙汰だ・・・?@西桐生駅)

上毛電気鉄道・西桐生駅。瀟洒な折屋根の山小屋風駅舎。こーいう駅舎をマンサード屋根と言ったりギャンブレル屋根と言ったり・・・まあ正確なところはお詳しい方に任せますが、個人的には小田急線の向ヶ丘遊園駅北口を思い出してしまうビジュアル。この駅舎は、昭和3年に建設されたものですけど、遊園の駅舎も小田急線の開業が昭和2年なのでそれを考えるとほぼ同期の桜。建物というものはその時々の流行りみたいなものが如実に表れる傾向がありますが、往時はこのようなデザインが流行していたのでしょうね。

春麗らかな一日。始発電車で神奈川の片田舎を発ち、横浜から小山経由で北関東は桐生の街までやって来ました。上毛電気鉄道の西桐生駅は、JRの桐生駅から北に300m程度歩いた場所にあり、独立しています。この路線、西桐生と中央前橋という起終点のターミナルがどちらもJRの駅には接しておらず、何だかとってもインディペンデントな雰囲気。上電、実際に来るのは二回目くらいなんですけど、前回来たのは相当前の話なんですよねえ。たぶん15年ぶりくらいなんじゃないかと・・・(後で調べたら14年ぶりでした)。

高天井と格子窓、コンクリートで土間が打たれた駅舎内は、朝の空気の中で少しひんやり。次の列車が来るまで改札口が閉まっているので、待合室のベンチに座ってコンビニおにぎりで朝食を食べながらレトロな雰囲気に浸ってみる。どっかでこんな感じの駅舎あったよなあ・・・なんて思いを巡らせていると、ことでんの琴電屋島駅の雰囲気と似たような感じがある。琴電屋島駅の建設時期を調べると昭和4年・・・やっぱりこの世代なんだねえ。ホントに昭和初期の駅舎デザインのスタンダードだったんだなあって。

中央前橋からの電車が到着し、乗客の主力だった高校生たちが改札口を抜けて行くと、自分の他の僅かな乗客がホームへの入場を許された。新緑眩しい春の西桐生、日差しだけは初夏を思わせる眩しさ。ファーストショットはパステルブルーの716-726編成。番線表示を飾る金属製の飾りがお洒落ですが、この手の飾りモノも昭和初期のレトロ車両とかレトロ駅舎にはよくある意匠。近代の建築物のデザインにはない装飾は、その鉄道の顔たる駅の建造物に精一杯の趣向を凝らした当時の建設技術者の気持ちが伝わって来るようです。

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