(ちょっぴりレトロな「電車のりば」@阿武隈急行・福島交通福島駅)
JR福島駅の東口からビル一本隔てた場所にある、阿武隈急行と福島交通の福島駅入口。県庁所在地の新幹線停車駅である福島駅には立派な駅ビルが建っていますが、こちらはちょいと掠れたままの看板が波板トタンの通路の上に掛かっている。福島交通の探訪を軽く終えた後、ちょっと駅ビルの一階で軽くノンアルとお腹に入れるものを買って再び阿武隈急行へ。駅前で遊んできたのだろう、楽しそうな声を響かせながら、女子高生が仲良く二人、阿武隈急行のホームに向かって行った。福島交通と阿武隈急行、福島駅からはどちらの路線も学生の利用が目立ちます。
福島発、20時台の下り電車槻木行き。折角フリー切符を持っているし、来たからには乗り鉄はしておかないとね、ということで、改めて8100形の運用を狙って乗ってみた。福島からは買い物や食事帰りの乗客で、軽くボックスシートが埋まるくらいの乗車率だったが、卸町で降り、保原で降り、梁川で降り、県境を越えて行く客は編成全部で数えても旅行者風情の2、3人ほど。梁川を過ぎると、列車は街の灯りすら見えない漆黒の闇に落ちていく。阿武隈渓谷の隘路を往く8100形、唸りを上げるモーターサウンドと、レールのジョイントを激しく叩く車輪の音だけがひたすらに耳を支配する。トンネルへ突入するたびに、律儀にピィィ!とホイッスルを鳴らす電車の旅は、トンネルとトンネルの間の闇を結んで、ただひたすらに轟々と走るのみなのであった。
丸森駅。特に何もないが、20分ほどの運転停車になった。ボックスシートで折り畳んでいた体を夜のホームで伸ばす。槻木行きに、県境を越えてきた客はほとんどいなかった。夜の暗がりとホームの明かりの境目で、8100系の特徴である折り込まれた妻面がより引き立つ。最近の車両はどっちかって言うと丸っこい造形のものが多いから物足りないのよね。こういう角ばったデザインの車両が持つシャープさみたいなの、80~90年代前半のものだけど、そういうところがスイートスポットなので(笑)。
角田市内で僅かに乗客を乗せ、終点の槻木に到着。乗客はそのまま仙台方面行きの東北本線の電車に乗り換えて行く。阿武隈急行、福島都市圏の通勤通学を担う福島~保原~梁川間に比べ、宮城県側の丸森~角田~槻木の区間の利用状況が極めて悪い。現在、阿武隈急行への沿線自治体の支援策を巡って、福島県側と宮城県側で大きく意見が割れている(福島テレビニュースより)。昨年度は年間5億円の欠損金を計上したようで、累積で14億円を超える赤字の積み上がりを重く見た柴田町が、欠損補助に当たる補助金の支払いを拒否しているようだ。特に宮城県側では、続く赤字に阿武隈急行の「路線自体の存廃」を見直すべく議論に入るような話もあるから穏やかではない。そもそも国鉄丸森線時代は一日5往復しか運行してなかった区間、東北本線が通る柴田町が阿武急の支援に対して否定的なスタンスを見せているのは、槻木駅と東船岡駅の2駅のみの設置ながら、過分な負担を求められることへの反発とみられる。長大ローカル線、「沿線で負担を分け合え」だと、両端部のJRと接している自治体と、沿線の自治体においてはどうしても温度差が出てしまう。平日の流動で言うと、福島口1,300人/日に対して槻木口が700人/日というダブルスコアが付いているのだが、負担は福島・宮城で半分ずつ。県境区間の人口稀薄地帯の大半が宮城県側に入っており、距離による負担ではなく、利用者(受益者)の多い側が負担を増やせというのが宮城県側の論理なんでしょうな。
ちなみに柴田町は阿武急の設備投資に対する部分の補助金は支払っていて、払っていないのは欠損補助金。一応の義理は果たしているし、町民に対する利用の助成も手厚い。町民であればおとな二名以上のお出かけが、申請用紙を書いていくだけで半額になるような制度があるそうだ。阿武隈急行は、開業以来並行する東北本線の福島〜槻木間より運賃が安いという運賃政策を堅持しているのだが、それだけに運賃の長距離逓減が激しくなっていて、距離を乗れば乗るだけ乗り得。槻木~福島の通過需要の逸失を考えたら踏み切れないのかもだが、増収のためにはそこらへんも抜本的な対距離運賃の見直しが必要でしょう。一般的に車両価格が高いと言われる交流電車による全線電化の設備投資負担も重く、ひょっとしたら近い将来、電化設備の撤去なんて話も出るかもしれない。宮城県の出方によっては、福島~梁川間を残して宮城県側の廃止もありそうという未来も想定されていて、「(赤字を許容した上で)地元がカネを出すか、出さないか」というフェーズにある。この人口減少社会では仕方ない話なのだが・・・
水と緑のストライプ、阿武隈急行の明日はどっちだ。