(津軽平野初夏模様@津軽飯詰駅付近)
津軽五所川原を出た列車は、同乗するアテンダントさんの津軽訛りの観光案内とともに、十川・五農校前・津軽飯詰と津軽平野を北へ走って行く。五所川原市街を抜けると、車窓は岩木川が作り出した津軽の広々とした穀倉地帯へ出て、車窓の左側にはカキツバタの咲くあぜ道の向こうに、遠くおぼろに岩木山の姿が見えます。いかにも東北地方らしい大規模な圃場の水田に、農作業をする人々が小さく小さく映っている。三つ目の津軽飯詰の駅には、駅に隣接して大きな農業倉庫があった。集荷したリンゴを仕舞っておく倉庫のようだったが、季節になるとリンゴを満載した貨車がこの駅の構内にも並んだ。津軽鉄道の貨物は、だいたいが客車と併結された混合列車だったそうで、1980年代の前半までは五能線にも貨物取り扱いがあり、津軽平野で集められた農産物は、五所川原から国鉄を通って各地へ配送されて行きました。
森の中の駅である毘沙門を過ぎ、広い田んぼと時折入り込む丘陵地の森を抜けながら走る津軽鉄道。遠くに並行する道路には、地吹雪対策のフェンスが目立つ。車窓の風景はそう取り立てて変わることがない農村風景で、やはりこの辺りは冬に来ていれば・・・という思いが少しだけ頭をよぎる。吉幾三の出身地である嘉瀬で、地元のお客さんが降りて行った。乗客の半分は地元民、そして半分がおそらく「大人の休日パス」で津軽を訪れた壮年の観光客。だいたいのお客さんは太宰治の生家がある金木か、その一つ先の芦野公園が目的地っぽい。時間があれば金木の街なんかもゆっくり回ってみたいところだけど、ひとまず津軽鉄道を完乗するか・・・という気分なので、椅子から立ち上がることはしなかった。金木で上下列車の交換を終えると、芦野公園を過ぎれば乗客の数はさらに減って行く。築堤の上を田んぼと遠くのため池の堰堤を見ながら川倉・大沢内・深郷田と乗り降りのない駅を律儀に停車すると、間もなく終点の津軽中里です。
津軽五所川原から約45分。オレンジ色のディーゼルカーは、終点の津軽中里に到着しました。僅かながらの乗客があっという間に改札口の向こうに消えると、ホームには折り返し準備と車内の片づけをする運転士氏と私のみ。津軽中里は、本州最北の「民鉄」の終着駅ですが、かたや同じ津軽半島を走るJR津軽線の末端部分(中小国~三厩間)が台風災害から復旧することなく廃線となる様子。そのため、三厩なき後は、ここ津軽中里の駅が名実ともに本州最北の終着駅になることとなりそうです。津軽中里、駅舎は「鄙びたローカル線」の終着駅という感じではなく、商業スペースが併設された比較的大きな鉄筋の造り。これは、以前スーパー(生協中里店)が入っていた名残りで、駅が中泊町の暮らしを支えていました。生協が撤退してからは長らく空きテナントとして放置されていましたが、近年になって観光案内センターと食堂(ちゃんこ食堂?)が入店しています。
津軽中里の駅前に出て、中泊町の中心街を歩く。中泊町は、青森県津軽半島の中心部にある街で、コメを中心とした農業と、十三湖でのシジミなどの内水漁業が産業の中心となる街ですが、1985年は2万人近くいた人口も、今や1万人を切っており9,000人とちょっと。急速な過疎化が続いている。目抜き通りには人の姿はなく、閉まった看板建築のようなスーパーマーケットと、なぜか個人経営の床屋ばかりが店を開けていた。通りすがりに明らかに潰れたパチンコ屋のような建物があって、「ああ、こういう街も昔は元気な農家のオッサンが朝の仕事を終わらせてパチンコ打ちに来てたんだろうなあ」なんて眺めていたら自動ドアが開いて、中を見たら津軽オババたちが大騒音に巻かれながらガンガンに銀玉を打ち込んでいた。現役なんかい。
お昼は駅から徒歩10分くらいの場所にある「やよい寿司」さんへ。平日の昼間だから大して混んでないだろう・・・なんてタカをくくっていたのだが、座敷に団体さんが入っていてなかなか忙しそう。加藤一二三似の柔和なおじいちゃん大将が「ちょぉっと今日は混んじゃってて・・・おひとり?おひとりならカウンターでいいですか?お待たせしちゃうかもしれないけど・・・」と津軽訛りで恐縮されながらカウンターの隅に通される。奥さんらしき人がおしぼりと麦茶を持ってきて、「すいませんねぇ、新聞でも読んで待っててけさい」と東奥日報の朝刊を置いて行った。カウンターの中で団体客のすし桶にせっせと寿司を握っては詰めて行く大将。テレビを見ながら東奥日報を眺め、麦茶を2回くらいお代わりして30分くらいはかかったろうか、どうせどのみち次の五所川原行きは1時間半後だ。急ぐ旅でもない。
名物のラーメン定食。具に揚げ麩の乗ったさっぱり鶏ガララーメンと、シャリ大きめの寿司10カン。これで1,000円ポッキリ。値上げ前はこれが800円で食べられたというのだから、何ともお値打ちな話である。寿司ネタは、マグロの赤身、中トロ、シメサバ、サーモン、イカ、玉子にカニの身、白身はタイかな。そう高級なものが入っているわけではないけれど、昼飯に回らない寿司をいただくというのも気分がいい。「それね、端っこのやつ、生のクジラの握りなんですよ」と大将的な今日のポイントの説明があって、さっそく醤油にくぐらせ口にしてみると、トロッとした中に鯨らしい血の香りと僅かなアクセントがあってなかなか美味い。昼時の団体が入っていて忙しい中、奥さんはラーメンを作り大将は寿司を握り、お互いに忙しく駆け回っている。夫唱婦随の北の寿司店は、なんだかんだとアットホームなお店。ちょっとシャリが柔かったのは、待たしてるお客さんに急いで出さなきゃ!とペースを上げて握ったじいちゃんの奮闘努力の跡だと思うことにします(笑)。
寿司とラーメンでお腹を満たして、梅雨のじっとりとした空気の中を津軽中里の駅へ戻る。まだまだ帰りの列車の時間には早く、駅の周辺をゆるりと回ってみる。駅の近くの踏切から津軽中里の駅を望めば、一面一線のホームのほかは赤錆びた機回し線と転車台が黄色い草花に覆われていて、本州というより北海道のローカル線の終着駅のような寂寥感がありました。津鉄のレールは十三湊へ伸びることはなく、ここで半島の丘陵地にぶつかって、「はい、おしまい」とでも言いたげにプツリと終っていて、構内を埋め尽くすセイヨウタンポポだけが、半島を吹く風に鮮やかに揺れていました。