青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

泉南の 路地裏ぶらり 水間旅。

2022年06月11日 09時00分00秒 | 水間鉄道

(水鉄ぶらぶら・・・@名越駅)

水間観音にお参りに行った後は、貝塚へ戻りがてら水鉄沿線をブラブラ。改造顔と原型顔の交換が行われる、路線内唯一の交換駅・名越駅。「なごし」ではなく「なごせ」。微妙に難読駅。水鉄は区間短い割には結構読みにくい駅名が多いような・・・ここ名越に限らず「近義の里(こぎのさと)」「石才(いしさい)」「清児(せちご)」とかね。

雨降る泉州、名越の街並み。水鉄の踏切を挟み駅前には牛乳屋とタバコ屋があって、やけに古いセピアの街並みが続いている。歩いてみると、この地域は立派な瓦屋根の歴史ありげな民家が多い。聞けば、泉南地域(現在の阪南市方面)では江戸時代から良質の粘土によって「泉州瓦」と呼ばれる瓦が生産されており、泉州の家屋は一階部分と二階部分の間に、この泉州瓦をふんだんに使った「錣(しころ)屋根」という独特の二重屋根を挟む形状が特徴なのだそうです。錣山親方(元・寺尾)のシコロ、ね。

丁度昼時だったので、めぼしいメシ屋でもないかなと辺りを回ったのですけど、そういう感じの街でもなく。いい感じの肉屋を見付けたので、お惣菜のコロッケとメンチカツを揚げていただいてこれにて昼食とする。だいたい肉屋の総菜ってのは揚げ置きのものが多いのだけど、ここは注文を聞いてから揚げてくれる親切スタイル。その分時間はかかるけど、どうせ次の電車迄30分あるから丁度良い。静かな店内で、自分が注文したコロッケが揚がる音を聞きながらの水鉄ぶらり旅。名越の駅のベンチで、アルコールと共に頂きました(笑)。揚げたてカリカリ・ホクホク。美味いしかないでしょう。

原型顔の1001編成に乗って貝塚へ戻ります。僅か6kmのショートトリップ。懐かしの東急7000系成分を味わいつつ、昔の東急っぽいコルゲート車体と伝統のパイオニアサードの乗り心地に揺られる旅。半日あれば回って来れるので、大阪からの日帰り乗り鉄なら丁度良いサイズ感か。晴れてればもうちょっと違った感じだったんかな?って思うとちょいと勿体なかったかなあ。

最後は貝塚の街の路地裏から、折り返して行く東急7000を。「お好み焼き・めし・うどん」という食堂の看板がめっちゃ大阪っぽいなあ。この「お好み焼き・めし・うどん」を関東っぽく変換すると、「丼物・定食・そば」って感じになりそう。この関西の「めし」というのが広義過ぎて関東の人には分からん。まさか白いメシだけ出される訳でもないんだろうが・・・どういう意味なのだろう。沖縄なんかだと「おかず」というメニューがあって、本土の人はおかずなら白飯が必要だろうって「おかずとご飯」みたいな注文をしてしまうのだけど、「おかず」で一つの定食なんで白米いらんのよ、ってなるヤツ。

と言う感じで時間足らずでちょっと中途半端な感じもする、泉州小私鉄・水間鉄道の旅なのでありました(笑)。

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小糠雨 空に祈りて 水間寺。

2022年06月07日 17時00分00秒 | 水間鉄道

(濡れて輝く新緑哉@水間の街並み)

水間観音に向けての参道。参道って言うと、道の右や左に商店や土産物屋が並んで・・・みたいな賑やかな雰囲気を想像してしまうのだけど、ここ水間観音の参道はそういったものは極めて少なく、雨に濡れた路地の脇に板塀の古い家並みとか、個人で小さく営んでいるような喫茶店とか、そういったものが慎ましやかに続いている。路地を流れる水は、近木(こぎ)川から引かれた農業用水だろうか。青紅葉に包まれた大きな商家が美しく、暫し歩みを止めて鑑賞。

近木川を渡る石橋の向こうに水間観音。本堂と三重塔が聳えます。聖武天皇の詔勅により、僧行基によって開山された水間寺。建立が天平年間の744年と言うから相当に歴史のある寺院である。行基は日本の歴史上では東大寺の大仏の建立を手掛けた、というコトで山川の教科書なんかに出て来ますけども、大仏建立の詔勅と水間寺の建立は同じ年に行われているんですね。近畿一円に仏教による宗教的な支配が進んでいた時期、と見る事も出来ます。

行基は畿内七道広く仏教を説いて、多くの寺社仏閣の開山の祖となった僧ですが、元はと言えば現在の大阪府堺市の出身で、水間寺の開山は地元中の地元案件だったようです。仏教の他にも橋を架けたり温泉を見付けたりと八面六臂の活躍をした行基。余談ですが、温泉と寺とに関しては行基と弘法大師が見付けたり開山したりというところが凄く多いように思う。お大師様が錫杖で地面をつついたらお湯が湧き出した、みたいな。ひとまず本殿にて私もささやかながらの浄財と共にお祈りを。まずは何はなくとも世界平和。

参拝を終え、歩いて水間観音の駅へ戻る。駅の南側は車庫になっていて、この日は運用に入っていないいくつかの編成が留置されていました。水間鉄道は同じ東急の7000系を使用している弘南鉄道とコラボした鉄道企画を行っているのですが、弘南鉄道カラーの青帯を締めた1003Fが見えます。三年前の真冬、雪にまみれた弘南鉄道を訪問したのはいい思い出ですが、青帯ってーと弘南でも大鰐線の車両のデザインになりますか。それにしてもロゴまで同じにするとは(笑)。一応水間鉄道なんですけどね、ここ。

原型顔の弘南鉄道カラーの横を、原型顔の1001F。後ろに見えるのは、北陸鉄道カラーかな。この1001Fは海老茶の帯の落ち着いたスタイル。水間の東急7000も、弘南と同様に特徴である外付けディスクブレーキのパイオニアサード(P-Ⅲ)台車を残しており、前面スカートとLED化された行先表示板以外は東急時代の姿をよく保っています。水間の電車はなんかやたらとヘッドマークが掲示されていますが、この会社では自作のヘッドマークの掲示を10日で10,000円という格安お値段で受けてくれるらしい。競艇場とか地方競馬でやってる協賛レース(レース名の命名権が購入出来る)と似たようなもんか。

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塔屋立つ そぼ降る雨の 名駅舎。

2022年06月04日 10時00分00秒 | 水間鉄道

(雨降り泉州・原型顔が行く@名越~森間)

もう6月になってしまったけども、未だにGWの話なんかをダラダラと続けている(笑)。それも、仕事が忙しくなったりしているので遅筆になってしまった。うん、水間鉄道の話。水間の沿線、終点の水間観音まで、何かあれば降りて撮り歩こうと思ったけど、雨に気勢を削がれて駅の周りをウロウロするのみ。途中、名越の駅で交換したのが原型顔の1001編成だったので、次の森駅で下車して貝塚から折り返して来るのを待ってみた。雨のそぼ降る駅で待つこと30分、懐かしい東横線のあの顔が、重々しい瓦屋根の家並みの中を走って来ました。

水間観音からの返しは三ヶ山口の駅近くで。基本的に沿線には家が立て込んでいて、そう引きで開けた場所がある訳でもない水間鉄道。東急のお古がのんびり往復する程度の路線なので、電車待ちの時間にスマホで作例を探したのだけど、その手のモノもあまり見当たらない苦しさはあった(笑)。何か雨も激しくなって来てしまい、靴もズボンも濡れそぼった中で何とか撮影した一枚。泉州と言えば、水分多く瑞々しい「泉州の水ナス」が有名ですが、そんな泉州らしいナス畑の風景。まだ若苗でナスの形も何にもありゃしませんが、水ナスより自分がしっとりしながらパチリ。

どうも雨に阻まれて撮れ高の上がらない水間沿線、もう終点まで行ってしまおうというコトで三ヶ山口から終点の水間観音へ。雨の中でも元気に子供は自転車に乗って踏切待ち。泉州の子供たちの笑い声に乗ってやって来た扁平顔、この日の日中は1001Fと1005Fの2運用。現在は日中30分ヘッドですが、3月までは20分ヘッドだったらしく、そん時はあと1運用くらいあったのだろうか。

列車は三ヶ山口から坂を上り、あっという間に終点の水間観音駅へ。ホームの上屋から吊るされているたくさんの苔玉。和の雰囲気がいかにも落ち着いた観音様の玄関口と言った風情。正直、もうちっと門前町的な観光地っぽい雰囲気で栄えているのかな?と思っていたのだけど、自分と一緒に終点まで乗って来た乗客は10人程度で、雨の日とは言え少し寂しいものが。今は閉め切って使われていないホームには、小さいながらも駅付きのカフェが店を開いていて、ここでコーヒーでも頂きながら初期の東急車らしい7000系のコルゲートを眺めるのも一興でしょうか。

2面2線のシンプルな頭端式ホームの先には、国の登録有形文化財にも指定されている立派な風格ある駅舎があって、いかにも古刹・水間寺の玄関口としての堂々たる佇まいを見せております。水間鉄道って言えば、自分の乏しい知識の中でもこの駅舎がシンボルかつランドマークという事は知ってはいました。1926年、大正15年の開業当時からの駅舎で、水間観音のシンボルでもある三重塔を模したデザイン。

駅舎の中は高い塔屋の下が吹き抜けになっていて、その塔屋の窓には矩形を組み合わせた鉄線で作られたデザインがあしらわれていて美しい。よく見るとニコイチで左右対称になっているのも非常におしゃれ。外見は仏教建築でも、そこはかとない西洋風味のニュアンスが散りばめられた感じがいいですよね。地方私鉄の建築物の中でも、特に大正時代から昭和初期にかけてのものはこの手の西洋の香りが仄かに残る大正ロマンものってのがあるんだけど、今まで訪問した中だと、ことでんの琴電屋島駅とか、上毛電鉄の西桐生駅なんかがこの手の良駅でしたね。

駅舎の壁に飾られた、水間観音の貫主様による「詣」の揮毫。さすがにここまで来ておいて、水間の観音様にお参りしない訳にも行きますまい。雨も少し小やみになって来たのを見計らって、レトロな駅から水間散策へ向かうとしましょうか。

 

 

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泉州の 観音様の 小私鉄。

2022年05月30日 17時00分00秒 | 水間鉄道

(雨の紀阪行路@特急サザン)

和歌山港から、なんば行きの特急サザンの先頭車両に陣取り、雨に濡れる和歌山の街を出る。紀ノ川を渡り、新緑の孝子峠を越えて行くと、多奈川から先、淡輪から鳥取ノ荘辺りにかけては雨に煙る大阪湾が見えた。南海本線で和歌山からなんばに向かうのは初めてだったのだけど(関西空港からはアリ)、晴れていれば風光明媚な景色が見られたんではなかろうか。

次のお目当ての駅は特急サザンは停車しないので、泉佐野で空港急行にお乗り換え。岸和田市の南にある貝塚市の中心駅・貝塚で空港急行を降りる。二色浜・貝塚・蛸地蔵と海系の駅名が並ぶこの辺りは大阪府の南部、いわゆる「泉州」と呼ばれる地域。大阪と言えども摂津・河内・泉州(和泉)の三地域では土地柄も雰囲気も全く違うというのはよく言われますが、摂津の人に言わすと一番タチの悪いのは泉州だという説もあるとか(笑)。車のナンバーでも「和泉」は気を付けろとかよく言いますもんねえ。そう言えば、大阪のこの三地域の総称として「摂河泉(せっかせん)」って言葉がありますけど、私はこれを住之江競艇のレース名で初めて知りました。お盆シリーズで、地元大阪の選手のオールスター戦でやる「摂河泉競走」ってのがあるんですよ。どうでもいい情報だけど。

ここで乗り換えるのは水間鉄道。南海本線の貝塚から南へ向かう事6km弱、泉州の古刹として名高い水間観音を結ぶ参詣鉄道で、大正時代から地元泉州の足として愛されて来ました。規模は小さいながらバス会社なんかも運営していて、沿線の住宅地に路線を持っていたりします。昔は南海の旧型車で運行されていましたが、現在は車両を東急の旧7000系に統一。青森の弘南鉄道と同様、原型顔と中間車改造の扁平顔が混在しています。

東急7000系は、18m3扉車という手頃なサイズ感からで各地の地方私鉄に拠出されて来ましたが、譲渡先で乗るのは弘南に続いて二社目。あ、東急自社で機器類を更新し、池多摩線系統で使用していた7700系も譲渡先の養老鉄道で乗ってるから三社目か。あと北陸鉄道と福島交通、秩父鉄道に譲渡されてるけど、北鉄は乗った事ないし福島と秩父は既に廃車済みなんだよなあ。弘南同様、吊り革周りには東横線で使われていた当時の広告がそのまま残っており、「SHIBUYA109」なんて文字が見えたりする。貝塚駅の改札で一日フリーきっぷを購入。天気が悪いので、どこまで沿線を撮り歩けるか分かりませんが、ひとまず出掛けてみましょうか。

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