青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

梅香る、西鉄最古の参詣路線。

2024年09月18日 17時00分00秒 | 西日本鉄道

(ちっちゃなころから悪ガキで@西鉄久留米駅)

二日目の朝の西鉄久留米駅。前日は、二日市温泉の博多湯に寄った後、夜遅くの西鉄久留米駅まで行き、駅チカの商店街の居酒屋で軽く飲んだ後駅前のホテルに入って早々に寝てしまった。久留米の街も観光すればそれなりのものがあるのだと思うのだが、今回は寝るだけの街になっちゃったかね。朝起きて着替えを済ませ、ホテルの無料朝食の夏野菜カレーをゆっくりと食べて西鉄久留米駅前へ。昨夜は暗くてよく分かんなかったけど、なかなか立派な駅ですね西鉄久留米の駅。もとより西鉄大牟田線において、久留米市は福岡市に次ぐ沿線第二の都市で、人口は約30万人弱。駅としても天神・薬院・大橋に次ぐ第4位の乗降人員を誇っていて(2023年度29,261人)、街外れにあるJR久留米より西鉄久留米の方が利用者数が圧倒的に多く、ダブルスコア以上の差がついているそうな。2Fに駅が入る商業ビル「エマックス・クルメ」は地上4階建て。西鉄ストアをはじめ、ドラッグストアに100円ショップと生活に密着したテナントが並んでいます。その他は博多鳥皮や久留米ラーメンのご当地グルメもありますが、あとはスタバ、タリーズ、ゴンチャといかにも「っぽい」テナントが入っていて、さして面白みはありません(笑)。

ところで、個人的には「久留米」と言うと我々世代ではチェッカーズなんですけども認識間違ってませんかね?(笑)。藤井フミヤはお父さんが国鉄マンで、本人も久留米の高校を出てからデビューするまで国鉄の鳥栖駅に勤めていたのは有名な話でしょうか。全くどうでもいい話であるが、会社の若い子とカラオケに行ったとき、彼らのデビューシングルである「ギザギザハートの子守唄」の一節、「ちっちゃなころから悪ガキで 15で不良と呼ばれたよ」を「週5で不良と呼ばれたよ」と思い込み、「週5で不良と呼ばれてるよっぽどのワル」という理解をしていた子がいて笑ってしまったのを覚えている。この曲が世に出た1983年ってまだ週休二日制が導入されてなかったから、「週5」という概念がなかったのではないか(笑)。そんなどうでもいい話を思い出しながら、早朝の西鉄久留米駅の改札を抜ける。「筑紫まで追い越されません」って表記は面白いね。関東だと「筑紫まで先にまいります」になるので。そういういちいち細かいところに目が行くの、我ながら面倒くさいスタンスで生きているなあと思う。

西鉄久留米6:20発、急行西鉄福岡(天神)行きでサクサクっと二日目を始める。西鉄電車、朝の女性専用車は一番大牟田寄りに付いていますが、今の時間はまだ適用外なのでご心配なく。そして西鉄の弱冷房車はこれも編成の一番大牟田寄りに付いていて、イレギュラーがなければ女性専用車=弱冷房車という取り扱いになっているようです。一般的に女性の方が「冷房は寒い」っていう人が多いと思いますし、これはいい取り組みですね。この急行は5000形の3+4=7連ですけど、西鉄は優等列車でも5+2=7連や3+3=6連とか、異形式連結の4+2=6連があったり、2+2+2のブツ6連があったり。そもそも種別ごとの両数が揃ってないのもあるし、なかなかバリエーションも多彩。以前は4+4=8連もあったようなのだけど。

西鉄久留米から急行電車で25分、昨日は温泉に入るために途中下車した西鉄二日市へ。ここから太宰府線に乗り換えて、太宰府天満宮に行こうと思ってるんですよね。勿論、折角なんでも乗れるきっぷを持っておるのだから、この際西鉄を完乗しておきたい!という気持ちもある。というてもまだ朝早いので、そんなに急いで太宰府に行ったってしょうがない。てなわけで朝の平日のラッシュ時間帯、バンバン走って来る福岡方面行きの通勤列車を集めて行こうと思います。まずは3000形の5連「旅人」。太宰府周辺の観光情報でラッピングしている。西鉄の普通列車、地域の流動によって2~6両まであってこれも両数が一定しない。3000系自体も2・3・5連の固定編成があって、組み方のバリエーションが多彩ってのもある。

6000形4連+7000形2連の混結でやって来た急行西鉄福岡(天神)行きと、最新鋭の9000形の急行花畑行き。西鉄の9000形、同じ川重製造ということで京阪13000系とかあのあたりのデザインが流れ込んでいる感じがする。前面ガラス下部を曲線で処理しているところとか。西鉄の通勤系電車って、現役では最古参の5000形から始まって6000→6050→7000→3000→9000と続いているのですけど、3000形のところで遺伝子がプツッと途切れてますよね。それまでの鋼製車にアイスグリーンの塗装という流れから、ここでオールステンレス車体&無塗装を受け入れてるからなんですけどね。京急なんかはステンレスを受け入れてもフィルムシールでボディにカラーリングを施したりしましたが、9000形は西鉄の車両にはちょっとピンとこない臙脂色のカラーリング。アイスグリーンじゃないのね・・・。そして3000形の2+2+2のブツ6急行西鉄福岡(天神)行き。6両編成の列車の全車両に運転台がくっついている変態仕様。こういうのは座席が少なくなるからラッシュだと詰め込みが効かなくなるんで、関東だと東武しかやらないですねえ(偏見)。

ひとしきり朝ラッシュの西鉄電車を眺めた後、西鉄二日市駅の大宰府線ホームへ。線内折り返しの5000形4連がのんびりと運用に就いていた。昭和50年から製造が開始されて、今でも西鉄では最大勢力の車両数を誇る形式ですが、既にデビューから50年。最近になって廃車となる編成もちらほら出ており、総計で118両まで増備された車両数も現在では100両をちょっと欠けるくらい。これからは「新時代の通勤型車両」としての位置付けで開発された9000形が増備されていくでしょうから、徐々にその両数は減って行くものと思われます。両数があるから一気にラストランってこともないと思うけど、東急の8500系とかも何となくぼんやりしてたらいつの間にか営業編成がいなくなってしまったからねえ・・・そういうのってあるよね。

太宰府行きの5000形4連は、まばらに過ぎるお客を乗せて西鉄二日市の駅を出ると、いかにも支線だなあ!という感じでキイキイと車輪を軋ませながら右に曲がり、中間駅をひとつ止まったか止まらないかくらいの雰囲気でフワっと通り過ぎた後、あっさりと終点の太宰府駅に到着した。正味10分もない短い支線の旅である。こういう「目的」のはっきりした路線にありがちなあっさりとした短さっていいよね。関東で言うところの西武狭山線みたいな。もとより、この太宰府線が太宰府天満宮の参詣路線として馬車軌道で開通したのは明治35年(1902年)のことで、天神大牟田線を西鉄の前身である九州鉄道が建設したのが大正11年(1924年)の話。現在は支線扱いはされていますけど、路線としては太宰府線の方がだいぶ先輩に当たるんですよね。

太宰府の駅は、全国の天神様の総本宮である太宰府天満宮の最寄り駅でありますので、ホームの柱は緋色に塗られ、天満宮にゆかりの梅の花があしらわれた垂れ幕がホームを飾ります。筑紫野は太古の昔から国府(太宰府)が置かれた西国九州の国家の中心地、考古学の好きな方には見どころは多く、天満宮の他にも各種名所旧跡には事欠かない街です。それゆえに太宰府線は参拝客や観光客が中心の客層・・・と思われがちなんですが、どっこい周辺は福岡都市圏のベッドタウンでもあり、筑紫台高校(旧筑紫工業高校)などを擁する学生の街。この時間は上りの電車に乗って福岡方面へ出勤する人や、夏休みですが学生の姿もあり、日常の生活路線としても重要な路線となっています。ラッシュ12~14分間隔、日中13~17分間隔という微妙に異なるダイヤで、短い路線を一生懸命、忙しなく日がな往復しています。

五月雨式に乗って来るホームの乗客たち。
時期を確かめて車掌さんが吹鳴一斉、二日市行の電車が発車して行きます。


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