青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

夏の終わり 夏の越前・私鉄旅千秋楽

2014年09月27日 04時29分15秒 | えちぜん鉄道

(「轟」と書いて「どめき」@轟駅)

えちぜん鉄道では屈指の難読駅名「轟」の駅。昔っから結構インパクトのある駅名だな…と思っていたのですが、車窓から見ただけで訪問は叶わず。予想以上にサイクリングで時間を使ってしまったのと体力の消耗が著しく「まあたぶん田舎の何の変哲もない駅なんだろうけど」と目の前を流れて行く轟の駅を眺めるのみでありました(笑)。

  

さて、そんなこんなで勝山駅から一気に勝山本線を折り返し、三国芦原線との分岐駅である福井口駅に到着しました。えちぜん鉄道の運転上の中核をなす駅で、駅の規模は3面5線と大きなもの。駅の北側で双方の路線が分岐するのですが、三国芦原線の上り線と勝山本線の下り線がガッツリ平面交差になっているのが特徴。お互いの路線の接続は良く、勝山方面から三国方面への接続はだいたいどの電車も5分程度で行われているようですねえ。もうちょっとこの駅も細かく見て行きたかったんだけど、すぐに三国港行きが来てしまった(涙)。三国港行きは7000型の2連。

  

三国港行きは福井口を出ると左側にえち鉄の車庫を見ながら大きく左カーブして北陸本線を乗り越し、西別院・田原町・福大前西福井と進むと今度は大きく右カーブ。えちぜん鉄道へ転換した際に作られた日華化学前・八ツ島から新田塚を過ぎて九頭竜川を渡ると風景は一気に田園風景に変わる。三国までの間に大きな街らしいものはなく、北陸本線から外れた旧春江町・旧丸岡町の西側の集落を拾いながらと言う感じかな。西春江は何気に福井空港の最寄り駅なんだが、桜の古木がどっかり座ったホームにはそんな雰囲気は微塵もありません(笑)。ちなみに旧春江町はモーニング娘元リーダー高橋愛の出身地だったりする。そして、そんな事はまーったく関係なく2両編成の電車は青々とした稲穂に長い影を映しながら福井平野を北へ北へ走って行くのであります。

 

番田駅を出ると遠くに街が見え始めて、大きく左にカーブを取るとあわら湯のまち駅。車窓からはいかにも北陸の温泉地らしい大きな旅館が目立つ。京福時代は芦原湯町と表記していましたが、えち鉄への転換時に名前を開いております。こっから昔は国鉄の金津駅(現在の芦原温泉駅)まで国鉄三国線が走っておりましたが、現在はJRバスへ転換されてますね。昭和初期に国鉄三国線が開通した当時はこっから先はしばらく国鉄と並行して走り、三国駅付近で線路は分かれ国鉄が三国港まで、京福(当時のえち鉄)は東尋坊の方にもうちょっと続いていたんよね。ほんでもって時は戦局に至り、鉄材拠出のために「不要不急路線」としてお国は国鉄と京福の三国から先の末端部分を廃止してしまう訳なんですが、京福は重複していた芦原湯町から三国港までを国鉄の路線を使って電化し、それからは京福が三国港までの路線を営業するようになったと言うちょっと複雑な歴史があります。

  

温泉街のあわら湯のまちからは田園を見ながら水居を過ぎると、何となく車窓に低い屋根が多くなって来ていかにも港町だなあと言うような雰囲気になりつつ三国神社、三国を過ぎて終点三国港駅に到着。福井口から約45分、何にも途中下車出来なかったのは残念ではありましたが…三国港の駅は九頭竜川の河口部分に寄り添うようにあり、ホームから道路を挟んでその雄大な光景が見えます。ホームにて折り返し準備中のMC7000型、どの車両に乗っても思うのだがえち鉄の車両っていつもピカピカで、そこは特筆されていいポイントだと思います。そーいうのって結局ホスピタリティの精神につながると思うから。

  

三国港駅前の風景。漁船が引き上げられた護岸にサワサワと波が寄せる。ちょっとホームから離れた位置まで伸びていたレールにぽつんとあった車止めが終着駅のセンチメンタルっぽさを引き立てているようです。三国の港は北前船が寄港する伝統ある港のひとつで、日本海の海運交易の中核を担っていた港ですから、繁栄していた頃はもうちょっと港のほうまで線路が伸びていてそれこそ鮮魚や港に集まる物資が運ばれていったのでしょうなあ。

 

と言う事でともあれこれにて福井県内の私鉄は完乗!三国港駅から徒歩2~3分のところにある「三国温泉ゆあぽーと」にて汗でも流して行く事にする。海辺の温泉らしいしょっぱいお湯に浸かり、浴室のデッキから見る日本海に傾きかけた太陽。やっぱ日本海と言えば夕日だよねえ。隣の三国海水浴場はサンセットビーチとしても有名な場所で、毎年開かれる三国港の花火大会は北陸有数の大イベントだそうな。この花火大会の日はえち鉄のカッパギドル箱Dayらしく、車庫からありったけの車両を出して増発した上にこの日だけは土日だろうと何だろうとフリーきっぷが使えないと言うしっかりした経営を行っております(笑)。

  

湯上りの体を海風で醒まし、折り返しの福井行きに乗り込む。車内は海水浴場帰りの客で盛況、車内の喧騒を横目に外を見やると、下兵庫駅付近で福井平野の向こうに太陽が消えて行きました。えち鉄ではどこにも途中下車しなかったよなあ…と思って時刻表を調べると、あと一本落としても最終の東京行き新幹線には間に合うので中角駅で下車してみる。九頭竜川の鉄橋のたもとにある無人駅でホームは片面一本、堤防につながる高さの駅までは長い階段を上がらなければならないのが特に年配者にはとりわけ使いづらそうだが、ロケーション的には今は廃止されてしまった名鉄の東笠松駅を思い出します。


夕日の中を走る一枚を…と期待していたのですが、残念ながらとうに太陽は沈み、入道雲だけを夕日が照らす中を三国港行きの単行がやって来ました。夏の終わりと言う雰囲気で締めのワンカット、長きに亘ってお送りしてきた福井編もこれにて千秋楽。200型を追い掛け回した福井鉄道、駆け足で巡ったえちぜん鉄道、掘り下げて行けばもっともっと季節ごとの魅力があるのだろうと思われます。やっぱり北陸らしく雪に埋もれた冬とかにまた来てみたいね。今回の経験を生かしたカットも狙えるだろうし…

米原で最終の東京行き新幹線に接続するしらさぎ16号にて帰路に。このくらいのボリュームの遠征は、やっぱ年イチでもいいからやって行きたいもの。流れていく闇の中の北陸路を見ながら、早くも次はどこに行こうかと言う事でアタマがいっぱい(笑)。考えれば10代から20代の前半に全国の公営競技場を回りまくっていたのだが、今ではもうなくなってしまったものがかなりある訳で、そう思うとこの人口減と過疎の時代、地方鉄道もある意味一期一会な部分があると思っています。乗れる時に乗っておく事も大事だし、おこがましいけど乗る事で何かの魅力が伝わるのならそれも良い事だと勝手に思っている。だからまた出かけてみようと思います。次は子供も連れて行ってみようかなあ?サンライズを使って琴電とか一畑電車とかいいんでねーの?あ、その前に北陸鉄道か。

乗るたびの 一期一会を噛みしめて 列車は走る 越前の旅。
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癒しのひと時 夏の越前・私鉄旅その10

2014年09月22日 22時39分05秒 | えちぜん鉄道

(格子窓の向こう@勝山駅)

勝山駅の待合室から。この「格子窓越しの○○」って構図は何となしに自分の好みであったりする。構図の中にさらに小世界が見えて来るという感じがいいのか、はたまたのぞき見的なチラリズムがいいのか。いずれにしろ、勝山の駅舎は改築されているとはいえこのような古き良き造作を多くの場所で残しております。んで、新しくてエアコンも効いているんだから悪かろうはずはありませんw


さて、小舟渡駅前の小舟渡橋でチャリを折り返し、キコキコとまた撮り歩きながら勝山方面に戻ります。行きと似たような場所で構えるのも能がないんだけど、まずは発坂~保田間の田園地帯で秋めいた空を見上げて広角でパチリ。2連の福井行MC7000型が伸びやかなストレートから緩やかなアウトカーブを走っていきます。


発坂駅を出るMC6110。鄙びた木造駅舎が立っていたのだが、無粋ななにわナンバーが止まっていたのでむりやり花絡めで。えち鉄の車両は元々の京福が主に阪神電鉄の中古を使っていたせいもあって、特にこの6000番台の車両は何となくカオのデザインが阪神電車入ってる気がするんだが、この車両は元々愛知県の愛知環状鉄道で使われていた車両なんだそうで。でも、テールランプのデザインとか、阪神電車でしょこれ。


草刈場踏切付近の森を行くMC6112。愛環は1500Vの路線でしたので、600Vのえち鉄入りするために降圧の改良工事を行ったそうな。えち鉄の車両はおおざっぱに言って6000型が単行グループ、7000型が2連グループで、乗客の流動に合わせて運用が行われているようです。今日の午前中は結構乗っていたけど、永平寺口から勝山までは単行で十分間に合う流動なのかな。えち鉄に沿って中部縦貫自動車道が整備中であり、これが開通すると結構えち鉄には影響が大きそうな気がする。


勝山駅までチャリンコで戻り、すぐの福井行きを一本見送って駅併設の「えち鉄カフェ」で一休み。勝山駅の改築に伴って開店した、えちぜん鉄道直営のシャレオツなカフェーです。アイスコーヒーを水出しの立派なサイホンで淹れてくれる本格派。よく出来たアイスコーヒーにクリームを浮かべて飲む至福の時間は癒しのひと時。炎天下の中を3時間近くサイクリングした体に沁み渡ります。


次の福井行が出るまでの30分を落ち着いた雰囲気の店で過ごす。ここコーヒーも美味いんで、えち鉄に乗りに行った際には是非もんで訪れて欲しい店であります。ただ文庫本だけ持って一時間くらいまったりしてから福井に帰るだけでも、いい感じの休日の過ごし方が出来そうだよね。

次回へ続く。
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晩夏を漕ぐ 夏の越前・私鉄旅その9

2014年09月20日 00時55分12秒 | えちぜん鉄道

(終着駅の一つ前@比島駅)

勝山駅でレンタサイクルを借りたアタクシ。勝山駅の裏手からえち鉄に沿って一本の小道が続いておりましたので、とりあえず線路に沿ってチンタラと里山風景の中をサイクリング。事前の天気予報では曇り時々雨くらいの話だったのだが、打って変って好天に恵まれたなあ。おかげで暑い暑い!普段は何の運動もしていない身にはたかだか10分ほどのサイクリングでもすでに汗だく。辿り着いたのは勝山駅から一つ手前の比島駅。

 

比島駅は、まるで併用軌道のような集落の小道に沿って佇む静かな駅。森の向こうから緩くカーブして続いているレールと、夏の日差しに揺れる集落の木立に包まれた小駅は極めていい雰囲気で、映画のワンシーンに出て来てもおかしくないようなロケーションがあります。例えばこの駅で女学生が一人立って電車を待っているだけで、なんか凄く物語性が出るような…そんな気がする駅です。そして、私がひそかに提唱する「ローカル私鉄の終点の一つ前の駅はいい駅」の法則をしっかり守ってくれているねw


夏色の比島の集落を出る6112編成。って編成って言っても単行なんですけどね。稲穂の色もほのかに色づき、暑いながらもアキアカネが稲田を渡る風景に季節の移ろいを感じます。バックの農家は比島駅前にある立派な農家なんですけど、北陸の農家は立派なおうちが多いですね。

 

比島駅から続く道はやがて森の中に吸い込まれ、いよいよ線路と同化するレベルに細くなって行きます。行き止まりなのかな…?と思ったのだが、やがて細道は線路をまたいで反対側に出ます。そして、こんな細道にも立派な遮断機付きの踏切がありまして、一時停止の白線なんぞも引かれている。このレベルの道の踏切なら第四種で済ませるもんだが…木立の中で一時の涼を求めて休んでいると、律儀に警報機が鳴り福井行きの電車が通過して行った。ちなみにこの踏切の名前は「草刈場踏切」と言うらしい。昼間はいいけど夜はちと怖いw


森を抜けてえち鉄の電車がやって来る。こんな人跡稀な踏切でカメラを構えていると運転士の方もさぞかしビックリされるのではなかろうか。2連のMC7000型7010編成、タネ車は先日までJR東海の飯田線で走っていた119系だそうなのだが、えち鉄入りに際して前面の改造を施されており昔日の面影はありません。ってか制御方式も抵抗制御からVVVFに換装しているのでバリバリの新車みたいなもんだよね。前照灯も輝度が高い。


発坂~保田間。蔵のある風景を行く。こんなのどかな風景ではありますが、前述のように2回目の列車の正面衝突事故が起こったのがこの区間でもあります。手前の発坂駅で交換待ちをしなきゃいけなかった運転士の信号見落としによる冒進が事故の原因だったそうですが。


小舟渡~越前竹原間。道はえち鉄に沿って続いております。サイクリングしながら電車の時間が近づいたらアングルを決める体で撮り続けて行ったら勝山駅から4つ目の小舟渡(こぶなと)駅まで来た。この辺りがえち鉄が一番九頭竜川に近づく区間でもありますが、引きが取れずなかなか絡めて撮るのは難しい…


「おとり鮎」の幟を立てた古い木造の川べりの商店と絡めて。またえち鉄の日中の電車って単行多いからそこらへんも難しさに拍車を掛けているような気がするなあ(笑)。構図の中での車両の置き場所がちょっと慣れない感じ。この辺りの九頭竜川は下流に発電所の堰があるせいか、やや流れは穏やかなように思えますね。


小舟渡駅前の九頭竜川に架かる小舟渡橋。上記の2枚のカットはここから。旧道の橋らしい武骨なトラスがいい感じです。勝山をチャリンコで出てから約2時間、そろそろ腹も減ってきたし引き返すとするか。

次回へ続く。
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語らずにおれないヒストリー 夏の越前・私鉄旅その8

2014年09月16日 23時19分18秒 | えちぜん鉄道

(ある夏の日に@えちぜん鉄道福井駅)

さて、壊れてたPCもHDD交換により復帰しましたので、ぼちぼちと福井のお話を続けていきたいと思いますが…もうそろそろ1ヶ月が経ってしまうのね。鮮度感は全くなくなってしまった感も拭い切れませんがしばしお付き合いいただきたく。そもそも今回の福井遠征は福井鉄道(200型)メインだったんで、えち鉄についてはサブ的感覚での訪問。まあ次に福井なんかいつ来るか分からないから訪問しておこうと言う感じではあります。


この日も結局朝からしばらくの間は福鉄で200型を追いかけてしまったので、福井駅に着いたのは午前も10時を回った頃合い。全長20km程度の福井鉄道とは違って、県都福井を中心に西は勝山市までの30km(勝山永平寺線)、北は三国港までの25km(三国芦原線)と合計60kmの総延長を持つえちぜん鉄道。夕方には福井を出ないと家に帰れないので、少々駆け足の訪問になってしまいそう。まずは勝山永平寺線の勝山行MC6101型6112。単行運転です。

 

10時過ぎの勝山行きは、夏休みということもあって勝山の恐竜博物館へ向かう親子連れでいっぱい。えち鉄も恐竜博物館とタイアップした一日フリー乗車券を発売しており、車内は立ち客も出る混雑ぶり。発車直前に駆け込んだ自分に余っている席があるはずもなく、そしてほぼ全員が終点の勝山まで乗り通すことが確定しているという何ともやるせない状況…だったのだが、えち鉄名物と言っても過言ではないアテンダントさんが結構若くてカワイかったので良しとするw


車窓風景は松岡までは福井市の郊外、志比堺が文字通りの境となって永平寺口からは九頭竜川に沿った谷あいの田園地帯に変わる。途中駅で降りてみようかな…とも思ったんだが、下手に降りると後半のタイムスケジュールが詰まるので結局勝山まで乗り通してしまった。降りるなら風格のある駅舎が魅力の永平寺口駅かと思ったんだが、どうも古い駅舎を解体して工事の真っ最中らしい。福井駅から乗り通して小一時間の勝山駅は、勝山市の中心街からは九頭竜川を挟んだ対岸にあって駅前にはわずかな商店があるのみ。一緒に降りてきた親子連れはほとんどが恐竜博物館行きのバスに乗って行ってしまった。


駅の横には大阪特殊合金の勝山工場ってのがあって異様に目立つ。なんだか勝山駅の主目的はこっからの貨物輸送だったのかな、と思わなくもない。現在では鉄製品の塑性加工を促進する添加剤みたいなものを作っている工場なのだが、古くは京都電燈という会社が作ったカーバイドの生産工場であったそうな。カーバイドってのは大正から昭和にかけてはアセチレンランプ(ガス灯)の主燃料として用いられてたものらしい。富山地鉄に行った時にも魚津には日本カーバイド工業と言う上場会社があったのを思い出します。

  

建て直されてきれいになった駅の横には、以前この路線で活躍していた電動貨車であるテキ6とト68の姿。京都電燈という会社は、明治初期に京都から北陸地区をカバーした電力会社で、琵琶湖疏水を使った発電で京都市街の電力化に貢献。その後、福井県の九頭竜川で発電所を作っていた日本水力と言う会社と提携をします。大きな電力ネットワークを持った京都電燈は、その有り余る電力を用いて京都で京都電燈叡山線(現在の叡山電鉄)、福井では越前電気鉄道(現在の勝山永平寺線)を開業しました。その後、嵐山電車軌道(現在の嵐山電鉄)を合併するなど鉄道事業も拡大しましたが、戦後の配電統制令によって京都電燈が解散。鉄道部門は電力会社から引き離され、京福電気鉄道と言う名前で京都市内と福井県内の離れた二地域で鉄道事業をするに至りました。子供の頃、京福電気鉄道と言う私鉄は同じ会社なのにずいぶん離れた場所で路線を持っているんだなあと不思議に思っていたんだけど、なるほどこういう理由があったんですね。
大阪特殊合金の勝山工場も現在のえちぜん鉄道も、ルーツを辿れば京都電燈に行き着くので、そりゃあ駅の横にドカンと工場があっても何の不思議もないと言う事になります。そして水利を生かした「水力発電による電力供給+カーバイド生産」と言う構図は殖産興業時代における北陸独特の工業発展のメソッドなのかなとも思ったり。


京福電鉄自体は京都と福井で戦後長らく鉄道事業を継続したものの、大半はモータリゼーションの波に押され経営は芳しいものではありませんでした。苦肉の策で叡山電鉄を分社化したりと合理化で生き残りを図りましたが、平成12年と13年に福井鉄道部の勝山本線で車両の老朽化やATSの未設置などを理由とした二度に亘る電車の正面衝突事故を起こしてしまい、お上から「安全対策するまで電車動かしちゃダメ(事業改善命令)」と言う厳しい処分を食らいます。しかしながら、京福側には安全対策を施すだけの資金の工面は難しく、結局「鉄道続けるのはムリです」って事になってしまって平成13年10月に京福電鉄は福井地区での鉄道営業からの撤退を表明。その後の紆余曲折によって結局こちらも福井県が主体となった第三セクター方式にて平成14年9月、現在の「えちぜん鉄道」として再起に至るわけであります。

なんか長々とヒストリーについて書いてしまったのだけど、鉄道ファンの方にはこのあたりの話はイロハのイなのかもしれませんのでご笑覧のほどを。ただ、やっぱりこの鉄道を知るには知っておきたいヒストリーかなって思うんで…ともあれこの日のアタクシは、勝山駅にてレンタサイクルを借り、しばし沿線の撮り歩きに出た事をご報告させていただきますw
次回へ続く。
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業務連絡

2014年09月15日 06時23分49秒 | 日常
えー、現在メインのPCがぶち壊れてしまいまして、なんも更新が出来ない状況にあります。買って一年半で壊れるとは史上最短記録。どうやらHDDの交換らしくまた余計な出費に頭を抱えている状態。あ、昨日は蛭子バスでしたが今回はラスト以外は妙にさっぱりと終わってしまったような気がして悪くはないんだけど少々物足りない感じもしたなあ。ゲームに徹しすぎっつーか。この番組ってゴールするかしないかじゃなくて、蛭子の毒気とかどうでもいい場所での仕方なしの観光とか宿探しとかムリヤリ開けてもらった喫茶店のモーニングとかそこらへんにあると思うんだけど、その辺りのエピソード的な盛り込みが今回少なかったように思うんよ。もしそれが番組が有名になったせいだとしたらファンとしては悲しい(笑)。まあ今回はマドンナの野村真美が蛭子毒を中和してしまったからかもしれないが。つーか野村真美は一人で富士山登るとか言ってるくらいの健脚なんで、歩きにまるでへこたれないのが絵的にはどうだったのかと。5km歩いて楽しかったとか言われては・・・泣き言言うくらいのマドンナでないと、これも物足りなさの一つかもしれません(笑)。マドンナが強過ぎてもたいがいだな。
あと今回は長野~新潟方面のルートだったんですけど、関東から近い割にはテレ東ネットがない地域なんでバス会社の案内所でイマイチ認知されてませんでしたね。茅野の案内所で「上田に行くなら佐久平から新幹線で」とか言われてたし。却ってこれは良かったかもしれません(笑)。茅野から白樺湖→上田方面は死亡フラグだと思ったんだけど、第12弾で諏訪から塩尻に繋がらないのを知っていたからなんだね。

ともあれ道中の食いぶりといい、終盤戦での高田市内の乗り継ぎ(本町四丁目)といい、本もCDも出してルイルイは絶好調でした(笑)。
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