(「轟」と書いて「どめき」@轟駅)
えちぜん鉄道では屈指の難読駅名「轟」の駅。昔っから結構インパクトのある駅名だな…と思っていたのですが、車窓から見ただけで訪問は叶わず。予想以上にサイクリングで時間を使ってしまったのと体力の消耗が著しく「まあたぶん田舎の何の変哲もない駅なんだろうけど」と目の前を流れて行く轟の駅を眺めるのみでありました(笑)。
さて、そんなこんなで勝山駅から一気に勝山本線を折り返し、三国芦原線との分岐駅である福井口駅に到着しました。えちぜん鉄道の運転上の中核をなす駅で、駅の規模は3面5線と大きなもの。駅の北側で双方の路線が分岐するのですが、三国芦原線の上り線と勝山本線の下り線がガッツリ平面交差になっているのが特徴。お互いの路線の接続は良く、勝山方面から三国方面への接続はだいたいどの電車も5分程度で行われているようですねえ。もうちょっとこの駅も細かく見て行きたかったんだけど、すぐに三国港行きが来てしまった(涙)。三国港行きは7000型の2連。
三国港行きは福井口を出ると左側にえち鉄の車庫を見ながら大きく左カーブして北陸本線を乗り越し、西別院・田原町・福大前西福井と進むと今度は大きく右カーブ。えちぜん鉄道へ転換した際に作られた日華化学前・八ツ島から新田塚を過ぎて九頭竜川を渡ると風景は一気に田園風景に変わる。三国までの間に大きな街らしいものはなく、北陸本線から外れた旧春江町・旧丸岡町の西側の集落を拾いながらと言う感じかな。西春江は何気に福井空港の最寄り駅なんだが、桜の古木がどっかり座ったホームにはそんな雰囲気は微塵もありません(笑)。ちなみに旧春江町はモーニング娘元リーダー高橋愛の出身地だったりする。そして、そんな事はまーったく関係なく2両編成の電車は青々とした稲穂に長い影を映しながら福井平野を北へ北へ走って行くのであります。
番田駅を出ると遠くに街が見え始めて、大きく左にカーブを取るとあわら湯のまち駅。車窓からはいかにも北陸の温泉地らしい大きな旅館が目立つ。京福時代は芦原湯町と表記していましたが、えち鉄への転換時に名前を開いております。こっから昔は国鉄の金津駅(現在の芦原温泉駅)まで国鉄三国線が走っておりましたが、現在はJRバスへ転換されてますね。昭和初期に国鉄三国線が開通した当時はこっから先はしばらく国鉄と並行して走り、三国駅付近で線路は分かれ国鉄が三国港まで、京福(当時のえち鉄)は東尋坊の方にもうちょっと続いていたんよね。ほんでもって時は戦局に至り、鉄材拠出のために「不要不急路線」としてお国は国鉄と京福の三国から先の末端部分を廃止してしまう訳なんですが、京福は重複していた芦原湯町から三国港までを国鉄の路線を使って電化し、それからは京福が三国港までの路線を営業するようになったと言うちょっと複雑な歴史があります。
温泉街のあわら湯のまちからは田園を見ながら水居を過ぎると、何となく車窓に低い屋根が多くなって来ていかにも港町だなあと言うような雰囲気になりつつ三国神社、三国を過ぎて終点三国港駅に到着。福井口から約45分、何にも途中下車出来なかったのは残念ではありましたが…三国港の駅は九頭竜川の河口部分に寄り添うようにあり、ホームから道路を挟んでその雄大な光景が見えます。ホームにて折り返し準備中のMC7000型、どの車両に乗っても思うのだがえち鉄の車両っていつもピカピカで、そこは特筆されていいポイントだと思います。そーいうのって結局ホスピタリティの精神につながると思うから。
三国港駅前の風景。漁船が引き上げられた護岸にサワサワと波が寄せる。ちょっとホームから離れた位置まで伸びていたレールにぽつんとあった車止めが終着駅のセンチメンタルっぽさを引き立てているようです。三国の港は北前船が寄港する伝統ある港のひとつで、日本海の海運交易の中核を担っていた港ですから、繁栄していた頃はもうちょっと港のほうまで線路が伸びていてそれこそ鮮魚や港に集まる物資が運ばれていったのでしょうなあ。
と言う事でともあれこれにて福井県内の私鉄は完乗!三国港駅から徒歩2~3分のところにある「三国温泉ゆあぽーと」にて汗でも流して行く事にする。海辺の温泉らしいしょっぱいお湯に浸かり、浴室のデッキから見る日本海に傾きかけた太陽。やっぱ日本海と言えば夕日だよねえ。隣の三国海水浴場はサンセットビーチとしても有名な場所で、毎年開かれる三国港の花火大会は北陸有数の大イベントだそうな。この花火大会の日はえち鉄のカッパギドル箱Dayらしく、車庫からありったけの車両を出して増発した上にこの日だけは土日だろうと何だろうとフリーきっぷが使えないと言うしっかりした経営を行っております(笑)。
湯上りの体を海風で醒まし、折り返しの福井行きに乗り込む。車内は海水浴場帰りの客で盛況、車内の喧騒を横目に外を見やると、下兵庫駅付近で福井平野の向こうに太陽が消えて行きました。えち鉄ではどこにも途中下車しなかったよなあ…と思って時刻表を調べると、あと一本落としても最終の東京行き新幹線には間に合うので中角駅で下車してみる。九頭竜川の鉄橋のたもとにある無人駅でホームは片面一本、堤防につながる高さの駅までは長い階段を上がらなければならないのが特に年配者にはとりわけ使いづらそうだが、ロケーション的には今は廃止されてしまった名鉄の東笠松駅を思い出します。
夕日の中を走る一枚を…と期待していたのですが、残念ながらとうに太陽は沈み、入道雲だけを夕日が照らす中を三国港行きの単行がやって来ました。夏の終わりと言う雰囲気で締めのワンカット、長きに亘ってお送りしてきた福井編もこれにて千秋楽。200型を追い掛け回した福井鉄道、駆け足で巡ったえちぜん鉄道、掘り下げて行けばもっともっと季節ごとの魅力があるのだろうと思われます。やっぱり北陸らしく雪に埋もれた冬とかにまた来てみたいね。今回の経験を生かしたカットも狙えるだろうし…
米原で最終の東京行き新幹線に接続するしらさぎ16号にて帰路に。このくらいのボリュームの遠征は、やっぱ年イチでもいいからやって行きたいもの。流れていく闇の中の北陸路を見ながら、早くも次はどこに行こうかと言う事でアタマがいっぱい(笑)。考えれば10代から20代の前半に全国の公営競技場を回りまくっていたのだが、今ではもうなくなってしまったものがかなりある訳で、そう思うとこの人口減と過疎の時代、地方鉄道もある意味一期一会な部分があると思っています。乗れる時に乗っておく事も大事だし、おこがましいけど乗る事で何かの魅力が伝わるのならそれも良い事だと勝手に思っている。だからまた出かけてみようと思います。次は子供も連れて行ってみようかなあ?サンライズを使って琴電とか一畑電車とかいいんでねーの?あ、その前に北陸鉄道か。
乗るたびの 一期一会を噛みしめて 列車は走る 越前の旅。