青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

魅惑の電車食堂

2018年11月25日 17時00分00秒 | 大手私鉄(関東)

(クハ車の中はテーブル席@東武5700系)

楽しい「マスタード・シード」さんでのひと時。そろそろランチタイムも終わりの時間という事で、店内のお客さんもだいぶ引いたようです。せっかくなので、店内を見学させていただきました。テーブル席側はパーテーションで区切られているのですが、取っ払えば大人数のパーティーでも出来そうなイメージ。奥の方にある運転室は倉庫になっているようで、入る事は出来ないようです。

 

丸みを帯びた天井で緩やかに回る扇風機は羽根こそ替えられてはいますが、一直線に並ぶ蛍光灯は当時のまま。ただ、照明自体は後付けの白熱球になっているようです。壁にはファンの方々が撮影した現役当時の5700系の写真が飾られていて、東武の中でも屈指の人気を誇る車両だった事が伺えます。トータルで2編成12両しか生産されなかった5700系ですが、生涯を優等列車に捧げ、後輩の1800系のように普通列車用に改造されて使用される事がなかったのも、高潔なイメージがあった車両でした。

  

「臨時快速急行だいや・おじか」として多客期の特急を補完する役割が多かった5700系ですが、個人的にはヤマケイハンドブックス「日本の私鉄」シリーズで見た「快速たびじ」や「林間学校」のヘッドマークを付けて高架の複々線を颯爽と走っていたシーンが記憶に残ってますね。昭和60年に登場した6050系の増備によって平成3年に引退となる訳ですけども、そーいや自分は6050系も大好きなんだよなあ。たぶん6050系に5700系の残滓を追い掛けているようなトコはあるかもしんないねえ。


こちらは東武博物館で保存されている5700系のカットモデル。完全体の方は中庭で保存されてますけど、登場当時の流線型の猫ひげ型になっちゃってて自分のイメージからはなんか違う。やっぱ5700系と言えばこの顔面が至高。こんな車両が北関東の空っ風の中を吊り掛け音も高らかに爆走していたと思うと、昭和というものはいい時代だったんだねえ(笑)。まったくこんなものを見ていると余計に懐古趣味に火がついてしまって困る。


改めてひとしきり5700系の細部を見学して、さて帰ろうと思ったところ、最後にまたお店の方が出て来て、「今日は遠いところありがとうございました…」と改めてご挨拶をいただく。そして子供に「お子さんも電車お好きみたいなんで、どうぞ」と渡されたのがこのクリアファイル。改めて家に持ち帰って見てみたんだけど、これ、ホントにこのお店独自のグッズなのだろうか??図鑑が個人のお店が作るレベルの詳しさじゃなくてビビる。正直東武博物館で売っててもおかしくない。お店の人がそこまでデンシャに詳しいとも思えないし…誰か相当なマニアのブレーンでもいないと作れないよ。すげーなこれ(笑)。子供もこのプレゼントにはすごく喜んでいて、お店の方にはすっかり世話になってしまいましたねえ。何から何まで本当にありがとうございました。


「電車食堂・マスタードシード」さんの場所は、吹上駅の北、行田市駅の南。なんかちょっと説明しづらい場所にある(笑)。車だと17号バイパス、電車だと吹上駅北口から朝日自動車のバス(行田市方面)に乗って「ものつくり大学入口」で降りて新幹線の高架に沿って熊谷方面に歩くと見付かるはず。日中でもバスは20分間隔くらいで走ってたからテキトーに行っても大丈夫だと思う。歩いていく場合でも、新幹線の高架を目指してひたすら歩けば見つかるはず(笑)。フキギョウから歩いて20分くらいだったから、多分おんなじくらいだと思う。


風に吹かれて佇む、田園のレストランを後に。ちなみに隣のカップルが食べてたジャンボエビグラタン(エビドリア?)がめっちゃ美味そうだった。店の従業員の方もすごく良くしてくれたので、また機会があったら行ってみたい。電車好きじゃなくてもフツーにレストランとしておススメしますぜ。
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古豪で過ごすひと時

2018年11月24日 22時00分00秒 | 大手私鉄(関東)

(古豪の勇姿そのままに@「電車食堂・マスタードシード」)

「電車食堂・マスタードシード」さんの店舗部分として第二の人生を送る東武5700系。昭和26年に当時は埼玉県の蕨にあった日本車輛東京支店で製造。東武の戦後復興のシンボルとして、日本有数の行楽地である日光・鬼怒川への優等列車へ充当された車輛でもあります。昭和35年に1720系DRC(デラックスロマンスカー)が登場して以降は第一線は引いたものの、引退まで一貫して優等・団体列車にその身を捧げた、文字通りの東武の名優。さすがに車齢で言えば70歳のオールドタイマーであって、多少外板部には傷みも見られますが、その姿から隠しようのない気品が伝わって来ます。


改めて近付いて別角度で。小豆色がかったベージュの窓周りと落ち着いたマルーンの色合い。何度か塗り直していると思うので現役当時と色合いはやや変わっているのだろうけど、国電流れの7300系辺りに共通する東武戦後デザインのお顔と、優等車輛らしい車端部の片開きドア。ブタっ鼻のおでこの2灯ライトはED5080とかと共通の、いかにもな東武の艤装品と言う感じがしますけど、幌枠と窓の上下のウインドシル&ヘッダーが醸し出す彫りの深さが最高です。このお店は5700系のクハ車とモハ車を鍵型に並べ、2両の合わせ目の部分に時計台風のかわいらしいエントランスを設けています。

 

しばし名優の姿に浸りきっていたら、そんな謂れは知る由もない子供から「お腹空いたよ!早く行こうよ!」とソデを掴まれた。お店のエントランス周りはアメリカンな雰囲気の中にも既にクリスマスのデコレーションで彩られていて、一年が過ぎ去る早さみたいなものを感じてしまった。来週になったらもう12月だもんなあ。

 

駐車場の混雑ぶりから察してはいましたが、お店のテーブル席(クハ側)は満員という事でカウンター席(モハ側)へ。車輛の壁に沿ってダイニングバー的な設えのカウンターが。調度品の雰囲気はアメリカン&アンティークな感じだけど、純和風の5700系に意外に合っている。5700系のデビュー当時は、GHQの連中も特急に乗ってお忍びで日光へ避暑に…なんてシチュエーションもあったのかな、なんて旧きに思いを馳せてみる。

  

パスタ・ピザが中心のレストランなのかな、と思わせておいて、ランチでもコース系メニューがあったりといわゆる「ママ友のお集まり」的なニーズにも対応しているようです。私は日替わりランチ、子供は…お子様メニューなのかと思ったら大人メニューのピザランチとか親より高いメニューを頼んで来た(笑)。思えば自分もそうだったなあ。親より高いメニューを頼んだ子供がドヤ顔でセットのオレンジジュースを飲んでいる横でセットサラダ。タマネギパリパリで美味しいです。


子供の頼んだピザランチは、四種のチーズのピザ。ピザ用カッターを持って早くも臨戦態勢の子供にカメラタイムを要求したら、お預けを食らった犬みたいに獰猛な顔をしやがった。生地は薄めのクリスピー型に、チーズがたっぷり。


こちらは私の日替わりランチ。ハンバーグのキノコデミグラスソース。ライス付き。デミグラスソースたっぷり。お行儀悪いのだけど、セットのライスをハヤシライスよろしくたっぷりのデミグラスソースにドボンさせて食べるのが非常に美味であります。


子供と二人で楽しく食事をしていたら、オーナーのご家族の方らしきお母さんが訪ねて来た。神奈川県の片田舎から電車に乗って来た事を告げたら、「遠いところをわざわざ…」と実に丁寧にお礼をいただいてしまった。聞けばこのお店、開業して今年が25周年なんだそうだが、5700系が引退したのが平成3年だから、引退して2年後にこのお店を始めた事になるんですねえ。長年地元に愛されているお店、という事なのでしょうが、現役の車両として走った40年と、第二の人生としてのキャリアの25年、お客さんをもてなし続ける古豪の働きぶりにもただただ敬服。


戸袋窓から柔らかな秋の陽射しが漏れる、暖かな車内。ちなみに、自分はさすがに5700系に乗った経験はない。東武の北千住駅で浅草方の離れにあった待避ホームに止まっているのを、常磐線のホームから数回見た事があるくらいだ。昔の北千住の駅は、真ん中に日比谷線のホームを挟み、日比谷線方面が浅草方で伊勢崎線の下り本線をオーバークロスする配線だった記憶がある。そのオーバークロスの下にあった待避ホームは、いつも人がいなくてガランとしていたんだよね。たぶん5700系の団臨かなんかで、スジの合間を縫って走る列車だったから、北千住の待避線に入ってたんじゃないのかと推測されますが。


お皿を片付けに来る従業員の方、コーヒーを入れてくれる方、次々に遠方から来たことに対しての言葉をかけていただいたのだけど、優しさにあふれるホスピタリティには足を運んで良かったな、と素直に思わせられる暖かさがありました。舌で感じる味とまた違う味というか…子供も良くしてもらったし。東武のロイヤルトレインで過ごすランチタイムは、素敵な時間となりました。
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オールド・トレイン・レストラン

2018年11月23日 17時00分00秒 | 大手私鉄(関東)

(久し振りに電車で@吹上駅)

朝から気持ちよく晴れた三連休初日。冬を前に行楽の秋シーズンもラストという事で、朝もはよから高速道路は大渋滞をしていたようです。我が家も一家で出掛け…ようとしたところ、ちょいと下の子が咳を出していて今回は女性陣がお留守番となりました。という訳で久し振りにオトコ二人で出掛けて来たんですが、そう言えば去年のこの時期は私鉄10社スタンプラリーとかやってたのを思い出した。12月の頭に南会津まで行ったんだっけ(笑)。


いつもは何となくフラフラと当てもなく都内周辺を回って帰って来るのが通例ですが、今日は行ってみたいところがあったので湘南新宿ラインに乗って埼玉県の北部方面へ。おや、いつもの秩父でデキ三昧ですかい?と見せかけて、熊谷の手前の吹上の駅で下車。当たり前ですが初めて降りました(笑)。大宮~熊谷の間の街とか、運転免許試験場のある鴻巣以外ホントにイメージがないよなあ。


お目当ての場所は駅から離れているのですが、まだ時間も早いので少し吹上の駅周辺をブラブラ。ちょっと北風が冷たいけど、いい天気。子供が「貨物列車が見たい」と言うので、残り柿を見ながらフキギョウ(吹上~行田間)のポイントまで来たんだけど、ちょっと到着が遅れて4074レとか撮り逃しちゃった。主題じゃないのでそこらへんはユルい。

 

川を渡って来た列車がカックンと首を折るアウトカーブ。なるほどフキギョウはこんな感じのアングルなのか。光線的には午後の下りと言う感じなので、もうちょっと早い秋口の時期なら安中貨物とか良かったかもしれない。それにしても高崎線沿線にはこのフキギョウを始めクマギョウだのオカフカだのオカポンだのジンボシンだの暗号のような略称を持つ撮影地が多いんですよね。


東北線筋もヒガハスやらワシクリやらクリコガなんて言ったりするから、埼玉方面のテツがそう言う仲間うちの符丁で撮影地を呼び合うような文化を形成しているのかもしれないね。しかし天気がいいだけが救いだが、特に目新しい列車も来ず通るのはE231+E233ばかり。埼玉の北部から逗子とか平塚とか小田原に電車が直通する時代。特急が通らなくなった分のスジを埋めるように、ひっきりなしに緑とオレンジの銀色電車が通ってゆく。


特に何もない撮り鉄の時間がひとしきり。久々にカメラをカシャカシャやれて子供も満足したのか、「ご飯食べにいこ。お腹空いたよ!」と言い出した。いつも子供と言うのは本能の赴くままで勝手なものである。まあもとより今日はそれが主題だったので異論はない。フキギョウのポイントから20分ちょっと歩くと、すでに刈り入れの終わった田んぼの向こうに上越新幹線の高架が見えて来た。高架の向こうに見えるのは…ああ、あれは赤城の山だね。金沢方面へ行くE7がびゅーんと通過して行った。


新幹線の高架をくぐって路地を曲がると、田んぼの中になにやら古びた車両の置かれたスペースが見えて来た。後ろの団地みたいなのは埼玉県が誇る「ものつくり大学」だそうだが、確か作るときにKSDが絡んじゃって政治家さんとすったもんだしたんじゃなかったっけ。結構そういうどうでもいいことばかり覚えて生きて来てしまいました、ハイ(笑)。

 

はるばるやって来た「カフェレストラン・マスタードシード」さん。東武鉄道で活躍した5700系を使った、見ての通りの電車のレストラン。ひょんなことからこの店の存在を知って、いつか行ってみたいと思っていたんだよね。「電車のレストラン」というのもポイント高いけど、「行ってみたい」と思わせたのは、何より出てくる料理が普通に美味しそうだったからにほかならない。全景を写真に収めようとしたんだけど、止まってるクルマが邪魔で上手く撮れんかった。三連休の初日という事を割り引いても、この駐車場の入りですから、かなり評判はいいんでしょうね。ちょっと時間をずらして来てみたつもりだったんだけど、思った以上の繁盛店のようです。
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戸狩落葉

2018年11月20日 17時00分00秒 | 飯山線

(紅く静かな秋の宵@戸狩野沢温泉駅)

すっかり夜の帳が降りた戸狩野沢温泉の駅に、141Dで出て来る飯山色を迎えに。駅裏の駐車場のナトリウムランプが、紅く染まった街路樹をより一層紅く染め上げて、駅に到着した飯山色の雰囲気をより引き立てています。友情の列車、夜汽車の旅…と行きたいところですが、141Dは前1両だけが越後川口行き。後ろに付いた飯山色は、ここで切り離されて折り返しの運用に。


十日町発の単行142Dをホームに迎え入れ、先発の141D前が越後川口に向けて発車すると、飯山色の入換作業の時間。戸狩野沢温泉の増解結作業は何度も見ていますけど、ホームの有効長や乗客の流動に合わせた列車の運用両数と合わせ、実に緻密に作られているなあといつも感心してしまう。飯山線の車両運用を見ていると、単行のキハ110を中心に1両~5両編成までの多層建ての編成を仕立て上げ、戸狩を中心に実に弾力的な運用をしている事が分かります。倉庫番的なパズル感というか、そういう面白さがありますよね。

 

入換を終えて。142Dの後ろに併結される飯山色。141D後→142D後という流れ。飯山色のトレードマークである流麗なブルーが、一般色のキハ110の後ろにピタリと寄り添う。出発まであと5分の静寂、ホームの水銀灯が照らす142Dのボディ。アクセントのオレンジのグラデーションだけに、スポットライトが当たっていた戸狩の晩秋。


秋の日のヴィオロンの、ためいきの身にしみて、ひたぶるにうら悲し。枯葉舞うベンチに座って、ヴェルレーヌの詩でも一つ諳んじてみたくなるような秋の宵。フランス言葉が綴られた列車には、お国の詩人の一節がよく似合う落葉の戸狩の駅。季節は冬へ。白銀の世界に、再び飯山色を追う季節がまたやって来るのでしょう。

平成最後の冬が、飯山色最後の冬…なのかもしれませんが、ひとまず秋の飯山絵巻を結びます。
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西大滝旅愁

2018年11月18日 17時00分00秒 | 飯山線

おいこっとを追い掛けて、定番の西大滝の旧道俯瞰。結局この日はだいたいが西大滝か白鳥かその辺りで構図を作る事が多かったな。里の陽は落ち、僅かに集落の背後に続く森にのみ日が当たっていて、そこの紅葉だけがくっきりと浮かび上がるように見えた。収穫の後の農作業らしく、もみ殻を焼く白い煙だけが気怠くたなびく晩秋の西大滝集落。数年前は旧家の建っていたであろう場所が、ススキの野原になって自然に還り始めている。ここからの里山景色が見れるのも、いつまでだろうか。


こちらも定番の野々海川鉄橋アングル。もうこの時間になって来ると旧道俯瞰も風が冷たいねえ。この立ち位置は除雪されないと思うけど、雪積もってからカンジキ履いてここ来てみようかな。深みを踏み抜いたりしなければそんなに危険もなさそうだし、雪に埋もれた西大滝の集落もそれはそれで味わいがありそうだし。


おいこっととは桑名川で交換してくる139D。大瀧神社の鎮守の森から、山へ帰るムクドリの群れが飛んで行った。仄かに漂うもみ殻焼きの香り。集落の家々にぽつりぽつりと灯りがつき始めて、北信の里の秋が更けて行きます。「旅愁」という言葉がぴったり来るような、西大滝の情景です。
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